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18.孤児院とクラリス

 二人は軽食を終えると、コレットに導かれて孤児院へ案内された。


「孤児院をご案内しましょう。この時間は、夕飯の準備をしているはずです」


 ロランはてっきり、修道女が料理をしているのかと思っていた。


 が、いざ孤児院の調理場に入ると、そこでは──


 少年少女が三人集まって、調理をしていた。


 ひとりは包丁で何かを切っており、あとの二人は炒め物をしている。


 ロランはそれを見て、ひゅっと息を吸った。


 三人共、視点が定まっていない。目が見えていないのだ。


「見えていない状態で、料理!?」

「調理実習ですよ。皆ここを出たら、自活しなければなりませんからね」


 ひとりは卵を掴んでガンと割り、フライパンの上に落として炒り卵を作っている。


「あの……」


 ロランが声をかけると、目の見えない少年は答えた。


「あんた誰?」

「ロランだ。孤児院を見学させてもらっている」

「ふーん、で、何?」

「見えないんじゃあ、焦げないか?それ」


 少年は鼻で笑った。


「さすがに匂いと時間で分かるよ。俺を馬鹿にしてるな?」

「そう……」

「まあでも、食って美味いかどうかは別だがな。こればかりは練習を重ねないとどーにもなんない」

「……」


 炒り卵ほか、炒め物が出来上がると、かまどの中に手を突っ込んで少女が炭の片づけを始めた。


「ちょっ、火に手を突っ込むな!」

「大丈夫。火力が出過ぎないように薪からじゃなく炭で熱を取ってるから」

「あ、そう……」

「時間かかっちゃうけど、目が見えないから比較的安全な炭火が便利なの。火をつけるまでが一番大変。見えないから、熱が上がるまでずーっと試行錯誤して待ってなくちゃなんない。とても時間がかかるのよ」


 ロランはそれを呆然と見て、ようやく先程コレットが言っていたことの意味を知った。


 生活訓練は〝障害の矯正〟ではない。


 生きるために必要不可欠な訓練なのだ。誰かの目に美しく見せるための躾、ましてや、晴眼者のようにふるまうためのブライダル・レッスンなどでは決してない。


 生きて、活動するための訓練なのだ。


 それを、かつてクラリスの父マルセルは、途中で辞めさせた。


 ふとロランは思う。


 ワトー先生がそのことに絶望した理由。


 先生は、実はそのせいでクラリスに大事な何かを教え損なったのではないか、と──


「あの、もしよろしかったら」


 コレットの声で、ロランは我に返った。


「貴族の方から見れば粗末なもので恐縮ですが、みんなで食事を召し上がって行かれませんか?」


 クラリスは微笑んだ。


「わあ、いいんですか?懐かしいわ」

「これを持って、めいめい食堂へ参りましょう」


 三人は今しがた盲目の三人が作った食事を盛り付けて食堂へ進む。


 食堂には、他の孤児たちもいて、じいっとこちらを見つめている。


 ロランはその視線にたじたじになりながら、子どもの中に混じって座った。


 主に祈りを捧げ、全員で食べ始める。


 隣に座っていた目の見えない少年が問うた。


「ところでお兄さんは、誰か孤児を引き取るつもりでここに来たの?」


 ロランは驚き、コレットは頷きながら口を挟んだ。


「普通はそうね。でも今日は違うの。本当にただ、孤児院を見学しに来られたのよ」

「なーんだ。貴族だって聞いたから、いい養父なのかと思って期待しちゃったじゃん」


 割といたたまれない。ふとマルセルがクラリスを引き下げたがった気持ちも分かるような気がした。


 クラリスは向かいでクスクス笑っている。


「お姉さんは何者?」

「私はクラリス。ロランの妻です。私は弱視で」

「あっ。お姉さんも目が見えないの?」

「ええ。だから、6年前までこの孤児院に来てワトー先生に盲人のレッスンを受けていたのよ。今日は懐かしくなって、来ちゃったの」

「思い出を振り返りに来たのか?たまにいるよなー、そういう人」


 孤児は皆、随分大人びている。


 ロランは尋ねた。


「ここで学んだら、自活に入るのか?」

「うん。目が見えない我々は、そのための勉強をしているんだね」

「孤児院を急に出されて、不安じゃないか?」


 すると少年は答えた。


「それはどの孤児も一緒だよ」


 ロランが黙ると、クラリスが割って入った。


「ここを出たら、住まいはどうするの?」

「あっ。そうそう、それが一番大変なんだよなー。買うのは無理だからどこか家を借りなくちゃならないんだけど、なかなか貸してくれるところがなくって」

「なぜ貸してくれないの?」

「目が見えないと、トラブルを起こすと思われてるんだよ。何かに気づきにくかったり、事故に遭いやすいんじゃないかって思われてる。そういう側面はなきにしもあらずだけど、その辺は頑張るからどうにかして欲しいな」

