41.全てを繋ぐ人
お茶会がお開きになり帰ろうとしていると、クラリスを呼び止める声がする。
「クラリス先生」
盲目の令嬢の親たちだ。
「は、はい」
クラリスが振り返ると、皆口々に言った。
「今日、我々は数々の奇跡を目の当たりにしました。リディもそうですが、自分たちの娘に関して諦めていたことを、今日実現出来たんです」
「両陛下があんなに親しくして下さったことに驚いております。きっとクラリス先生のご尽力があったからに違いありませんね」
「盲目のクラリス先生がみんなを繋いで下さったこと、感謝しております。今日のことは、きっと歴史的な日として語り継がれますね」
歯が浮くほどに褒め殺され、クラリスはすくみ上がった。
「いえっ、私は大したことは……!」
クラリスが謙遜しようとすると、背後から元気いっぱいの声が飛んで来る。
「クラリス!あなたのおかげよ!」
クラリスは振り返る。リディの声だった。
「私、あなたに会えて良かった。あなたは私を目覚めさせ、お父様のお尻を叩いて、お母様の性根を叩き直したの。ヴォルテーヌ家を救ったのよ。こんなことを女ひとりでやってのけるなんて、この国じゃクラリスぐらいよ」
クラリスは目尻を拭う。
「リディ……」
「私もいつか世界を変えて見せるわ。私みたいな思いをする人を、少しでも減らしたいの」
クラリスは見えないリディの姿を感じ、目を閉じる。
かつての、幼い自分がそこにいた。
そしてその隣では眼鏡に白髪の、背の低い老人がその少女を支えている。
少女の手には、一本の杖。
かの老人はこう言いながら微笑む。
──これは君がやりたいことを出来るようになるための杖だよ。
「ワトー先生」
クラリスは小さく呟いた。
「……私、やりたいことを出来ました。幼い時の私が、今やっと救われたんです」
意味が分からず怪訝な顔をするリディだったが、クラリスは微笑みかけてその独り言を誤魔化した。
遠くからシリルとアネッサがやって来る。
二人の声は心なしか震えていた。
「クラリス殿……ありがとう。再び一家を繋いだのは、君の尽力あってこそだ」
「また、いつでも遊びに来てねクラリス。私たち、いつだってあなたを待っています」
クラリスは予想していたように手を差し出し、二人と握手する。
「いいえ。私は特に何もしていません。全てリディのおかげです。あの子がヴォルテーヌ家に誕生し、あなた方の〝見えない目〟を開いてくれた。それだけのことです。彼女は私の目も、開いてくれました。これからも是非、子どもの力を信じてあげて下さいね」
シリルは鼻をすすり、リディがクラリスにぎゅっと抱きつく。
リディの体は、温かかった。
王宮での茶会を終えて家に帰ると、ロランとクラリスはどちらからともなく互いに抱き合った。
「すごいものを見たな、クラリス」
「……私もよ、ロラン」
そして体を離し、互いに視線を落とす。
クラリスの腹。
ロランが呟く。
「一番大事なもの、か」
アネッサは今日、ようやく娘を見つけたのだ。長い空白期間を経て、ようやく。
「今までどうしてもアネッサ様は、誰かの価値観から逃れられなかったんだ。けど、周囲から認められた娘を見て、急に自分が情けなくなったんだと思う。リディは自分の価値観をちゃんと持っていた。アネッサ様は今日、大事なことを娘に教えられたんだろう」
彼女が娘を見つけるには、徹底的に自分と向き合うしかなかったのだ。
クラリスは腹を撫でて微笑む。
「私、急に産むのが怖くなくなりました」
ロランも微笑んだ。
「何が起こっても大丈夫。ヴォルテーヌ家の皆さんが、身をもって私にそれを教えてくれたような気がするの。私は私を信じる」
「……母は強し、だな」
