22.名誉よりごはん
あの日クラリスを襲った男たちの妻が、ここに集っている。
(何よ。彼女たちの夫は見てくれこそ五体満足の貴族かもしれないけど、中身は獣じゃないの)
クラリスは内心毒づいた。目が見えないクラリスを侮り、集団で女を押し倒した野蛮な連中の妻。彼女たちにこのことを言ったらどうなるだろうと考えたが、胸の中にしまっておく。
(うーん、困ったな)
クラリスは見えない目を悩まし気に閉じた。
(ずっと楽しみにしてたお茶会だけど……考えることが多くて、何も楽しくない)
するするとテーブルに指を滑らせ、銀のスイーツタワーを見つけると、クラリスはその中から軽い手触りのメレンゲクッキーを口に放り込む。
(やっぱりお菓子は好きな人と食べたい)
と、何かを察した執事がそそくさとやって来る。
「奥様。笑顔が消えています」
「あらら。盲目の悪い癖が……」
目が見えないと他人につられて笑うということがないので、つい笑顔がおろそかになる。
と、急にリリアーナが大きな声で言った。
「クラリス、どうしたの?何だか顔色が悪いわよ」
クラリスは驚いて顔を上げる。執事がこれ幸いとばかりに話に乗っかった。
「奥様は最近仕事が多く、お疲れのようですね」
「あらそうなの?大丈夫かしら」
「今日のところは引き上げてもよろしいでしょうか」
「それがいいわ。クラリス、また誘うわ。ご近所さんだものね」
クラリスは執事の言葉に驚きながら、じわじわと胸を熱くする。
(そっか。執事さん、きっと事情を知っていて、かばってくれたのね)
「さ、奥様」
クラリスは執事の肩に手を乗せて歩き出す。
「あらクラリス、もう帰るの?」
「またお話しましょうね」
挨拶もそこそこに屋敷を出ると、執事がぽつりと言った。
「野蛮な連中と、わざわざ仲良くする必要はありませんよ」
クラリスはこくりと頷いた。
屋敷に帰ると、落ち着かない様子でロランが待っていた。
「クラリス。早かったじゃないか」
クラリスはロランの心配でしょうがなかったというような調子にちょっと笑う。
「はい。実は色々ありまして、早めに帰って来たのです」
「何だ、言え」
「メラニー・ド・アズナブル、ミレイユ・ド・イクリュ、ポーラ・ド・レネ」
ロランは目を丸くする。
「私を襲おうとした男たちの妻です」
ロランは黙った。
「……なるほど」
そして窓の外を見る。
遠くに、隻腕の男が歩いて来るのが見えた。
「アズナブル伯爵、イクリュ伯爵、レネ伯爵か」
ロランはじっと考え込んでからクラリスに振り返った。
「でかした、クラリス。何人かからは既に法外な慰謝料を秘密裏にふんだくってやったが……これでようやく殴った全員分の尻尾を掴んだぞ」
「……はい?」
クラリスは首を傾げた。でかしたとは、どういうことだろうか。
「ククク……この事実を盾に揺すれば、あいつらはこちらの命令に従わざるを得まい。慰謝料の代わりに、あいつらにも一肌脱いで貰おう」
クラリスの目が点になる。
「あのう、どういうことでしょうか」
「今日、ちょうどトリスタンが傷痍軍人のリストを持ってやって来る」
「?」
「例の伯爵連中に、傷痍軍人たちの働き口を創出させるんだ。嫌とは言わせないぞ」
クラリスは杖と共に歩いて行って、ロランの隣から窓の外に顔を向ける。
「でもロラン。彼らの妻たちは傷痍軍人を差別していたわ」
「……」
「きっとその夫たちもそういう連中なのよ。そんなところで働いても、軍人さんたちはいい思いはしないんじゃないかしら」
ロランは鋭い視線をクラリスに向けた。
「気持ちはあとだ。今は、傷痍軍人に仕事を与えるのが先なんだ」
クラリスは見えない目で夫を見上げる。
「いいかクラリス。まずは街をぶらついている傷痍軍人を一人でも減らすんだ。このまま彼らを街に溢れさせていては、民衆に悪印象を植えつけかねない。差別する心などというものはこちらではどうにも出来ないわけだから、彼らが傷つくかどうかより、彼らの食い扶持の方をまず解決すべきなんだ」
ロランはそう言うと、クラリスの肩を抱いた。
「俺も、醜いと言う点では彼らと同じだ。違うのは、食えずに街をうろつかなくていいことだ。例え醜くても、仕事を大人しくしていれば存在を許される。彼らも仕事を得れば、差別されることはなくなって行くだろう」
クラリスはそれを聞いてようやく腑に落ちた。
ロランは偏見をなくすことより、彼らが自活出来るような環境を作ることを優先する考えのようだ。
彼は執事に言った。
「アズナブル伯爵、イクリュ伯爵、レネ伯爵の持ちうる資産と商いの経営状況を調べ上げろ」
「かしこまりました」
「さて、一体どの傷痍軍人たちがどれだけの力があるのか……まずは今日、その辺りをトリスタンに報告して貰わないとな」