10.王宮へ
それから一ヶ月後。
クラリスは胸元をさすり、また新しいドレスがやって来たことに気づく。
「ロランったら、これで何着目?」
「5着目だ」
「ちょっと作り過ぎよ。どうせ私には色しか分からないのに……今日はピンクなのね」
今夜は王宮へ行く。
王国の戦勝を祝う晩餐会だ。
着せ替えを終えた使用人が去って行く。夕暮れの中、ディナーに参加するため、二人は馬車に乗り込んだ。
「恥ずかしながら私、これが社交界デビューなの」
「何、心配はいらないよ。君は伯爵家の娘であり、妻でもある。堂々としていればいい」
そう言いつつ、ロランは腹の中では
(オベール家は、これでひとつ恥をかくことになるだろう。娘を邪険にしたツケだ、ざまあみろ)
と意地悪くひとりほくそ笑むのだった。
クラリスは杖を握りしめながら、ロランに寄りかかる。
「どうしたクラリス」
「いえ……」
「気分が悪くなったら、いつでも言うんだぞ」
彼女は頓珍漢なことを言うロランに少し苛立つ。
「気分が悪いだなんて、そんなことはありません」
「どうした?急に怒り出したりして」
クラリスは少し肩を落とした。
なぜだろう。ロランはクラリスに遠慮し過ぎている。
まさか結婚して二か月経っても、手を出されないとは思ってもみなかった。愛を囁かれたことも、夜の寝室にやって来られたこともない。
しなだれかかるきっかけを得ることすら、クラリスにはほとんどないのだ。
他人の目にはどう映っているのかは知らないが、外に出る時彼の腕にすがるのも、本当に介助のための行為なのだ。
しかも極めつけには、同情で娶ったことを否定しないと来た。
「私、あなたに寄りかかりたくなっただけです」
「なぜ?」
「もう……あなたがこれまで女性に縁がなかったのは存じておりますが、あんまりそういうことをおっしゃるなら怒りますよ」
「気分を害したらしいな……悪かったよクラリス」
いつも、真新しい格好をさせることばかり熱心で。
(私……いつになったら普通の女性のように愛されるのかしら)
焦燥と苛立ちが頭をもたげるが、そういった感情が沸き起こるほどに、クラリスはロランを愛していた。
当初のように優しくされるだけでは、物足りなくなっているようなのだ。
王宮に着くと、二人が登場しただけで周囲から小さな歓声が上がった。
悲鳴しかきいたことのないロランは周囲の反応に驚く。そして周囲の視線がクラリスに降り注いでいるのを見るや、彼の心は満たされた。
見知らぬ貴族の子女がわらわらとやって来る。
「初めまして、クラリス。私はリリアーナ。あなたは盲目だけれどかなりの美女だと、社交界で専らの噂になっていたのよ」
クラリスは人の顔を知れないので、声で記憶するしかない。彼女はリリアーナの声を聞き、自分と同じくらいの年齢であると記憶した。
「そんなことないです。でも、初めまして」
「目が見えないなんて勿体ないわね。あなたも自分の美貌が見れたら、どんなに素晴らしい人生だったかと思うわ」
「……はぁ」
「ロランも、サミュエル家の次期当主になるのが決定的になったわね。我が夫のベルナールをよろしく。ご近所の嫡男同士、仲良くしましょ」
「ああ、そうだな」
ロランはリリアーナが、こちらの顔面を見ないように話したのを見逃さなかった。
心に隙間風が吹きそうになるが、隣の美しく着飾った妻を眺め、その風穴に蓋をする。
国王エドモン三世の周辺には、早速人だかりが出来ていた。サミュエル夫妻が現れると、王の手を合図に人波が道を開けた。
「おお、そなたが最近サミュエル家に嫁いだクラリスだね。オベール家には長女がいると聞いていたが、お目にかかるのは初めてだな」
努めて穏やかな顔をしているが、ピリピリとした緊張感を常に纏っている若き王。先王亡き後、即位してすぐに戦争指揮に明け暮れた。戦勝し、ようやく自信をつけたかのような初々しさも漂っている。
クラリスは夫を頼りに王に近づくと、人生初めてのカーテシーを披露した。
「お初にお目にかかります、陛下」
「ロランも、かなり久方ぶりではないか?最近になって防具を作る職人を辞め、経営に回ったそうだな。そなたの工房で、我が国のほぼ半数の防具が作られている。戦争に際し、供給に尽力してくれたこと、感謝している。その内褒美を取らせよう」
「……ありがたき幸せに存じます」
エドモン三世の声は若い。三十代くらいだろうか。クラリスは字が読めないので新聞の類は読めないが、王が最近世代交代したことくらいは知っている。
と、夫にぐいと肩を抱かれる。王との謁見はこれにて終了のようだ。
「クラリス、君の席はこっちだ」
ロランに連れられ、クラリスは椅子に座った。周囲から歓声が沸く。
「あら、サミュエル夫人はお食事が出来るの?」
「どんな風に食べるのか、見てみたいわ」
興味の視線が降り注ぎ、クラリスは困惑する。ここまで、周囲から何も出来ないと思われているとは。
喧騒が静まり、晩餐会の運びとなる。
「カトラリーの並びはうちと同じだ」
ロランに耳打ちされ、クラリスは頷いた。
運ばれて来た食事を、彼女は難なく平らげて行く。
好奇の視線が降り注ぐ中、手の感覚を頼りに残さず口へと運ぶ。
その芸当にひそひそ声が沸き起こり、クラリスは肩をすくめた。
(やりづらいわ……私のように、盲目や弱視の貴族って他にいそうなものなのに)
すると、近くでこんな言葉を耳に拾う。
「……ヴォルテーヌ公爵にも、目の見えないお嬢様が……」
本当に微かな声だったので、細かい情報は拾えなかったが、やはりいるらしい。
きっと、彼女も閉じ込められているのだろう。
晩餐会が終ると、クラリスの隣から先程のリリアーナの声が飛んで来た。
「クラリス、ちょっとこの後、みんなでゲームをしない?みんな、あなたと話したがってるの」
クラリスは困惑したが、反対側から夫の声がした。
「行って来たらどうだ。貴族の妻同士、親交を深めるのも大事だろう」
クラリスはハッと我に返る。
「そうね……それも私の仕事だものね」
「難しく考えなくていいぞ。遊んでやれ」
「もう、ロランったら……」
クラリスは杖を手に、リリアーナに手を引かれて会場の隣の部屋に連れ出される。
ロランは久々の高級ワインに舌鼓を打っていた。