「本当に。多くの女性が皆こんな経験をしているのだと思ったら、そりゃみんな強いわよねー、と思うようになりました」
「……違いない」
二人は手を繋いで寄り添い、部屋でほっとした夕方を過ごす。
一週間後。
ロランは工房にて新聞を熟読していた。
エドモン三世の最近の動向が書いてある。
「7月24日14時、盲目の子女三名と対面。サミュエル夫人の尽力で対面が叶った。エドモン三世はこの時期に盲目の子どもの相手をすることによって、王の障害者に対する理解を示す目的があると見える。放置していた傷痍軍人問題に取り組む姿勢を示したようだ」
ロランは首を捻った。
「新聞め……好き勝手書いていやがる」
ぽいと机に新聞を投げ出したところで、トリスタンが入って来た。
「ロラン、見たか!?」
ロランは怪訝な顔をする。
「何を?」
「新聞、新聞!」
「まさか、盲目の娘たちのことか?」
「まさにそれだよ。その記事さあ、俺が新聞記者をそそのかして書かせたんだけど」
ロランは目を丸くした。
「?どういうことだ?」
「だーかーら、俺がそう書けって新聞記者に言ったんだ」
「ふーん。こんなことを書かせてどうなる?」
トリスタンは極悪な顔で笑って見せた。
「世論形成だよ」
ロランはフッと鼻で笑い飛ばした。
「こんな一文が世論を形成するわけないだろ。で、君はどんな世論を形成したいんだ?」
トリスタンは自信ありげにこう囁く。
「傷痍軍人の問題に取り組めという世論を起こしたい」
「何にでも〝問題〟とつければいいわけじゃないぞ」
「俺は本気だぞ。デュベレーの丘修道院にも協力を働きかけているんだ」
ロランは次々出て来るトリスタンの告白に目を白黒させた。
「驚いた……仕事の合間にそんなことしてやがるのか」
「違う。仕事をし出したから、そういうことを考える余裕が俺たちに生まれて来たということだ」
「なるほど」
「今は五人一組で生活してる。けどやっぱり、ひとりひと部屋欲しいんだ。中には恋人を作ってる奴も出て来ててね。皆本格的に独り立ちしたい機運があるんだけど、なかなか実現出来ないんだ」
「……」
「誰かが誰かの介護をして暮らしているこの現状も何とかしたい。皆、結婚だってしたいし、独り立ちしたいんだから。介護人を雇うぐらいの給与や恩給、または制度がもっと欲しいよな」
ロランは腕を前に組んだ。
仕事を得れば、余裕が出来て考え方も変わって来る。傷痍軍人は永遠に傷痍軍人というわけではないのだ。いつかはひとりの市民として社会に溶け込むだろう。しかし完全に溶け込むには、まだ足りない障壁が幾重にもあるのだ。
「確かに、死ぬまでお互いの介護をし続けるのも無理筋か」
「だろ?親族ならまだ理解出来るが、全員元は赤の他人だぜ」
「教会に働きかけているのは、どういった部分だ?」
「現状、王の背中をせっつけるのは王妃か宗教家しかいない。教会には王同等の大きな権限がある」
「なるほど」
「だからクラリスが王妃に働きかけるパイプを得た現状は、俺たちにとっても、もう飛び上がりたいぐらい嬉しいことなんだよ。しかも、目の見えない彼女たちの謁見がこんなに早く実現出来るなんて、普通ないことだろ?本当にすごいよ、クラリスは!」
ロランは妻を褒められて思わず口元が緩んだ。
「あれは、本当に出来た妻だからな……」
「いやー、マジで現状この国で、王妃に次ぐ力を持つ最強のお嫁さんだよなー!」
「まぁな。どうだ、トリスタン。コーヒーでも」
「へへへ。ゴチになりますっ」
ロランはコーヒーカップを傾けながら思案する。
全ての問題を一挙に解決する手立てが、何かないだろうか。
一方その頃。
エドモン三世もまた、新聞に鋭い視線を走らせていた──