21.地獄のお茶会
二週間後。
クラリスは執事と共に馬車の中にいた。向かうはリリアーナの住むオルビエ屋敷だ。
オルビエ家はサミュエル家と領地を接していた。いわゆる「お隣さん」であり、お互い争うことなく、長年領地を減らすことなくやって来た同士でもある。そんなお隣さんとは王宮で会って以来、まだ一度も行き会っていない。
クラリスはこれが結婚後初の、夫を伴わない外出だった。
正直、ちょっと羽を伸ばせるなどと思ったりした。
王宮での事件以来、ロランは随分過保護になってしまっていた。仕方ないとは思うけれど。
執事は高等な訓練を受けている。奥方の話を外に出すことは決してしない。クラリスは自身の使用人を信頼していた。しばらく馬車に揺られていると、執事が言う。
「オルビエ屋敷に着きました。ご準備を」
馬が止まり、クラリスは杖を頼りに馬車を降りる。彼女は執事の肩に手を乗せ、杖をお守り代わりに歩き出した。
焼き菓子の香りと、咲き誇るバラの芳香。それと晴れ間特有の乾いた土の香りがあいまって、とても洒落た屋敷なのだということが認知出来る。
屋敷に入ると、早速向こうから声をかけられた。
「まあ、クラリス!随分久しぶりじゃないの。さあ、こっちに上がって。執事さんも」
リリアーナの声だ。いつものように自信に満ち溢れた甲高い声。
クラリスは手を引かれ、食堂へと通された。
「あら、クラリスじゃないの?」
「元気だった?あれから公の場に一度も出て来ないから心配したのよ」
「あら、水色の素敵なドレスね。相変わらず何を着ても似合うその美貌、羨ましいわ」
一気に声が飛んで来る。誰が何を言ったのか、クラリスは一瞬分からなくなった。
「えーっと……」
クラリスが固まっていると、声の主たちが答えた。
「あっ、そうよね、あなたは目が見えないんだった。私、バルバラよ」
「私はこの前、あなたにアルマジロを渡したブリジット」
「私はマノン。太い声だから分かるわね?ほほほ」
ようやく前回出会った人との声が一致して、クラリスはほっとした。
他にも人数がいるらしいが、会ったことのない人たちのようだ。
「クラリス、紹介したい人がいるの」
リリアーナがクラリスの背中を押して歩き始める。
「初対面の方々、こちらへどうぞ。彼女はクラリス・ド・サミュエル。オベール家の長女で、最近サミュエル家に嫁がれたの。随分視線がしっかりしているから騙されるけど、彼女は盲目の女性よ」
一瞬、あちらの空気が冷えた気がした。クラリスは色々と察して努めて笑顔を見せる。
「こんにちは、クラリスと申します。以後お見知りおきを……」
「私はメラニー・ド・アズナブル」
「私はミレイユ・ド・イクリュよ」
「私はポーラ・ド・レネ。よろしくね」
やはり、ちょっと萎縮しているように感じる。前回は元気なリリアーナと積極的な王妃がおり、次々に無茶な振りをしてくれたので助かったが、今回は全員が大人しいお茶会。彼女らとの距離を詰めるにはトーク力しかなさそうだ。
「ねえクラリス。あなたは最近何をしていたの?」
見兼ねたリリアーナが助け舟を出す。クラリスは答えた。
「そうですね、庭の改装をしていたの。あとは……ヴォルテーヌ公爵のところにいる、目の見えないリディちゃんと遊んであげたり」
「まあ。ヴォルテーヌ公爵の?」
「はい。公爵は私の姿を王宮で見かけて、娘さんに何か刺激を与えたかったみたいで」
「親心ねぇ。でも、ちょっとは外に連れ出してあげて欲しいわね。最近歩き出した息子さんは色んなところに連れ出してるのに、リディちゃんとやらはとんと見かけませんもの」
クラリスは今日、その話を初めて聞いた。まるで自分と同じではないか。
「そ、そうだったんですか」
「仕方ないと言えば仕方ないけど、あれはあんまりよねー」
「……」
と、その時だった。
「でも、家に閉じ込めておきたい気持ちは分かります。だって、最近街にのさばっている連中、ああいうのを見るとゾッとしますもの」
メラニーの声だ。クラリスの胸はずきりと痛んだ。
「のさばっている連中……?」
「ああ、クラリスさんは見えないから、きっと知らないわよね。傷痍軍人よ。腕や足がなかったり、顔が潰れたり、色々と欠損した連中。陛下はいつまであれを放っておくつもりかしら。街を這いずり回るだけならまだしも、盗みを働いたり誰彼構わず恫喝したり、やりたい放題なの」
トリスタン達のことを言っているのだろうか。クラリスの目の前は暗くなった。
「か、彼らもどうしたらいいのか分からないんですよ、きっと……」
ミレイユとポーラが割って入る。
「全員ひとところにブチ込んで欲しいわ。戦争に勝ったんだから、お金だけはあるでしょうに」
「戦争の立役者だから、陛下も腰が引けてるんだわ。英雄と讃えなければならない一方、戦争残滓になっているのだから」
「ああやって放置している間に、牢が傷痍軍人でいっぱいになってしまうわ」
「そうしたら、軍人全体の価値だって下がるのにどうするのかしら。後先考えない連中って、恐ろしいわよね」
「国を守っても街を守らなければ意味がないのよ。目にも毒だから排除して欲しいわ」
クラリスは耳を塞ぎたくなった。目に毒、という言葉がずしんと腹の底に沈む。
そのような視線を向けられて、彼らは毎日を生きているのだ。
クラリスは彼らの名誉のためにも勇気を出して言う。
「けど、みなさんがこうして美味しいお菓子を食べていられるのも、彼らが最前線で戦ってくれたからなのですよ」
一瞬で場が白けた。けれど、言わないわけには行かなかった。
「それに、好きで障害を負ったわけではないでしょう?欠損と言うけれど、彼らは魂まで欠けたわけではありません。仕事や住まいさえ得れば、きっと立ち直れるはず……」
クラリスが感情に任せて言い募るところを、空気を読んだのかメラニーが止めに入る。
「欠損と言えば、うちの夫がこの前、王宮で前歯を折って帰って来たの」
クラリスはその事実に放心した。
「あっ、うちも!」
ミレイユの言葉に、クラリスは更に目を丸くする。
「うちでも夫が頬を出血していたので問いただしたら、酒に酔って乱闘したって言うのよ。本当かしらね?」
ポーラの言葉を最後に、クラリスはうつむいた。
あの日クラリスを襲った男たちの妻が、今ここに集っているのだ。