「そう。仕事はあるのかしら?」

「この辺だと、農作業くらいかな。収穫とか、単純作業。農家さんは信心深くていい人が多いし、野菜をくれるし、給金が低くても、まあまあな生活が出来るらしいね。でも、俺たちにはそれ以外の道が殆どないのが現状なんだよ」

「そう。小作農になるということね?」

「なると言うより、それしかなるものがないんだよな。ま、生きていられるだけマシと思うしかないよね」


 盲目の少年は色々なことを諦め、生き延びることだけを最優先にしている。


 ロランはすぐに空になった皿を眺め、ふと思案した。


 もしクラリスが貴族の娘ではなかったら、同じような生活を選択していたのだろうか。


 生きていられるだけマシと思うような生活を。


(ワトー先生とやらがクラリスに教え損なったことが、何となく分かって来たぞ)


 ロランは目の前のクラリスを見つめ、ひとり心の中で呟く。


(生きるための選択を、貴族の子女である彼女はする機会がないんだ)


 彼女がロランという伴侶を得たのは彼と離れたがらなかったという状況もあったが、結局は周囲のお膳立てが奇跡的に揃ったからだ。


 クラリスの得た「成果」では決してない。


 ロランが静かにしていると、クラリスがぽつりと言った。


「それしか、なるものがない……」


 ロランはどきりとする。


「私も一緒だわ」


 それを聞いてロランはなぜかほっとする。


「と言うより、貴族の娘自体、道がひとつしかないのよ。結婚しか選べないの」

「貴族でも、そんなもんなんだ!」

「ええ。っていうより……この国じゃ女の子は誰しも、普通はみんなそれしか選びようがないわよね」

「あっ、そうかも!」


 生活訓練とは、何も晴眼者と同じ動きをすることだけではない。


 自分の可能性を探したり、試行錯誤したり、悩んだりする。


 それも、生活訓練の一部だったに違いない。




「俺、今日はデュベレーの丘修道院に来て良かった」


 束の間の食事を終えたロランは孤児院の窓から夕日を眺め、ふとそんなことを言った。


 夫が見るのと同じ景色を見つめ、クラリスは応えた。


「あら、そう?」

「今まで知らなかったことを沢山知れた」

「どんなこと?」

「そうだな。ワトー先生の志、みたいなことが」

「そうね……」


 クラリスは目の前に広がるオレンジの光に告げた。


「私もあの時は気づかなかったけど、成長した今なら分かるわ。ワトー先生の苦しみと、喜びのようなものが」


 ロランは夕日に照らされる美しい妻の横顔をうっとりと眺める。


「リディと一緒にいると、過去の自分と向き合ったり、ワトー先生はこんな時どうしたかしら?って思うの。そしたら一瞬物凄い迷路に迷い込んだ気がするけど、でもわくわくする自分もいて」


 前を向くクラリスは、出会った時よりもいっそう輝いて見えた。


 ロランは妻と手を繋ぐ。


「いい顔してるな、クラリス」

「本当?何だかここに来て急に、自分のやるべきことが出来たような気がするの」

「いいことだ」

「こうしちゃいられないわ。家に帰って、リディのことについてもっと考えなきゃ」

「でも……ほどほどにな」


 二人は夕日の溢れる窓から離れた。


「修道院に施しをしてから帰るか」

「それがいいわ。また来ましょう」


 クラリスは夫に寄り添って歩き出す。


「私のこと、前より知れましたか?」

「ああ。かなり、な」


 修道院の庭では、炊き出しが行われていた。


 二人はコレットを見つけて声をかける。


「コレットさん、お世話になりました」

「あらクラリス。もうお帰り?」

「はい。それでですね、帰る前に修道院に幾ばくかの寄付を……」

「あら、ありがとう。恩に着るわ」


 ロランはハンカチに包んだお布施を渡した。


「お忙しそうですね」

「ええ、今日は炊き出しの日なの」

「炊き出し?」

「貧しい人や満足に食べられない人に、温かい食事を振る舞うのよ……あ、来た」


 ロランとクラリスは後ろを振り返った。


 その瞬間、ロランは声を失う。


 丘を上って来る集団には、足や腕がない。


 退役せざるを得なかった傷痍軍人の群れが、こちらに迫って来ていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 選択肢があるということが、どれだけ貴重でありがたいことかがよくわかりますね( ˘ω˘ )
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