38.王妃の夢
その頃、王宮では。
エドモン三世は王妃ベルナデッタの持って来た話に、怪訝な顔を作って見せた。
「何?盲目の令嬢三名と謁見せよ、だと?」
ベルナデッタは遠慮気味に笑って見せる。
「はい。でも無理にとは言いません。しかし、彼女たちに特別な経験をさせてあげたいのです」
エドモンはよく分からない、と言いたげに首を横に振った。
「子どもを特別扱いはどうかと思うがな。それに私と謁見したい人間は、毎日ひっきりなしに訪れる。子どもなのにその順序に割り込ませるというのは、そういった人々に迷惑だ。それに、そんなことをして私に何の益がある?」
ベルナデッタは唇を噛む。
いつも彼は利益利益と口にする。利益がなければその方向を見ることもない。得がなければ動かない性質なのだ。一国を統べる立場となれば確かにそういった取捨選択はすべきだが、それにばかり気を揉むのも、国民から見れば融通が利かないように見える。
それは傷痍軍人の扱いにも如実に表れていた。
戦争に勝った。微々たる報奨金も与えた。しかし彼らの体は返っては来ないのだ。彼らを助けても確かに王の益にはならないのかもしれないが、その行き場のない感情を放置したせいで、街は一時大いに荒れた。
クラリスに感化された王妃は、噛みつくようにこう反論した。
「子どもを特別扱いするのは、利益にはなりません。けれど、子どもの願いを断るのは、不利益になります」
エドモンはそれを聞いて、ようやく聞く耳を持った。
「なるほど。外聞が悪いか」
「あなたはいつもそういう視点が抜け落ちているのね。目に見える得だけがあなたを助けてくれるのではないわ。目に見えないことこそ、いつかあなたを助けてくれるはずよ」
妻の言い分を聞いて、エドモンは目を丸くした。
「どうした?ベルナデッタ。最近、妙に信心深いな」
「信心ではありません。私、もう目に見える富には飽きましたの。今度は目に見えない富を積むことに致しました」
「へー、目に見えない富ね。しかし目に見えない富を積んでも、何の益にもならんぞ」
「益になるかどうかは私が決めるわ」
エドモンはやれやれと苦笑いした。
「まあ君の気が済むなら、そうするか。二週間後に予定していたレネ伯爵との午後の会合が、昨日白紙になった。その時間に、盲目の子女とやらを迎えるといい」
ベルナデッタは注意深く夫の表情を読んでから、ほっと息を吐いた。
苛立ちはしたが、計画は遂行出来た。
きっと王宮に招かれた子どもたちは、興奮に踊る一日を過ごすことだろう。
王妃は早速手紙を出し、クラリスはその報を受け取った。
王宮への参内の当日。
クラリスはロランに連れられ、王宮に降り立った。最近のロランはクラリスの体を心配しきりで、杖を用いての歩行すら制限しようと躍起になっている。
つまづいたら即死と言わんばかりである。
「クラリス、そこに石があるぞ」
「はいはい」
「あっ、そこにも石が!」
「もう……地面に石くらい、何個だって落ちてるわよ」
全てこの調子なので、いい加減うんざりする。とはいえ、彼も必死なのだろうから、くさすこともできない。
向こうから、リディとシリルもやって来た。
と、ロランは目を見開く。
ヴォルテーヌ家の馬車から、もう一人降りて来たのだ。
アネッサだった。
ロランは歩み寄って来たシリルに問うた。
「公爵、これは一体……」
「ああ、アネッサがどうしても謁見したいと言って聞かないのでな。何かいい刺激があればと思い、連れて来たんだ」
ロランはアネッサを眺める。アネッサは久しぶりの王宮に、浮足立っているようだった。
「ああ、久しぶりの王宮……とってもきれい」
アネッサは乙女のように周囲を夢見がちに見渡した。
ロランは少しむっとしながら、どうせ俺はきれいじゃありませんよ、と心の中で毒づいた。
それからほどなく様々な馬車がやって来て、参加者全員を降ろした。
どの盲目の子女も、目の覚めるような新品のドレスを着せられている。
「みんな!」
馬車が止まる音を聞きつけたクラリスの言葉に、子どもたちが集まって来た。
「クラリス先生ー!」
子どもたちが馬車を出るなり飛び掛かって来たので、ロランはクラリスの背を咄嗟に支えてやる。
「夢みたいです。本当に王宮って、いい匂いがする!」
「お菓子を焼く匂いがするの!何かいいものを食べられるかしら?」
「ドレス重い!お腹が窮屈なの!」
クラリスはその余りのはしゃぎようがいじらしくて、微笑んだ。
「さあさあ、そろそろはしゃぐのはおしまいよ。今日は陛下もご一緒してのお茶会なの。みんな、失礼のないようにするのよ」
「はーい!」
クラリスのもとを離れた子どもたちは、めいめいの親に連れられて歩き始めた。
ふと、貴族の親御たちが口々に話し出す。
「こんな日が来るなんてな……」
「国王夫妻も、とても心の優しい方々ね。子どもどころか盲目の子なんて、門前払いされるとばかり思っていたのに」
「やっぱり国王夫妻ともなると品格が違うのよ。一番大切なことを分かっておいでだわ」
「これはきっと弱者にも目を向けると言う、お二人からの明確なメッセージだぞ」
クラリスは目を閉じて、つぶさに〝見た〟。
きらきら光る見えない富が増幅し、人々の心に降り積もって行く光景を。