16.不幸と決めつけないでください
遊びがてら庭をうろついて、昼もこの庭園で食事をすることになった。
リディはとりあえずフォークに触ったものを、手当たり次第刺しながら食べている。
クラリスはじっと、そのカツカツ音に耳を澄ませていた。
「ごちそうさま!」
「……早いのね、リディ」
「ワンプレートだもの。じゃあね!」
リディは杖を大事そうに抱き、再び庭に駆け出して行く。使用人が彼女の後を追いかけて行った。
「なるほど……妙に突く音が多いと思ったら、ワンプレートだったのね」
シリルが言う。
「皿を複数出すと危なっかしいから、このスタイルが定着してしまってね」
「あら。一皿ずつ出して、引っ込めればいいじゃないですか」
「……」
シリルは気持ちを落ち着かせるように、額を押さえた。
「いろいろなことを、どのようにしたら最善なのか、考えすぎてしまって……」
クラリスは眉を八の字にした。
「つまり、いい方法が分からないと?」
「……そういうことです」
「ワトー先生がまだご存命だったら良かったのに……きっと色々ご教授して下さったはずですわ」
ロランが食後のコーヒーに口をつけながら言った。
「ワトー先生が経営していたという孤児院に聞いてみたらどうだ?先生の、何か置き土産があるかもしれないぞ」
シリルがロランに顔を向ける。
「ロラン殿。その孤児院というのは?」
「私はよく知りません。クラリスが詳しい」
クラリスは答えた。
「デュベレーの丘の修道院に併設されている孤児院です。ワトー先生は聖職ではありませんでしたが、奉仕の精神から孤児院を経営していらっしゃいました。実のところ、私もワトー先生個人のことについては詳しくありません。先生は分け隔てのない人でしたから誰にでも厳しく、誰かと特別親しくすることはありませんでした」
「デュベレーの丘か。いきなり行っていいものだろうか」
「まずは、おうかがいのお手紙を出したらいかがですか」
「そうしてみるか……」
静けさが戻って来る。
クラリスが食事を終えると、その真っ白な皿をまじまじと眺め、シリルが尋ねた。
「つかぬことをうかがうがクラリス殿。……君は今、幸福か?」
クラリスは即答した。
「ええ」
「かつて、目が見えない人生を呪ったことはないか?」
「まあ、以前は時々ありました。私の場合は最初から全盲ではなく、段々目が見えなくなって行くという症状でしたので」
「それは……辛いな」
「親兄弟にも邪険にされました」
「……」
「でも、他の場所に希望はいくらでもありました。サミュエル家も、その希望の場所のひとつです」
クラリスは端的に答えてから、付け加えた。
「……今はロランと一緒にいられることが、最大の喜びですね」
ロランは慌ててコーヒーカップを置くと、少しうつむいてむせる。
シリルもうつむき、大きく息をついた。
「実は……私は今の今まで、娘を不幸だと思っていました」
「まあ、そうでしたか」
「けど、クラリス殿。なぜだかあなたを見ていると……その考えは間違っていたのではないかと」
クラリスは微笑んだ。
「はい、間違いですね」
「……こらっ。クラリス……」
ロランがたしなめると、クラリスは肩をすくめた。
「けど……そうですね、夫も顔に痣があると聞いています。そんな我々の不幸といえば──誰かが勝手に〝あなたは不幸ですね〟と決めつけて来ることなんです」
遠くで遊んでいたリディが何かに躓いて倒れた。使用人に助け起こされる様子を、シリルは硬い表情で見つめる。
「なるほど……」
「あんまり周囲から不幸だと決めつけられると、反抗心のない人は幸福になることを諦めてしまうと思うんです。だから、私が思うのは……シリル様が今出来ることは、リディは不幸ではない、と教えてあげて、ちゃんと守ってあげることかな、と」
「……」
「晴眼者のように生活が出来るかどうかより、そこを重視してあげて欲しいです。確かに私は親が連れて来てくれた先生の訓練で、ここまで日常生活を送れるようになったことには感謝しています。が、当時特に愛情を感じていたわけではなかったので、そうなれるまではただ辛いだけでした。だから訓練をする前に、あなたのためだよ、より気持ちよく暮らして欲しいんだよって、そこからまずは教えてあげて欲しいんです。その上で訓練すれば、きっとリディも作法を身につけられます」
シリルは自らの顎をさする。
「幸せか……」
「目が見えていても、不幸な人はたくさんいます」
「!」
「逆に、目が見えなくても、幸福な人もたくさんいるはずです」
「……」
シリルは降参するように目を閉じた。
「クラリス殿。君は本当に……」
しばし、彼は声を詰まらせる。
「君に会えて、本当によかった」
「はい」
「デュベレーの修道院に、一度連絡を取って見よう」
「それがいいですわ。きっと、力になってくれるはずです」
それから少しリディと遊び、クラリス達はシリルに次の仕事があるという事でヴォルテーヌ邸を出ることにした。
「クラリス、また私と遊んでね。次は一緒に街へ行こう!」
「あらあら、それならちゃんと特訓を積むのよ。まずは門を出られるようになってね」
「頑張る!」
クラリスはロランの肩に寄り添って、馬車へと歩き出す。
シリルはその背中を、神妙な面持ちで見送った。
馬車に乗り込んだロランは、ふとクラリスに声をかける。
「……今からデュベレーの修道院に行ってみるか?」
夫の急な提案にクラリスは顔を上げ、ぽかんと口を開けた。
「どうしたの?急に」
「いや……」
ロランは少し顔を赤くして声を落とす。
「……クラリスのことを、もっと知りたいなと思って」