火星圏遠征編1
再開された士官学校生活は熾烈を極めた。例年よりも4か月も遅れて始まったため、遅れを取り戻すよう土曜も返上で授業に充てられた。
<ルナ>戦争で減ってしまったパイロットを早急に補充するためにも、1年ブランクを空けるわけには行かなくなったのだ。
そんな状況でアリサ大尉を探すこともできず、俺は忙しくとも平和なグレード11の年度を過ごした。来年には士官学校附属高校を卒業し、士官学校へと進むことになるはずである。
進級試験も終わり、休みに入ろうかと言うある日、俺はクリストフに呼び止められた。
「ちょっといいかな?話がしたんだ。」
クリストフの表情はいつものにこやかな表情ではなく、少し真剣味を帯びた表情だった。
「ここでいいか?」
「いや、少し込み入った話なんだ。寮ではなく外で話したい。」
クリストフが少し近づきながら声を落とした。寮内では話せない秘密の話のようだ。
「俺は街へは出られないぞ。」
クリストフはわかっていると頷くと
「基地の部屋を取るので、時間を決めてくれないか?」
と言ってきた。俺は少し考えて
「わかった。2時間後でどうだ。」
と答えた。
「了解した。少し待ってくれ。」
そう言うとクリストフは端末を操作し始めた。ここから基地の部屋が押さえられるのか?俺の端末ではできないことをクリストフはしているようだ。しばらくするとクリストフが顔を上げて
「203を押さえた。」
と伝えてきた。
「了解した。ヴァレリーは連れて行ってもいいのか?」
「あぁ、勿論。では2時間後に。」
そう言うとクリストフは足早に去って行った。俺は部屋に戻ると基地に出発することにした。せっかくなので基地に居るヴァレリーと『ヘーニル』の様子を見に行こうと思ったのだ。
俺は寮を出るとエレカーで基地に向かった。
「グレン?どうしたのですか?今日は来る予定になっていなかったはずですが…?」
『ヘーニル』の格納庫に到着すると俺を見つけてヴァレリーが駆けつけてきた。
「クリストフと基地で話をすることになってね。ヴァレリーにも同席して欲しい。」
「わかりました。片づけてきます。」
そう言うとヴァレリーは、『ヘーニル』のコックピットに向かって移動を始めた。
「まだ約束の時間まで1時間以上ある。慌てなくていいよ。」
そう言って俺はヴァレリーを追いかけた。
「そうなんですか?他に何か御用が?」
ヴァレリーはコックピット前で止まると俺の方を向いてそう聞いてきた。
「忙しくてなかなか『ヘーニル』にも乗れなかったからな。シミュレーションでもしようかと思ってね。」
「そうですね。先週は週に一度の哨戒にも出ていませんでしたし。」
US軍は現在パイロットが不足しており、週に1度であっても哨戒業務について欲しいとのことで、休日は哨戒に従事していたのだ。ただ先週は進級試験があったため、哨戒業務を休ませて貰っていた。
「じゃあヴァレリー。着替えてくるから準備を頼む。」
「わかりました。」
俺はそう言うと更衣室へ向かい、パイロット・スーツへと着替えた。
「今日は誰と戦いますか?」
パイロット・スーツに着替えた俺は、『ヘーニル』の自席に着いていた。
「スヴェン隊かな。」
「了解です。コネクトして下さい。」
「コネクト開始。」
俺に視界は宇宙空間となった。警告音が鳴り響く。レーダーには敵機の存在が表示されていた。いきなり囲まれた状況からスタートか。これぐらいのハードさは必要だ。俺は気合を入れると『ヘーニル』を駆って久しぶりの戦闘を開始した。
≪状況終了≫
電子音声によりシミュレーションが終了したことが告げられた。
「コネクトオフ。」
≪コネクトを解除します。≫
俺の視界は『ヘーニル』のコックピット内を映し出している。
「お疲れ様でした。」
目の前にいるヴァレリーから労いの言葉を掛けられた。
「やっぱりスヴェン隊の方が粘り強いな。」
