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36.瞳の記憶

 精神病棟では、アネッサがいつもと変わらず優雅な午後を過ごしていた。


 茶を淹れ、ひとりきりのほっとする午後。


「……リディ、今日も来ないのかしら」


 目隠し遊びをずっと続けている娘。


「いつになったら、あの目の包帯を取るのかしら」


 アネッサには、ある記憶がすっぽりと抜けている。


 娘を育てた記憶だ。


 産んだ記憶はかなりはっきりしている。名前をつけたことも覚えている。その後がよく思い出せないのだ。


 ふと彼女は立ち上がり、鏡に自分の姿を映す。


 自身のグリーンの瞳が鏡に映る。


 その時だった。


「……痛い」


 アネッサは頭痛をこらえた。


 何かを思い出しそうになったのだ。


「嫌ね。天気でも変わるのかしら」


 と。


 コンコン。


 ノックの音がした。


「はい。誰?」

「ヴォルテーヌ公爵様とリディ様です」


 アネッサは立ち上がり、久しぶりの夫と子の登場に胸を躍らせる。


 入って来た二人は、どこか期待するようにこちらを眺めて微笑んでいた。


「あら、久しぶりねみんな」


 リディはシリルと顔を見合わせると、いたずらっぽく笑ってこう言う。


「ねえお母様、目隠しを取って欲しいの」


 アネッサはようやく娘が目隠し遊びをやめるのだと思った。


「……この結び目?」

「そう、ほどいて欲しいのよ」


 アネッサは娘の目隠しをさらりとほどいた。


 振り返ったリディの目を見て、アネッサは呆然とする。


 リディの目には、鈍色の義眼が入っていた。


 リディはどきどきと胸を鳴らして尋ねる。


「……お母様、どう?」


 するとアネッサははっきりと言った。


「違う」


 リディは「え?」と問い返す。


「違うわ、リディは……こんな目の色をしていない……」


 シリルが慌てて娘を背に隠す。


「あなたが産まれた時は、そう……とてもきれいな、私そっくりの目をしていて……」


 そう言うなり、アネッサはわーっと泣き出してしまった。ふらりとロランが現れてアネッサを覗き込んで問う。


「娘さんの目と、そっくりな目を作ろう。そこでアネッサ様、ちょっとあなたの目を拝見したいのですが……」


 アネッサは涙に濡れた顔を上げるが、そこに人は見当たらない。


「え、何?」

「ちょっとお顔をこちらへ」


 ロランは彼女から見えていないのをいいことに、アネッサの眼球をまじまじと見つめた。


「ふむ。シリル様の言う通りに作ったが、何やらちょっと違うようだ。緑……か。ちょっと自然に近づけようと灰色を混ぜたが、とてもきれいなエメラルドの瞳だから、むしろあんな混ぜ色はしなくてよかったんだな」


 怪訝な顔をするアネッサを置いて、ロランはぶつぶつと呟きながら部屋を出た。


「娘と自分は、目がそっくりだということは覚えているのか……」


 瞳の記憶。


 アネッサはいつまで「目隠し」をして生きるのだろうか。





 一方その頃。


 クラリスは再び王妃ベルナデッタの部屋を訪れていた。


「そう。クラリスは今、目の見えない女の子たちの指導をしているのね」


 クラリスは首を横に振った。


「指導なんて、難しいことではないです。彼女たちが生活しやすいように、ちょっとしたコツを教えているだけなんです」


 ベルナデッタは得心したように頷く。


「……あなたは、人の役に立てることが幸せなのね?きっと」

「はい。目の見えない私が誰かの役に立てるなんて、少し前までは思いもしなかったことですから」

「ねえ、もしよければ、だけど……私もあなたの役に立てるかしら?」


 クラリスはきょとんとした。


「お茶に呼んでいただけるだけで光栄ですが……」

「最近思うのよ。王妃としての仕事って、王の隣で微笑んで、子どもを産むだけじゃないんじゃないかって」

「はい」

「私はいつも私を満足させることばかり考えていたけど……多分人生って、そういうことじゃないんだわ。誰かのために生きてこそなのよ。そこが私には欠落している」


 王妃は、何か大切なことに気づき始めているようだ。


 クラリスはその言葉を聞きながら、真っ先に「国母」という単語が頭をよぎる。


「そうですね……」


 クラリスは見えない目で遠くを見つめた。


「私達の教え子を、一度王宮へ連れて来たいのですが」


 ベルナデッタは何かの予感を察知して、興奮気味に頷いた。


「あら、いいんじゃない?……楽しそう!」

「はい。彼女たちはどうしても家に閉じ込められがちですから、もっと色んな世界を知って欲しいと思っているんです。子供の内は、経験が何よりの教育になりますから」

「教育……!」


 新しいときめきワードが、王妃の胸を甘美に貫いた。


「いいわね、〝子女の教育のため〟に……素晴らしいことだわ!」

「はい。きっと楽しいですよ」

「そうよね。一般の貴族の女の子は、いずれ王宮へ出入りして社会を築くことになるんですもの。そういった経験は、早いに越したことはないわね」

「私もそう思います」

「じゃあ、スケジュールを調整しておくわね。準備が整ったら、また連絡するわ」

「ありがとうございます。みんなに教えたら、きっと大喜びするに違いありません」


 クラリスは微笑んで、王妃の新しい世界の扉を開いたことを確信する。


(ベルナデッタ様は、誰かに求められたがっているのね……)


 クラリスははしゃぐ王妃に、かつての自分を見ているかのような懐かしさを覚えていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] アネッサは見えていないフリをしている可能性もあるのではと思っていたのですが、ガチで見えていなかったのですね……。 闇が深いなあ( ˘ω˘ )
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