11.悪い人たち
男は酒の飲み過ぎで会場の外で涼み、女は男がいなくなった場所で話に花を咲かせる。格式高い王宮の晩餐会と言えど、結局はこうなる。
クラリスの膝には、王妃ベルナデッタの飼っている謎のペット達が次々乗せられる。最初は犬や猫だったものが、次第に鳥や蛇、果てはオオトカゲなど、えげつない生物が次々と運ばれて来る。
クラリスはそれを触り、動物が驚いて逃げたりするのを呆然と見送る。または体に這い上がられて右往左往する。周囲の貴族夫人らはそれを見て大笑いするのである。
とはいえ、クラリスはちっとも嫌な気分にはならなかった。持ち前の好奇心から、逆に蛇やトカゲを掴んで遊んで見せたり、他の貴族夫人達を追い掛け回して楽しんだりした。王妃もその様子を見て、腹を抱えて笑っている。誰かに反応を貰えるのが嬉しくて、クラリスは様々な難題に挑んだ。王宮は一般市民の持ちえない不可思議なもので溢れ返っているらしく、彼女は人生で初めて掴むものを今日大いに掴んだ。
ロランや家族以外と話すのは、久々だった。それもクラリスの気分を高揚させた。
束の間だが、人気者になれたのだ。
だが、次第に疲れて来た。クラリスは部屋を出、壁際でしゃがんで一息つく。こんなにも誰かと話をすることはない。
(ロラン……まだ迎えに来てくれないのかしら)
と、その心を読んだかのように、こちらに声をかけて来る者がいる。
男の声だ。
「クラリス。ロランが呼んでいますよ」
クラリスは少しほっとして、杖を手に立ち上がる。
「あら、ロランったら、自分から来ればいいのに」
「それが……酔いが相当に回ってしまったらしく、今は歩くのもやっとらしい。外で涼んでいる」
「しょうのない人ねぇ」
「案内しますよ。さあ、どうぞこちらへ」
クラリスは男の肩に手を添え、王宮から外に出る。一気に周辺が暗くなるが、彼女は何の疑問も抱かなかった。
静けさが辺りを支配する。
「……ロランはどこ?」
王宮の裏手にやって来たのだろうか。相手が答えずに歩き続けるので困惑していると、向こうから複数の男の押し殺すような声が聞こえて来る。
ふと、クラリスは嫌な空気を察知した。
男たちの複数の手が方々から伸び、彼女を羽交い絞めにしたのだ。
クラリスは叫び出しそうになったが、咄嗟に口を塞がれた。呼吸が苦しい。彼らに体重をかけられ、そのままクラリスは地面になぎ倒された。
「んー!」
「黙ってろ!すぐに終わる」
「んんー!」
誰かの手が、ぐいとクラリスの右胸を鷲掴みにした。クラリスは愕然と目を見開き、涙を流す。
「おい、早くしろ」
「次は俺だからな!」
悪漢の身勝手な要望が降り注ぎ、クラリスの心はボロボロと朽ちた。男の力で地面に押さえつけられ、抵抗できない。体中があちこち痛く、暴れる気力も失い、だらんと四肢を投げ出す。
と。
何かが大きく砕ける音がした。
それから、彼女の体にかかっていた重さがふと外れる。
男たちは口々に叫んだ。
「ロランだ!」
「ロランが来たぞ!」
クラリスは驚いて彼らから這い出ると、突き当たった木を背に、身を固くしてうずくまった。
彼女はロランがそこにいるのかどうか分からなかったが、その重そうな拳が風の音を纏って、次々と男たちの顔を無言で砕いている音を耳にした。
「死ね!」
怒号が響き渡る。
殴られた男たちはわめきながら散り散りに逃げて行き、誰かがその場に残り、がくりと膝をついたのが分かる。
「……クラリス」
その声を聞き、ようやくクラリスはぼろぼろと涙をこぼした。
ロランの声だ。
「ロ、ロラン。怪我は?」
「クラリスこそ、何かされなかったか?」
「はい。胸を掴まれたぐらいで……」
「くそっ。あとで全員ぶっ殺してやる……!」
ロランが這って顔を近づけて来る。クラリスは求めるように、両の手でその顔をさすった。
半分赤くて、ぶよぶよした手触り。
間違いなく、ロランだ。
クラリスはようやく確信を得ると、彼の首にしがみついた。ロランも、そっと手を妻の背に回す。
彼がそのまま上がった息を整えていると、ふとクラリスが尋ねた。
「……同情で、助けてくれたの?」
ロランは思わぬ言葉に体を離して、彼女をまじまじと見つめた。それからあの音楽会の帰りを思い出し、彼女に残酷な時間を強いていたことに気づく。
「馬鹿っ。同情で助けに来るわけないだろ!」
クラリスはじっと、涙に濡れた頬で彼の言葉を待つ。
「君を愛してるからだよ、クラリス。君を失ったら俺はもう、生きている意味がない」
クラリスは、声に出さず「ありがとう」と囁いた。
ロランは涙にまみれた彼女の頬を撫でると、その唇にキスをする。
「……ごめん。ずっと君についていれば、こんなことにはならなかったのに」
「ロランは悪くないわ。悪いのは、私を騙して連れ出した彼らの方よ」
ロランは先程の面々を思い出す。
どいつもこいつも、かつてロランの風貌を悪しざまに笑った、嫌な男ばかりだった。
あの手の連中は人が醜ければ踏みつけにし、美しければ屈服させるだけなのだ。残念ながら救いようのない人種がこの世には生息しているらしい。
「ふん。全員俺みたいに片側の顔面が腫れ上がればいいんだ。俺の目とあの怪我が何よりの証拠だ。あとで全員、目にもの見せてくれる。……ところでクラリス」
「はい」
「誰も彼をも信用してついて行くな。ああいうド腐れ野郎がこの世にはいっぱいいるんだ」
「そうですね。今回学びました」
「だから、その」
「はい」
「俺だけを信用して、ついて来い。他の男は信用したら駄目だ。いいな?」
クラリスはどこか生温かい目でロランを見つめる。
ロランの本心が、ようやく聞けた。
「何だよ?」
「……私はあなただけのものです」
「……クラリス」
立ち上がったロランは、クラリスに手を差し伸べる。
クラリスはその手を取り、二人で立ち上がった。
「帰ろう。二度と来るか、社交界なんか」
「……はい」
「この世は貴族までも、下品な奴ばかりだ。上品な我々には合わない」
「……」
「屋敷でまたマンドリンを弾いてくれ。テノールで歌うから」
「ふふふ」
二人は屋敷へと帰る。
それからしばらく、公の場所に出ることはなかった。