1.盲目の令嬢
光が見える。
久方ぶりの直射日光を浴び、彼女はぞくぞくと興奮に震えた。
盲目の令嬢クラリスは、久しぶりに使用人に連れられ自宅から外へ出る。
使用人の左肩に手を置き、右手には杖を携えて。
外に出るのだから少しは着飾るのかと思ったが、いつも通りの普段着で馬車に乗せられる。
無論、彼女には何も見えていないのだ。一体、何が始まるのだろう。
と、急に前方から父、マルセルの声が飛んで来た。
「お前を嫁にしたいと言う伯爵がいる。今からその屋敷に行くから、気に入られるように努力するんだ。いいな」
クラリスはずきりと胸が痛んだ。
「は、はい……」
「お前さえ片付けば、弟二人にも嫁の来手が来るだろう。お前のせいで、あいつらは婚約者候補全員に逃げられたんだからな」
「……」
クラリスは弟たちから、散々その件については嫌味を言われていた。
障害を抱える姉がいれば、嫁候補にはその後その障害が遺伝するかも知れないという疑念を抱かれるだろうし、義姉の面倒を見なければならないのではと敬遠されるのは容易に想像がつく。クラリスさえいなければよかったのに、ということは、彼女以外の家族全員が合言葉のように意見を一致させるところなのであった。
(気に入られるような努力……)
クラリスには思い至らなかった。
大体、いつも屋敷に閉じ込められていたのだ。誰かと楽しく会話した経験などない。家族とさえも。
(きっと、嫌われるわ。目が見えない女なんて、あっちだって願い下げに決まってる)
幸い、教育だけは盲人専門の教師からしっかり受けて来た。杖を頼りに、屋敷の中なら何不自由なく自分で移動できる。食事も、一皿ずつ出してくれるのならばこぼさず残さずきれいに食べられる。下着だって着替えられる。胸を張って出来ると言えるのは、それぐらいか。
(ああ、そうだわ。あと……)
マンドリンならば、感覚で奏でることが出来た。
(でもきっと、誰もそんなもの持って来てくれてないわよね……)
クラリスは沈んでいたが、ふと顔を上げる。
「私を嫁にしたいと言う伯爵とは、どなたですか?」
父は答えた。
「サミュエル家の次期当主、ロランだ。まあ厳密に言うと、彼自身より彼の親戚が今、彼の嫁探しに熱心でね」
彼は久しぶりに娘の前で饒舌になった。
「ロランは顔面に痣があるので結婚に消極的らしい。だから今日はだまし討ちのような形で向かっているんだ。あちらは結婚に乗り気ではない、ということは頭の隅に置いておけ」
クラリスは胸を押さえた。
「顔面に、痣……?」
「ああ。顔半分に赤く腫れ上がっているかのような痣を持っている。生まれつきのものだそうだ。無論、それ以外はごく普通の人物だ。彼は防具の製造を生業としていて、王宮に納入している。勿論職人ではない、統括者であり販売者だ」
「そうですか。顔の痣以外は健康な方なのね?」
「ああ。一度見かけたことがあるが、なかなか気が強く賢そうな男だ。しかし人嫌いで、滅多に表には出て来ない」
表に出て来ない、ということが二人の共通点なのだろう。
(どんな人なんだろう……)
クラリスはようやくその男に興味が湧いた。
一方その頃。
サミュエル家次期当主、ロランは伯父のジュストに叫んでいた。
「正気か!?」
伯父はロランの剣幕に汗をかき、しかし前のめりに言う。
「うちには娘しかいない。伯爵の跡目を継ぐのはロラン、君しかいないのだよ。君と娘をぜひ結婚させてほしいと、オベール伯爵から話が来ているんだ」
ロランは舌打ちをした。
親戚同士で今後の防具ギルド運営について話し合いを設けたいから屋敷に集まらせてくれと頼まれ、蓋を開けてみたら騙し討ちの見合いが用意されていた。彼が怒るのも無理はない。
「馬鹿を言うな!俺の嫁なんかにされる女が可哀想だろ!」
ジュストは顔を上げ、歯ぎしりしているロランの顔をまじまじと眺めた。
ロランには生まれつき、顔半分に大きな赤痣がある。誰もが一度見たらぎょっとして目を背けてしまうほどの、ぶよんとして赤い痣だ。
目の周辺も赤く、若干垂れ下がっている。ロランもそのような容姿に生まれついたからには、結婚についてははなから諦めていたのだった。
しかし親族は彼を放っておけなかった。サミュエル家には男児が誕生せず、次期当主のお役目は甥のロランに流れて来てしまったからである。
「こんな醜男、あっちから願い下げだろう。もし俺と結婚するなんて奴がいたら、そいつは身分か金目当てに違いない。俺はそんな女、信じないぞ」
ロランは頑なだった。彼は幼い頃から、同性にしろ異性にしろ、外見に関して心ない言葉を投げられ続けて来たからだ。容姿で差別された二十年。今更誰かと添い遂げろと言われても、人間不信の塊は誰にも溶かしようがない。
伯父は黙ってそれを聞くと、実に言いにくそうにこう告げた。
「実は、オベール伯爵の娘、クラリスは……目が見えない」
ロランは怪訝な顔をした。
「は?」
「つまり、彼女は、君の顔が一生見えることはない」
「……!」
「使用人が何くれと世話をしてくれるだろう。クラリスは世継ぎさえ産んでくれれば、あとは……」
「はあああああああ!?」
ロランは急に叫ぶと、青くなる伯父の首根っこを掴んで挑戦的に顔を近づけた。
「あんた、自分が何を言ってるのか分かってんのか?」
「……」
「醜男と結婚させられた挙句、男児を産んだら用無しだと!?」
「……」
伯父はロランを真っすぐに見つめると、こう言った。
「……クラリスがオベール家でどのような扱いを受けているか、知っているか?」
ロランは目を見開く。
「君が想像するより遥かにひどい。一度、会ってみれば分かる」
何となく彼女の置かれた境遇に予想がついたのか、彼は伯父から手を放すと、慎重にこう言った。
「分かったよ……会うだけだからな」