13.ヴォルテーヌ公爵
「親愛なるクラリス様。またはそのご家族様。
突然の連絡をお許しください。私は公爵家当主、シリルと申します。以後お見知りおきを。
先日王宮にて、あなた様の姿を拝見し、筆を取った次第であります。
杖を使用しての颯爽とした歩行、まるで見えているかのような滑らかな所作、食事の様子に私は心を打たれました。
実は末娘のリディについて、ご相談があるのです。
リディは六歳。生まれつき目が見えず、何をするにも危険が伴うので、現在、苦しくも屋敷に閉じ込めています。
いずれはクラリス様のようにどこかに嫁げるようにとは思っているのですが、盲人専用の教師が国内及び隣国に見つからないため、外を歩くこともままなりません。
もし苦しくないようでしたら、一度ヴォルテーヌ屋敷に来て、色々ご教授願えないでしょうか。
無論、心ばかりですが謝礼を払います。
苦しいようでしたら、その限りではありません。
よいお返事をお待ちしております。
シリルより」
手紙の代読を終え、ロランは眉をひそめた。
「盲人専用の教師がいない……?」
クラリスは虚空を眺めた。
「私が習っていた盲人専用の教師は、ワトー先生という男の方でした。当時は孤児院の経営をされていて、貴族のみならず孤児や一般の市民にも教えていたと伺いました」
「ふむ。ではそのワトー先生とやらに連絡を取ろう」
「いいえ。前も言いましたが、先生は私が12歳の時に亡くなってしまわれたのです」
ロランは更に眉間に皺を寄せた。
「なぜ」
「なぜって、先生は私が出会った頃には、既におじいさんだったからです」
「なるほど……」
「あと、ワトー先生は目の見える方でした。目の見えない私が行って何を教えられるのか、正直分かりません」
「ふーむ」
二人の目の前に、執事がトマトとチーズのバジルサラダを持って来た。
取り分けられたものを、クラリスはフォークの感覚のみで器用に食べる。
「まあ、でも……一度行ってみるか?」
「あら、あなたが誰かと交流しようだなんて、珍しいわね」
「このリディとかいう女の子も、不安だろう。クラリスと話をすれば、前向きになるんじゃないか?」
「……人助けというわけね」
「小さなクラリスだと考えたら、放っておくのも忍びない」
クラリスは目を閉じて小さく笑った。
「なるほど……小さな私と考えたら、確かに放っておくのは寂しい気がするわ」
クラリスの目の前の皿は、いつの間にか真っ白になっていた。
「そうね……行く前に、ロランにも協力してもらいたいことがあるの」
「何なりと」
「今から私が言うものを、工房で作って来て欲しいの。六歳くらいの女の子が持てる杖を長さ別に三種類。あとは、ガラスをはめこんでいないこのお皿ほどの、大きな時計のおもちゃ」
「ふむ。何に使うんだ?」
「リディへのプレゼント。または教材です」
「……やってみるか」
クラリスは手紙に返事を書くことにした。白い紙に少し大きな字で、目が見えていた幼少時代の感覚を頼りに了承の返信を綴る。
一方、ロランは妻の提案を持って工房へ向かう。
かつてロランの父が経営し、ロラン自身も防具職人として立ち働いた防具工房だ。
ロランは久々に事務室に入り、まずは時計の設計図を描く。
それを封筒に入れ、時計の工房に製作依頼を出す。
それからジュストに、ナターシャと共に工房へ来て欲しいとの手紙を書いた。
いとこのナターシャもリディと同じ六歳。杖の長さを決めるのにちょうど良いモデルがいて助かった。
一週間後。
馬車に揺られて、ロランとクラリスは一路ヴォルテーヌ屋敷を目指していた。
「私は目が見えないので、リディに何かを教えるのは実質目の見える彼女の親族の方々ということになりますね」
「まあ、そこまで難しく考えるな。我々が教師でないことは、あちらも折り込み済みだろう。何かいい方法があれば、教えてやればいい」
「そうね。でも……ちょっと不安なの。たまに、私を魔法使いか何かだと勘違いしている人がいて」
ロランは首を捻った。
「クラリスが魔法使い?」
「ええ。私に夢を見出している人──嗅覚や聴覚が人より優れているだろうとか、人より心が強いのだろうとか、そのような偏見を持つ人がいるのです」
「なるほど……」
「私はただ、目が見えないだけ。あとは普通の人と一緒なのに」
ロランも最近クラリスのおかげで自分の顔のことを忘れそうになっているが、似たような経験をしたことがある。
「顔が悪いからひねくれているんだとか、逆に顔が悪い分、人の痛みが分かるとか言い出すんだよな、あいつら」
「ふふふ、そうそう」
「謎の決めつけはどこから来るんだろうか」
「私、答えを知っているんです。多分、神話からです」
「そうか!神話……」
人の心の中にあるストーリーは、どこか似通っているものなのかもしれない。
「私が頼んだもの、作っていただけましたか?」
「ああ、ナターシャに杖を持って貰って、クラリスの教えてくれた通りのものを作らせた。時計は時計職人に頼んだ。リディも気に入ってくれるといいが」
クラリスの足元には、複数の杖とひとつのマンドリン、その他さまざまなおもちゃが楽し気に揺れている。
ヴォルテーヌ屋敷は、ロランの屋敷よりもっと広大だった。
庭を走り抜け、玄関に着くと、早速待ちわびていたようにシリルがやって来た。
自信家のような風貌だが、どこか寂しさの漂う中年の男だった。
「ロラン殿、クラリス殿、ようこそいらっしゃいました」
「ヴォルテーヌ公爵、初めまして」
クラリスは杖を抱え、ロランの腕に寄り添っている。
使用人が馬車の荷物を怪訝な顔で運んで来た。
「この杖の中から、どれかひとつをリディさんに差し上げます。あと、このおもちゃもお土産に」
「すまない、クラリス殿……」
「いいえ。何か学習の助けになればと思って」
クラリスはロランから離れると、杖をこつこつ前後に振りながら階段を上って見せる。
「シリル様、私を案内して下さいませ。一般的に個室は二階にございますね?」
シリルは急に緊張の面持ちになって、後頭部をせわしなく掻いた。
「ああ、リディの部屋だね。それなら階段を上がって、四つ目の部屋だ」
クラリスは杖を振りながら階段を上がると、右側に寄りかかって壁に手を添える。
歩いてドアノブをひとつずつ数える。
クラリスはリディの部屋をノックした。
「リディさん、入りますよ?」
すると。
「嫌!」
扉の向こうからいきなり拒否されて、クラリスは目を丸くした。