20.もう少し、知りたいこと。
デュベレーの丘から屋敷に帰ると、二人は夕飯を取らずに寝間着に着替え、すぐ寝室に籠った。
ロランはベッドにごろりと横になる。
「疲れたな……」
呟いたロランの元に、クラリスが這い寄って来た。
「……うわっ、びっくりしたぁ」
「今日のロラン、いつになく格好よかったわ。ヒーロー登場!って感じ」
クラリスはそう言うと、ロランの肩に頬を寄せる。ロランは照れ隠しするように呟く。
「そうかな……」
「やっぱり、ああして彼らを受け入れたのは、孤児院を見たからなの?」
ロランは静かに頷いた。
「それもある。けど……何ていうか」
彼は妻を抱き寄せた。
「どちらかというと、彼らを通してクラリスの過去を見たからだ。盲目の彼らが不安や不幸を抱え、それでも生きなくちゃならないってことを目の当たりにした。でもそれは彼ら特有の問題ではなく、俺みたいな目の見える人間が持ち得る不安と、何ら変わらなかったんだよ」
クラリスはじっとしている。
「つまり今日、彼らを自分とは違う、と切り捨てられなくなったんだ。今まで障害者や傷痍軍人の存在を見ないふりしてたけど、俺はもうそれをやめる。見ないふりをする奴らは俺が一番嫌いなタイプの人間だったはずなのに──恐ろしいことにいつの間にか自分もそうなっていたようだ。俺は彼らのように捨て置かれた者について、見ないふりはもうしない。……そう心に決めたところで、どこまでやれるかは分からないけれど」
クラリスは返事をする代わりに、夫の首に両腕を回した。
「……いいことだと思う」
「しかし仕事が欲しいと言われても、どうすればいいのか……」
「症状によって出来ることが違うわね」
「そこが問題だ」
「一番いいのは、防具屋で働いてもらうことじゃない?」
「それも考えたんだが、両腕があって目が見えないことには使い物にならないぞ」
「そうかしら」
「そうだろ?」
「じゃあ、もっと別のお店にも協力を仰ぎましょう。私も協力するから」
「……チラシでも配る気か?」
「あら、いいわねそれ」
「おいおい」
クラリスは掛布団を引っ張り出して互いに被せた。
「ねえロラン」
彼女は問う。
「私のこと、前より知れた?」
ロランは何かを予期するように、ふっと笑った。
「ああ。でも、そういえば……」
ロランはぎこちなく体勢を変え、クラリスに覆い被さる。
「……まだ、もうちょっとだけ知らないことが」
クラリスはクスクス笑うと、仰向けのままロランの頬に触れた。
「どんなこと?」
「……!」
「あらロラン、顔が燃えるように熱いわよ?」
「うるさいなぁ……」
「かわいい、ロラン。この、片方の顔がぶよぶよなところとか」
「……」
「これを触ると、すぐにあなただって分かるところがいいの」
「……」
「愛してるわ、ロラン」
「……」
「……ロラン?」
ロランは無言で目をこすった。
「もう、大丈夫そうか?」
「ええ、いつだって」
「……」
「私も、まだあなたについて知らないことがあるみたい」
二人は口づけ合う。
「……顔とか」
ロランは思わず笑う。
「クラリスはいつだってそうやって、何でも茶化すよな」
「そうね。茶化しながらじゃないと、前に進めないことが沢山あったから」
「……やめろ。泣かすなよ」
「きっと、あなたもそうだったと思う」
「……やめろって」
ロランは思う。
やはり、まだ彼女について知らないことが沢山ある気がする。
クラリスは彼の耳元で囁いた。
「けどあなたとなら私、きっと何も誤魔化さず、何にも誤魔化されずに生きて行ける」
その手がロランの金糸の髪を探ると同時に、彼の中で何かが吹っ切れた。
「俺も、もう自分を誤魔化さない」
「……」
「愛してる、クラリス」
クラリスはそれを聞くと微笑み、そっと見えない目を閉じた。
闇夜の中では、盲目でも異形でも、二人の条件は同じ。
体温に香りに感覚、全てを総動員してお互いを共有し合う。
「ロラン……」
クラリスの心がようやく満ち足りて行く。
「私──あなたが好き」
二人の体温で温まった朝は、いつもより特別な気がする。
クラリスは寝間着に袖を通すと、まどろんでいるロランを置いて自室へ戻り、侍女らにドレスを召し換えて貰った。
執事がやって来る。
「クラリス様宛に手紙が届いております」
「あら、また?どなたからかしら」
「リリアーナ・ド・オルビエ様からです」
「まあ。リリアーナから?」
クラリスは手紙を受け取ると、そろそろとロランの部屋へ戻った。
「ロラン」
「んー?何?」
「もう……いい加減起きて?また私宛に手紙が来たから読んで欲しいの」
「はいはい」
ロランは寝ぼけ眼で手紙を読み上げた。
「親愛なるクラリス。二週間後にオルビエ家にてお茶会を催します。苦しくなければ、ぜひおいで下さいな。目で楽しめない分、お口を楽しませましょうね。リリアーナより」
クラリスは胸の前で手を組んだ。
「つ、ついにこの日が……!」
「女は好きだよなー、お茶会」
「貴族の奥方が試される試練の場……!」
「そうなの?」
「目の見えない私にも、ついにこんな日が来たのね……!」
「大袈裟だな」
ロランは内心、心配で仕方がなかった。
王宮の一件もある。彼女ひとりを送り出すのはしのびない。
「俺も行くよ」
「ああ、待ってロラン。これは奥方の社交場なのよ?夫が来たら場が白けるわ」
「……」
「……怒ってる?ロラン」
「いや。……ならば、執事を同行させよう。それならいいだろう?」
「はい!」
クラリスは頬を輝かせて天を仰ぐ。
それを眺め、ロランは心の中で呟いた。
(そうだよな。クラリスは、屋敷に閉じ込められる生活など本望じゃないんだ)
ようやくオベール屋敷を出られたのに、行き先を制限されるのは辛かろう。それにこの喜びようを見るに、彼女は様々な〝普通の〟出来事に挑戦したいに違いない。
やはり、もっと外の世界に連れ出した方がいいのだろうか。