シミュレーションの結果は全機撃破だ。ここ最近のシミュレーションの相手はスヴェン隊かカルロ隊との1対多、もしくはオーディンとの1on1かクリストフとの1on1だ。正直ナノマシン強化がされたパイロット以外が相手だと1対100のようなシュチエーションとなるので作業をしている気分になってしまう。
弾薬や推進剤のマネジメントを如何に行うかと言う練習にはなるので、まったくの無駄ではないが面白さはない。
「もう薬がなくても大丈夫ですね。」
「あぁ、すっかりよくなったよ。」
以前あった左半身の遅延はすっかり影を潜めていた。今では薬を服用しなくても特に操縦に不自由はない。
「そろそろ着替えて203に向かおう。」
「はい。」
俺たちは『ヘーニル』から降りて、更衣室へと向かった。着替えを終えて203号室へ向かう。
約束の10分ほど前だったが、すでに203号室にはクリストフとサンドラが居た。
「待たせたか?」
「そんなには待ってないよ。時間的にも前だしね。まぁ、座って。」
俺たちはクリストフの前の席に座った。
「それで寮内で出来ない秘密の話はなんだ?」
「US軍はマーズ・ラグランジュ・ポイント1への侵攻を企図している。」
かなりの軍事機密だ。寮内でもさすがに話せる内容ではなかった。
「やる気なのか?」
「あぁ、準備は順調に進んでいるようだよ。」
随分前になるがグレック軍曹が言っていた通りになりそうだ。
「あまり大儀名分がなさそうだけどな。」
<ルナ>戦争があったとは言え、マーズ・ラグランジュ・ポイント1に拠点を構築した事は違法行為とは言えない。
「<マンホーム>の政治屋たちはどうとでもなると考えているみたいだ。お互いの国民感情は最悪に悪いからね。」
世論はむしろ戦争を煽る方向のようだ。
「戦争は避けられないって事か。」
「火星の覇権争いだからね。USも引けないよ。」
確かにクサヴェリーのことは置いておいても、ユーラシア連邦に火星を押さえられるのをUSが善しとはしないだろう。
「そしてそこでグレンにお願いがある。僕かグレンが火星侵攻の作戦に招集される事になるから招集に応じて欲しいんだ。」
どちらかが必須で参加しなければならないようだ。
「理由を聞いてもいいか?」
「士官学校へストレートで入るためだ。」
クリストフは少しバツが悪そうな顔で答えた。
「うちの家も代々軍人の家系でね。出世を考えるなら寄り道している暇がない。」
「従軍すれば出世に関係するんじゃないか?」
活躍はしなくとも十分に箔は付くと思うのだが…。
「それは軍人になってからだね。准尉と言う中途半端な身分で従軍するぐらいなら、ストレートで士官学校を卒業して任官する方にメリットがある。」
クリストフは肩を竦めながら答えた。
「発令時期的には俺たちが卒業してすぐになるだろうが、行って帰るだけで1年以上は掛かる計算だ。2年ロスするとなると僕に取ってはデメリットしかなくてね。」
「なるほどな。」
クリストフの話は納得できる内容だった。士官学校を2年遅れで入るとすると、そこには本来の同期から後輩となってしまう。軍と言う縦組織を考えるとそれは由々しき問題だろう。軍人の家系ってやつもなかなか大変そうだ。
「正直あまり気は進まないんだけどな。」
「それはどうして?」
「<シリンダー>に攻撃を加える事に抵抗感があるからな。」
俺はスペース・トルーパーの<シリンダー>への攻撃で両親を亡くしている。自分がその立場に立ちたいと思わない。クリストフは少し考え込むと、
「グレンの場合は、そこが気になるんだね。わかったよ。僕から上申してみる。」
「そんなことができるのか?」
俺は目を見張って尋ねた。作戦内容に口出しできる地位に親族が居ると言うことだろう。前からそうではないかと思っては居たが、基地の部屋を手持ちの端末で押さえられたり、作戦内容に口出しができることと言い、クリストフの親族はかなり高位の軍人なのだろう。
「任せてくれ。」
クリストフは自信満々に答えた。そこまでされれば仕方なかった。俺はクリストフに火星侵攻に参加することを約束した。




