19.隻腕のトリスタン
傷痍軍人たちを見てロランは一瞬たじろいだが、急に奇妙な使命感が沸き起こり、クラリスに告げる。
「傷痍軍人たちだ」
クラリスはそれを聞いて驚きはしたが、ふと神妙な顔になる。
二人は迎え撃つように集団が上って来るのを見つめる。
集団は丘の上にあのロランがいると分かると、一様に足を止めた。
足音が目前で止まったことに気づき、クラリスは怯えたように夫に寄り添う。
「何だ、ロランじゃねぇか」
傷痍軍人のひとりがそう言った。
「あら、知り合い?」
事情を知らないコレットが間に入る。それを皮切りに、彼らは騒ぎ立てた。
「こいつの工房が作った防具がヤワだったおかげで俺たちは体の一部を失ったんだ!」
「軍人も辞めさせられて、一気に貧民に転落だ。爵位のあるやつ以外は」
「おい、逃げ回っても結局はこうなるんだな。神はお前の性根を見ている!」
「何とか言えよロラン!」
ロランは彼らを見渡し、目を逸らさなかった。
彼らは今まで持っていたものを失った。それで、正気を失っているのだ。
以前のロランなら、彼らは面倒な人間だから関わらないでおこう、と短絡的に考えていた。
しかし、盲目のクラリスと結婚し、奮闘する孤児の世界を覗いた今は、見える世界が少し違う。
「……どうして欲しいんだ?」
ロランはまっすぐ集団に問うた。
急に態度が軟化したロランを見上げ、集団は呆然としている。
「か、金だ。金を寄越せっ」
集団のひとりが、そう声を上げた。
それに同調する声が更に上がるかと思いきや──
それ以降、誰も声を出さない。
「お、おい?みんな、どうした?」
いざどうして欲しいのかと聞かれたので、皆罵声を浴びせることを止め、急にめいめい本当のところを考え出したらしい。
「金もそうだけどよぉ……」
集団の中から、両目の潰れた中年の男が前に進み出た。
「俺は住まいが欲しい」
ロランは「そうか」と言った。
「どこ借りようとしても断られるんだよ。目が見えないから駄目だって」
どこかで聞いたような話だ。
またひとり、片腕のない若い男が現れた。
「俺は仕事だ。腕が一本ないだけで、どこにも雇われない。力仕事が出来ないって言われるのは分かるが、細工仕事まで断わられた日にゃ、もうどうしようもないんだこれが」
これもどこかで聞いたような話だ。
この「仕事」という発言には同調する声が多く、たちまち集団はわいわいと己の不遇を話し合うのだった。
「仕事、か……」
ロランは呟いた。確かにそれがなければ、人並みの生活を送るのは難しいだろう。
態度が劇的に軟化した集団の様子を聞き届けると、ようやくクラリスが口を開いた。
「立ち話も何ですから、炊き出しを食べながらお話しませんか?」
集団の視線が、一挙にクラリスに向いた。
彼らはその美しい娘に目を奪われてから、全員あることに気がついた。
「ん?あれ、ロランの嫁か?」
「何だ。目が見えてないじゃないか」
「ロランに嫁が来るなんておかしいと思ったら、そういうわけかぁ……」
クラリスは男たちの視線に晒されて怯えたが、ロランの腕にしがみつくと勇気を振り絞って告げた。
「私はクラリス。ロランの妻です。以後、お見知りおきを」
コレットが言った。
「何だか事情がよく分からないけど、これも主のお導き。さあ、どうぞこちらへ。みんなで糧を得ましょう」
野外の食事の席に座ったロランとクラリスの周囲を、異形の者たちが取り囲む。
「ほー、別嬪な嫁だぁ」
「くそっ……何でロランなんかがこんな可愛い嫁と結婚出来て、俺が出来ないんだ?」
緊張に重くなる空気の中、クラリスの高い声が響いた。
「私の夫を〝なんか〟呼ばわりするのはやめてください。ロランはいい人ですよ」
「こらっ。クラリス……!」
ロランは慌てて口を塞いだが、彼女の発言を傷痍軍人たちはしみじみと噛みしめる。
「へー、意外だな」
「どうせ無理矢理結婚させられたんだろうと思ったが、違うのか?」
「俺の所にも嫁来ないかなー」
クラリスの発言は、鋭くてもなぜかことごとく場を柔らかくする。ロランはほっと胸をなで下ろした。
食事が運ばれて来る。シチューだ。
目の潰れた男は周囲をべしゃべしゃにしながら食べ始め、手から先を失った男は肩と頬の間にスプーンを差し込み、体を傾けて更に顔を突っ込むようにして食べ始め、両足を失った男はまず椅子に座るところで難儀している。
ロランはそれを眺め、正直、気の毒に思った。誰もが戦場に出るまでは出来ていた動きを、彼らは失ってしまったのだから。
「ロラン、聞いてくれ」
隻腕の青年が言った。
「今までお前の屋敷にとりあえず群がり、脅していたことは謝ろう。しかしな、我々にも事情が色々あったんだ」
「……事情ねぇ」
ロランは白けた視線を彼に送った。
「……だから謝るっつってんだろ!ええっと、つまりだな……国は戦争に勝った。だが、その勝利を勝ち取ったはずの俺たちは捨て置かれている。国が勝った日から、俺たちはこの見た目になっちまったせいで、街を歩いているだけで邪険にされる人生を余儀なくされているんだ」
ロランは静かに言った。
「俺もそうだ。国が勝とうと勝つまいとな」
隻腕の男は彼の返しに唸る。
「ぐっ……。いやいや、お前も異形ではあるが、貴族の家の次期当主だから立場だけはいいはずなんだ。問題は、貴族の次男以下の、我々みたいな〝おじかす〟たちなんだよ。長男第一主義のこの国で、騎士になれてようやくそれなりの人生を歩めると思ったら、不具にされ梯子を外された格好だ」
この国の貴族社会は長男至上主義だ。次男以下は自分で道を探すしかない。その多くが騎士や神職となり、残りは長男からのおこぼれで商売をする。例外はいない。ロランの父も、その兄ジュストのおこぼれで防具職人をしていたのだ。
「まあ、気持ちの行き場がないのは良く分かった。ところで、だ。全員の言うことをいちいち聞いている暇は、あいにくこちらにはない。そのつるんでる連中の中から代表者を一名決めろ。意見をまとめ、今後はその一名が話を持って来い。あと、先に言っておくがその集団でつるむクセを何とかしろ。周囲に威圧感を与え、余計に周囲からの理解を得られにくくなる」
食卓がざわついた。周囲の視線はすぐにひとまとまりになり、ロランの前で喋っている隻腕の青年に注がれる。
「……何だよ!?」
「お前でいいや。一番障害が軽いし」
「目も足も頭も無事だしなぁ」
「えー!急過ぎんよ……」
ロランは問うた。
「そこの隻腕の男。名前は?」
青年は周囲を見渡しながら、言いにくそうに告げた。
「……トリスタンだ」
「隻腕のトリスタン。俺はお前たちを〝見えなかった〟ことにはしない。仕事探しに協力してやろう。その代わり、何が出来るのかをもう一度自分達の中で問いただし、整理して再び屋敷に来い。話はそれからだ」
クラリスは話に加わることが出来ず、見えない目できょろきょろと声のする方に顔を向けていた。