帰郷編6
クスタヴィことクサヴェリーの様子は、以前映像で見たクスタヴィと印象が余りにも違っていた。以前の彼は如何にも神経質そうなナードと言った風情だったが、今はどこからどう見てもジョックにしか見えない。髪を染め、その表情には自信が漲っていた。その顔は幾分若返ったクスタヴィに相違なかった。
「火星圏か…。」
現在、火星には衛星上に各国の研究調査施設があり、わずかな研究員が滞在するだけの場所だ。軌道エレベーターも整備されておらず、これからの開発が待たれる未開の星。それが俺の火星の印象だ。
「クサヴェリーは中尉だったと思うのですが…。」
ヴァレリーはどうやらクサヴェリーの階級が気になったようだ。
「昇進したようだな。時期は不明だ。」
グレック軍曹は手元の端末を見ながら更に続けた。
「しかしこいつは調べれば調べるほど胡散臭いな。資料には今回の<ルナ>戦争を企図した一人らしいぞ。なのに何故火星に居るんだ?」
ユーラシア連邦がマーズ・ラグランジュ・ポイント1に拠点を設置し、所有権を宣言したのは<ルナ>戦争の終結直後のことだ。このタイミングで火星圏に居ると言うことは、<ルナ>戦争にはほぼ関わらずに地球圏を出発していたことになる。
「クサヴェリーが関わっているとなると、噂通り<ルナ>戦争を火星進出の隠れ蓑にするために始めた可能性が高そうですね。」
俺は思ったことをそのまま述べた。クサヴェリーが行動すると、今のところろくでもない結果しか生まれていないからだ。
ユーラシア連邦はUSの目を<ルナ>近辺に集めるために<ルナ>戦争を吹っかける。それは俺の知るクサヴェリーならば十分に考えつく悪辣な内容であると思えた。
「状況証拠を見るとありえるが…。火星はそんなに重要な拠点になるだろうか?」
グレック軍曹は小首を傾げた。<ルナ>を放棄してまで火星を手に入れる価値があるのかと疑問だろう。
「はい。火星と木星の間には小惑星群があります。将来の資源として有望視されており、火星は小惑星群の開発のための重要な拠点となると考えられています。」
その疑問にヴァレリーが答えてくれた。なるほど、資源か。
「あとはUSから距離を置きたかったのではないでしょうか。」
「距離を置く?」
「なるほどな。」
俺は意味を図りかねたが、グレック軍曹には伝わったようだ。
「どう言うことです?」
俺はグレック軍曹に説明を求めた。
「我が軍はこの5年でクサヴェリーの暗殺に何度も失敗している。」
クサヴェリーはUSからすれば裏切り者でしかない。そう言った措置を取られても仕方がないだろう。
「命を狙われる事に辟易したと?」
「あぁ、かなりの回数をトライしている。しかし全て失敗か…。」
手元の端末を見ていたグレック軍曹の表情が曇った。
「はい。私はクサヴェリーがUSからの暗殺から逃れる場所として火星を選んだのではないかと考えています。」
つまりクサヴェリーは資源獲得のための拠点構築に託けてUS軍から命を狙われ難い場所に逃げたと言うことか。確かに火星は遠い。暗殺するためのコストも馬鹿にならないし、リスクも計り知れないだろう。
「しかしそんなことでUSが諦めるとは思えないけどな。」
俺は率直な感想を吐露した。自軍ながらマフィアやユーラシア連邦並みに面子を重んじる面がある。
「そう言う意味では時間稼ぎにしかならないでしょうが、年単位で時間が稼げます。」
「確かに火星圏に行こうとするなら、それだけで最低でも2年は掛かるだろうな。」
グレック軍曹も同意した。
「2年ですら危ういですよ。軍事作戦行動をして帰還まで考慮するとそれが可能な艦船がありません。数週間ではなく数か月補給が受けられませんからね。」
マックス上等兵が声高に異議を唱えた。
「でも火星衛星上に研究施設があるなら、大量輸送や長距離輸送も可能なのではないですか?」
俺はマックス上等兵に疑問を投げかけた。
「はい。それらのノウハウはあります。しかしどれも十分な準備期間があり、軍事作戦ではありません。どんなに急いで準備を進めたとしても、移動にも半年は掛かります。クサヴェリーに時間を与えるのは間違いありません。」
全てはクサヴェリーの思惑通りと言うわけか…。USは完全に後手に回っているな。
「当面はクサヴェリーを追えないが、さっきグレンも言っていたがUS軍はしつこいからな。諜報部も動いているし、作戦本部も動くだろうよ。そうなったらグレンは召集されるだろ。」
「俺がですか?」
「当然ですよ!グレン准尉は英雄ですから!」
またマックス上等兵のテンションが上がってしまったようだ。
「それまでは月でおとなしく学生してるんだな。明日には<ルナ>まで駆逐艦で送還だ。」
「駆逐艦?!大げさですよ。」
「いいえ!そんな事はありません!重要人物だと自覚して下さい!」
マックス上等兵のテンションはどんどん上がっていく。やっぱりこの人怖い。
「民間人を巻き込むわけにもいかないからな。苦肉の策だよ。」
グレック軍曹は苦笑いしながら答えた。確かに民間人を巻き込むのは俺も本意ではない。
「わかりました。」
翌日、俺たちは駆逐艦で<ルナ>に戻った。<ルナ>は<ルナ>戦争の影響もあり、軍施設はかなり強固に人の出入りが制限されている。士官学校も軍施設に入るため、俺の安全はかなりのレベルで維持されているとのことだ。代償として俺は街への買い出しは禁止されている。生活に困ることはないが、少々味気ない学生生活となりそうだ。
休暇は3日ほど早く切り上げることになったので暇が出来た俺たちは、アリサ大尉に会いに行くことにした。しばらく会っていなかったし、学生生活が始まれば忙しくて会えなくなるかもしれないと考えたからだ。街へ出れない俺だが、幸い技術研究所は軍施設のため、数少ない自由に往来できる場所だ。しかし技術研究所を訪ねた俺たちが職員から告げられたのは衝撃の事実だった。
「アリサ大尉が辞めた?」
「えぇ、つい1週間ほど前に退所されました。」
「理由は?」
「詳しくは聞いていませんが、遠くに行かなければならないとかで…。大分上司も引き留めたんですけどねぇ。」
俺はヴァレリーと顔を見合わせた。アリサ大尉の行き先にまったく心当たりがなかったからだ。俺たちに連絡がないと言うのも腑に落ちない。俺たちは妙な胸騒ぎを覚えながら技術研究所をあとにした。




