14.わがままなリディ
いきなりの拒否にクラリスはたじろいだが、彼女は必殺技を用意していた。
「おもちゃをいっぱい持って来ましたよ」
一旦静かになったが、即座に扉が開いた。
「おもちゃ!ちょうだい!」
飛び出して来た少女とクラリスはぶち当たる。二人は同時に尻もちをついた。
当然だ、どちらも見えていないのだから。
ロランが箱を持って来て、二人を部屋に促す。そのがちゃつく音に耳を澄ませ、リディはにこにこと笑った。
「ねえ、どんなおもちゃ?」
「こんにちはリディ。私はクラリス。あなたと同じように、目が見えないのよ」
リディはまるで聞いていないようにおもちゃ箱に腕を突っ込む。
クラリスはじっと、その様子に耳を澄ませている。
「あ、何これ……」
リディが持っていたのは木製の時計のおもちゃだった。
長針と短針を指でぐるぐる回すと、カチカチと子気味いい音がする。
「すみませんね、クラリス殿。おい、リディ。きちんと教えた通りに挨拶をしろ!」
リディはべーっと舌を出し、今度は別のおもちゃを漁っている。
額に青筋を立てるシリルの隣で、クラリスはくすくすと笑った。
「元気なお嬢さんですね」
「本当に情けない。わがままでどうしようもなく、困っているんです。きっと目が見えないから、自暴自棄になっているんだ」
「あら、そうでしょうか」
クラリスは微笑む。
「わがままなのは、とてもいい長所です。特に我々のような、体に障害のある者には」
「……どういうことだ?」
ロランが尋ねる。クラリスは夫に顔を向けた。
「えーとですね、私たちはどうしても周囲から〝大人しくしていろ〟〝言われた通りにしろ〟と言われる機会が多いわけです。子供の頃も大人になっても、ずーっとそうです。気持ちは分かります、危なっかしいんですもの。けれど、我々がそれをずっと守っていると、どうなるか……」
クラリスはシリルの方に顔を向ける。
「何も出来なくなるんです。誰かに押し込められる経験が続くと、生きる意味をあっという間に見失ってしまいます。そして、この世界から消え去ることばかりを考えるようになってしまいます。それは、生きながら死んでいるのと全く同じことです」
部屋の中は静かになった。
「怪我をしても、痛い目を見ても、好きなことを自由にするということを諦めてはいけません。好きなことをやって見えなくて躓いて運悪く死んでしまったとしても、私は本望だと思っています。何かを諦めて生きるより、諦めずに死んでしまった方がマシです」
するとリディが急に声を上げた。
「ですってよ!お父様!」
クラリス達は思わず吹き出した。
「リディはどうなの?これから、何かしたいことはある?」
クラリスが尋ねると、リディは元気に答えた。
「街を歩いてみたいな。自分一人で、街の人と同じようにお買い物をするの!」
するとシリルは苦々しそうに答えた。
「買い物なら、屋敷に商人を呼べばよかろう」
「いやよ。風と光といい匂いを感じながら、自由に出歩きたい」
「盲人が金を持って歩くのは危ない。大体、店で釣銭を誤魔化されるぞ」
リディが押し黙ると、クラリスがクスクスと笑って言った。
「あら。釣銭のないように、小銭をいっぱい持って行けばいいわ。またはツケ払いで、あとで屋敷に請求してもらえばいい」
シリルが目を丸くしていると、リディの声に力が戻った。
「わ、ナイスアイデアねクラリス!」
「そうでしょう?でもそのためには、方向を見定めて歩く訓練を行わなければいけないの」
先程とは違い、あの跳ね返りのリディが即座にその言葉を受け入れた。
「訓練すれば、街に出られるの?私、やるわ!」
「ええ。かなり長いこと訓練しなければなりませんが、大丈夫?」
「やらなきゃできないんだもの。私、やる!」
シリルが気まずそうに尋ねた。
「訓練すれば、というのは、本当に?」
「ええ。私、歩行指導の最後の方は、ワトー先生の言い付けで、先生のいる孤児院まで歩いて通いましたもの」
「!!」
「行き先を決め、そこまで行く訓練を重ねるのです。そうして頭の中に独自の地図を備えます。人と馬車さえ避ければ目的地に辿り着けるようになります」
「く、訓練はどれくらい行うのだ?」
「一年以上です」
「!そんなに……」
「そのために使う杖をこちらでご用意致しました。リディ、この中から床を叩きやすい杖をひとつ選んで頂戴」
リディは三本の杖を渡され、その中から一本を選んだ。
「これがいい」
「ロラン、どうかしら」
「身長と合っているみたいだし、いいんじゃないか?」
「じゃあリディ、部屋の真ん中に来て、杖で床を叩いてみて」
こん、と音がする。
「次にリディ、壁際で床を叩いてみて」
またこん、と音がした。
「音の違い、分かる?」
「うーん……」
「じゃあ杖を左右に振って見て」
杖は壁に当たった。
「あ、こっちに壁……」
「そのまま部屋を出てみて」
「いやね、クラリス。こんなことしなくても部屋ぐらい出られるわ」
「そうじゃないのよ。これは訓練。壁伝いに杖を振り振り、この屋敷を出てみましょう」
「えっ。屋敷から出ていいの!?」
その言葉に、クラリスの胸はぎゅうっと締めつけられる。
「出ていいのよ。でも本当に街を歩くためには、沢山訓練しなければね」
「私、やるよ。で、お買い物する!」
リディは大人三人を伴って部屋を出る。
彼女は階段を見えているかのように慣れた足取りで下りる。目が見えなくても、六年も家に居ればこれぐらいは朝飯前だ。
リディはそうっと玄関ドアを開ける。
光が溢れ、その方向に足を一歩踏み出すが──
「待ってリディ!そこからは杖を使って」
リディが杖を前方に振ると、明らかに地続きではなく段差があることに気づく。
「あ、地面がない……」
「そこにも階段があるの。まず、杖で前方を確認して」
リディは杖を足元に差し込み、一段下を探り当てた。
「そう、その調子」
一段ずつ杖で確かめながら、リディは階段を下りて行く。
地面に足をつけたことが分かると、リディはほっと胸をなで下ろした。
「そっか。外を自由に歩き回るためには、壁と段差を見つけることが大事なのね?」
「そうね、それにこの地域の家には大抵塀があるから。壁際を歩いていれば、馬車にひかれることはなく安全に歩けるの」
リディは脳内に広がる美しい町並みへと一歩踏み出した。
しかしロランの目からするとヴォルテーヌ屋敷はとにかく敷地が広く、街へ出るにしても門まで相当な距離を歩かなければならなさそうだった。