4.結婚式
クラリスはそれを聞くと、息を呑むように黙った後、ほっとしたように微笑む。
「はい。結婚……」
ロランはクラリスの背中を押し、ソファへ促して共に座る。
「俺はどうせ誰も信じられないし、死ぬまで結婚などしないつもりだった」
少し緊張した空気が流れたが、
「でも、俺と同じように体のどうしようもないことで辛い思いをしたという君の頼みならば聞いてもいいと──急にそんなことを思ったんだ」
と、ロランは歯が浮くのを咬み殺すようにそう続けた。
「ロラン様」
クラリスが呼びかけて来る。
「結婚する前に……お顔を触らせてもらってもいいですか?」
ロランは驚いたが、自分が何度も自分の醜さをあげつらったのだから、彼女がそのご尊顔を気にしたのも当然のことだと思った。
「いいけど……」
「では、失礼しますね」
ロランは、自身の赤痣より真っ赤になって押し黙る。クラリスの湿った手が、ロランの目を、痣を、唇を這い、喉、髪へ伸び、肩を無遠慮にまさぐって行く。
余りの衝撃に魂が抜けてしまったロランに、クラリスは告げた。
「悪くないです」
余りにも忌憚のない言葉に、ロランは毒気を抜かれる。
「確かに赤痣の方?……は、ぶよぶよしていますが、もう片方のお顔はなかなか素敵です。それに、とても体が大きくていらっしゃるのね」
「……手で触って、顔の形や体の大きさが分かるのか?」
「大体分かります。あと……」
「?」
「お顔をすぐに触らせてくれる人は、いい人が多いです」
彼女は、人の外見で何かを判断することがない。言葉と行動だけで、相手を見定めているらしい。
「……クラリス、君は自分を不幸だと思ったことはないか?」
ロランの問いに、クラリスは困った顔で微笑む。
「思いますとも。子供の頃は目が見えていたのですが、段々見えなくなって行ったんです。今は光と色をぼんやりと感じるのみです。周りの人も、症状が進むにつれ、どんどん態度が冷たくなって行きますし」
「……」
「でも、それと同時に、信じる気持ちはより強くなりました」
「信じる?」
「はい。相手を信用する気持ちです」
ロランはその言葉を咀嚼した。
「信用……」
「目が見えないと、人を信用するしかなくなるんです。耳と感触以外情報がありませんから、聞いたことをまず鵜呑みにするしかありません。疑いようがないんです」
ロランは彼女の素直過ぎる言葉に、耳がくすぐったくなる。
「……俺を信じて、後悔するなよ?」
「まだそういうことをおっしゃるの?私はあなたを信じようとしているのに」
ロランはそんな彼女のどこを見るでもない穏やかで素直な微笑みを見つめると、なぜだか今までどうやっても塞がらなかった心の隙間が満たされて行く気がした。
まるで、生きる意味を見つけたような──
「まあいい。どうせお互い行き場がない」
「……はい」
「これも何かの縁だ。どちらの親も厄介払いが出来て笑いが止まらないだろう」
「……」
クラリスは困ったように眉をひそめると、自嘲するロランの肩にそっと寄り添った。
一週間後。
二人は隠れるように、領内で一番小さな教会で式を挙げることになった。
本来ならばどちらも伯爵家なのだから大々的に大きな教会で式を挙げるべきなのだろうが、オベール家が目立つのを嫌がったためにこうなった。
クラリスは、サミュエル家で縫われた白いドレスを着せられる。
クラリスの視界はぼんやりと白くなった。いつもお古を着せられていた彼女には、張りのある絹や真新しいレースのどこかざらついた肌触りはとても新鮮だった。
ロランの足音がやって来る。
彼は言った。
「……きれいだな」
顔が見えないので表情は分からないが、その言葉はクラリスにはとても嬉しかった。
「……はい、ありがとうございます」
「今日は杖は置いて行こう。俺がエスコートする」
クラリスは初めてロランの腕に手を回した。
ロランは背が高く、全体的にがっちりとした体形をしている。
体の芯が太く、皮膚が厚く、少し押したくらいでは倒れなさそうな頼りがいのある体。
クラリスはどきどきと胸を高鳴らせ、新しい夫にしがみつく。
ロランはクラリスを屋敷に迎えるに当たって、歩きやすいフラットで薄い革の靴を用意してくれていた。
日常、どうしたら過ごしやすいのか、尋ねて気にしてくれた。
親にすらしてもらえなかったその心遣いが重なるにつれ、クラリスはすっかり彼のことが好きになっていた。
あとは──
(ロラン様って、声がいいのよね)
ロランは声が低く、よく通った。装飾のない端的な言葉でハキハキ喋るのも、聞いていて気持ちが良かった。顔がどうのこうのと彼は言うが、目の見えないクラリスにとってはそんなことはそれほど気にならない。毎日聞く声は、いい方がいい。
「教会はたくさん段差があるから注意してくれ」
「はい」
「ああ、ここが手すりだ。階段を下りるぞ」
「……はい」
クラリスは悟っていた。
ロランは人間不信のせいか、余りぐいぐいと積極的に接すると引いてしまう癖がある。だから彼女はなるべく彼に不信感を抱かせないように、好意を前面に押し出すことを避けていた。
(運よく、ロラン様みたいないい人と結婚出来るんだもの。彼を困らせないように、焦らず、ゆっくりと関係を深めて行かなければ)
彼女の熱のある小さな誓いは、ロランに届くことはない。
クラリスは馬車に乗り、郊外の教会へ向かった。
教会に入った二人は、神父の前で愛を誓う。
「病める時も、健やかなる時も、愛し合うことを誓いますか?」
神父の声にクラリスは顔を上げると、すぐにロランに向かって言った。
「はい。誓います」
しばらく間があって。
「……誓います」
ロランもそう返答したことに、クラリスは安堵した。
暗くてよく分からないが、ロランが手を取って、薬指に指輪をはめてくれる。
それから──
ロランの、半分赤い顔が近づいて来る。
クラリスは夢見心地に目を閉じ、人生で初めてのキスをした。