40.戦争の準備
エドモン三世に呼ばれ、ロランだけが茶会を去った。
珍しく王の部屋に招き入れられたロランは、エドモンに指定された椅子に座る。
王は言う。
「先の戦争では大変世話になった。実は、また別の国で戦争が始まったみたいなんだ」
「そうですか……」
「それでだ。我が国にも同盟国から戦争物資の協力要請が来た」
「はい」
「そこで君に、防具の発注をしようと考えているのだが」
ロランは唾を飲み込む。
ついに、この時が来た。
「引き受けてくれるか?」
「……仰せのままに」
「話が早くて助かる。こちらも戦勝の直後だから、生憎兵を送ることは叶わなくてね」
ふとロランは顔を上げる。
「騎士が減っているということですか?」
「ああ。勝つには勝ったが、消耗が激しかったんだ。怪我人が多くてね」
「傷痍軍人が多く出てしまった、と」
「そういうことになる。彼らはもう、使い物にならないからな」
ロランはその物言いに、少し腹が立った。
「勝ったのは彼らのおかげです。消耗が激しかったのも、国を思ってのことでしょう」
「ん?まあ、そうとも言えるが……」
「使い物にもなりますよ。現に、うちではその傷痍軍人を雇い入れたんです」
エドモンは椅子の背にもたれた。
「噂には聞いているよ。君はレネ伯爵らと街の治安を守るため、傷痍軍人をまとめて雇い入れたと」
街の治安が主目的と言われると、それは少し違う。ロランは続けた。
「陛下。治安を守るのは二の次ですよ」
「ほう」
「雇い入れたのにはわけがある。陛下、傷痍軍人の気持ちをお考えになったことは?」
エドモンはさらりと言い切った。
「ないね」
ロランは不遜と言われてもしかたがないと腹をくくって、王に噛みつく。
「陛下。彼らは武勲を上げた。しかし、それからは何の保障もなく捨て置かれている」
「……」
「彼らだって好きで街を這いずり回っていたんじゃない。国から、親類から、何もかもに見放されて街をうろつくしかなくなった」
「……」
「そんな彼らに救いを用意したいと考えるのは、戦勝の恩恵にあずかった人間ならば普通の感覚だと思いますが、陛下」
エドモンはさも面白そうに笑った。
「何。そなたは私を、人間ではないと申すか」
「……」
「しかたがないではないか。私は王だ。大局を見て全てを進めなくてはならない。普通の感覚とやらも捨てなければならないんだ」
「……それだといつか、誰もあなたについて来なくなります」
エドモンは、少し苛立った。
「ふん、一介の貴族は好き勝手言えるさ。自らの失敗で、国を傾けることもないからね」
「陛下は少し戦後のこともお考えになった方がいい。生や死は、損得では割り切れないところがある。その気持ちをないがしろにしていたら、地位が危ぶまれますよ」
「ロラン……いい加減にしろ。口を慎め」
「まあ、陛下の思うように突き進めばいい。結果は必ずついて来るでしょうから」
「……!」
煽りに煽って、ロランは胸を張るように息を大きく吸う。
言いたいことは言った。
「まあ、ちょうどよかった。傷痍軍人らの意見を集め、新しい防具の開発に乗り出していたところだったんです。これを同盟国に輸出すれば、後の傷痍軍人を減らせますね」
ロランが商人の顔に戻ってそう言い、王は舌打ちをする。
「まあいい。聞かなかったことにしよう。君の協力が不可欠なのでね」
「そうですね。聞かなかったことにした方が得ですからね」
「!ロラン……」
ロランは立ち上がった。
「これにて失礼します」
踵を返し、部屋を出ながら、ロランはこの国の病理を悟った。
損得。
(これを突き詰めすぎると、誰も生きる意味、死んだ意味を見出せなくなる)
国の中枢までもこうだとは、問題はなかなかに深刻なようだ。
(そして見て見ぬふりをする。臭いものに蓋をした方がいいとなる)
事なかれ主義が跋扈し、体に欠損があれば自分に関係のない人間だと線を引く。
そのような空気が、この国には蔓延しているのだ。
そしてロランが茶会に戻ると、そこでは驚きの光景が広がっていた。
あのアネッサが、リディを抱き締めて涙を流してわんわん泣いている。リディは戸惑いながらも、母の背中に腕を回して撫でさすっていた。
「ごめんなさい、ごめんなさいリディ!」
王妃も周囲の貴族たちも、事情を知らないので呆気に取られていた。
「いいのよ、お母様。いいのよ」
リディはしきりにそう取りなしていた。
アネッサは言い募る。
「私あの日、目の見えない子どもを産んで、とても悲しかったの」
「……」
「きっとみんなに後ろ指さされると思ったわ。無事に産んでやれなかったのは母親失格だと思い込んで、勝手に絶望して。そうしたら、いつの間にかあなたが見えなくなっていた」
「……お母様」
「見えなくなったから必死で探したわ。けど、見つからなかったの。でも、今あなたを自慢の娘だと思ったら──」
ロランは侮蔑するように目をすがめたが、次の瞬間、彼女から思いがけない言葉が降って来た。
「私は最低な人間だってことに気づいたの」
茶会がしんと静まり返った。
「私は私を勝手に価値ある人間だと思い込んでた。だから、価値ある人間と価値ある行動をし続けなければならないと思い込んで、いつも時間を有効にとか、誰かによく見られたいとか、そういう感情で動いていたの。けど、大事なのはそういうことじゃなかったんだわ」
アネッサはリディの目の高さまでしゃがみ込んで言った。
「丸裸になった時。顔を焼かれ、見ることも嗅ぐことも叶わなくなって、手足をもがれた時。私には何が残って、何が見えているのか──それが一番大事なことだったのよ。私は、リディ。血を分けたあなたの心が一番大事だったの。それが明確に見え、あなたの姿を見られるようになるまで、途方もない時間がかかってしまった。リディ、お母様を許して」
するとリディは、泣きじゃくる母にきっぱりとこう告げた。
「途方もない時間だなんて大袈裟よ。たった六年じゃないの」
周囲は殊勝なリディに呆気に取られ、シリルは目をこすっている。
アネッサも、思いがけない言葉に目を丸くしている。
リディは簡潔にこう言った。
「まあ、見えないものが見えるようになってよかったわね、お母様。言っておくけど私はいつだってお母様が見えていないのよ。だから……お互い様ね」
子どもは大人が思っているより、素直であっけらかんとしているものなのだ。
ロランはぽかんと口を開けているクラリスの隣に立つと、二人で顔を見合わせてようやく安堵の笑みを交わした。