25.初めての外食
街は人でごった返していた。
公爵邸を出てしばらくすると、住宅街の向こうに商店街が広がっている。
クラリスは事前に街を歩き回ったので頭に地図を入れ込んでいるが、リディの方は初めての街歩きということになる。
「リディ。ここも一応、ヴォルテーヌ公爵領よ」
「ふーん、そうなの」
「街の人がどんな暮らしをしているのか、公爵の娘ならば覚えておいて損はないわ」
リディは風に吹かれ、太陽を見上げた。
「……いい匂い」
「そうね。ライラックの香りがするわ」
「このけぶった香りは何?」
「街角の、昼食の準備をしている匂いね」
ロランも目を閉じて鼻を動かしてみるが、何も匂いはしなかった。
「……特殊技能だな」
「そんなことはないわ。それしかないからよ、私たち」
リディは杖をつーっと横に滑らせた。
かつんと塀に当たる。
「リディ。そのまま歩いてみましょう」
「分かったわ。確か、塀がなくなった時は一度立ち止まって安全確認、よね?」
「そうよ。とりあえず教えておくわ、三枚の塀を抜けると十字路になっているからそこは確実に停止して。一番怖いのは、馬車だから」
「オッケー」
リディはクラリスから離れて歩き出す。ロランとクラリスはその後をついて行く。
と、リディはすぐに塀からはみ出た枝に服を引っかけた。
「わっ、びっくりしたー!」
「リディ、止まれ。服を木の枝に引っ掛けただけだ」
「もう、何よ、驚かさないでよぉ」
リディは木の枝を恐る恐る触り、ひょいと枝から服を外した。
「はー、こんなことが」
「積み重ねて行けば、事前に避けられるわ」
「案外、街歩きって難しいわねぇ」
三枚の長い塀を無事通り過ぎ、リディは見えない目できょろきょろする。
「街はどっち?」
「もっと先よ」
「じゃ、渡りまーす」
「その間も、杖はちゃんと振るのよ?」
リディは耳を澄まし、馬車が来ないことを確認して、杖を振り振り歩き出す。
と、向かいの壁の角にどかんと肩をぶつけた。
「やだー、痛い!」
「大丈夫?さらにその塀を二枚抜けましょう。とても長い二枚よ」
「んもー。……でもいいもん、やっと夢が叶う。頑張らないと……!」
リディは得意の切り替えの早さで、更に先を目指す。
次第に、商店街特有のがやがやした騒ぎが聞こえて来た。
「あーっ、滅茶苦茶いい匂いがする!」
「商店街は目前よ。お昼だから、食べ物を沢山売っているの」
「クラリス。私何だかすっごく楽しいよ!」
「あらあらうふふ」
ロランは街並みを眺める。
人出が結構ある。晴眼者の自分が気をつけていないと、二人を見失ってしまいそうだ。
商店街に入ると、リディは早速鼻を利かせてある店の前に走り寄った。
「わあ、ここ凄くいい匂いがする」
ロランは言った。
「ソーセージを焼いているな」
「ソーセージ?」
「それを棒に刺して寄越してくれる店だ」
「それ食べたい」
「じゃあ、物は試しだ。買って来い」
リディは目を見開いて店まで歩いて行った。
「すいません、これおいくらですか?」
「5イリディオンだよ」
「ひとつ下さい」
「はいよっ」
リディはポケットをまさぐった。
5枚の銀貨。表面に偉人の顔をあしらっているので、手触りはざらざらしている。周囲がギザギザなのも、銅貨と違いを区別しやすい。
ロランは寄り添うクラリスと共に、リディの手元を確認する。
リディは熱々の棒つきソーセージを渡され、ほっとした表情でそれを受け取った。
銀貨を5枚支払う。
滞りなく商談は成立した。
リディは軽い足取りでこちらに走り寄って来る。ロランは少し胸が熱くなった。
「買えたよ!」
「……よくやった、リディ」
「食べていい?」
「俺たちも食べるか、クラリス」
「あら、いいの?」
ロランは自分とクラリスの分も買い求めた。三人は店先で立ったままソーセージをかじる。
「うわあああ、美味しい!」
「リディは案外、こんな単純なのが好きか」
「だって、家で食べたことない味だもの。何が塗ってあるの?」
「これは……マスタードだな」
「辛くて美味しいよ!」
「リディは子どもなのに、辛味が好きなのか。多分調理場側は、リディは目が見えないからびっくりさせないように、こういうのはまず塗らないんだろう」
「私今度、調理師さんに言おう。私がマスタード好きってこと!」
リディは新しい味を見つけ、頬を輝かせている。
クラリスとロランはふと同じ思いが胸に去来し、囁き合う。
「好きなものが増えることは、いいことだ」
「そうね」
「でも公爵はこのことを、きっと知らないままだろう」
「……」
「実は今日この街歩きに、ヴォルテーヌ公爵を誘ったんだがな」
「はい」
「断られたんだ。忙しいと」
「……」
「娘より仕事が大事なんだろうか。それともお守りを押し付けられただけか?」
「……」
「長男は社交場に連れ歩いているようだし、何だかな」
クラリスは静かに言った。
「……私もそんな扱いでしたので、そんなものかと」
「そうか」
「男親から見ると、そうなんですきっと。家も継げない、日常生活もままならない。そんな女、いらないんです」
と、リディが急に何かに気づいて走り出した。
「!おい、リディ……!」
「こっちから甘い焼き菓子の香りがするわ!何かしら?」
二人の大人は慌てて少女を追いかける。
と。
「いったー!」
リディが誰かにぶつかり、ごろんと地面に転がった。
「気をつけろ、ガキ!」
リディが上半身を起こす。
追いかけたロランは、ぶつかった相手を見てはっと息を呑んだ。
「お前たち……」
「あっ!あんたはロラン」
そこにいたのは、傷痍軍人の集団だった。