シリンダー内の日常編3
今日から学校が始まる。俺はグレード10なので、あと3年は義務教育期間だ。トラムの縦路線に乗り学校へ向かう。この時間のトラムは混み合うので徒歩の者も多いが、学校が駅前にあるのとトラムの学割定期が買えるので俺はトラムで通学している。1限目の教室に着くと廊下で友人のダニーが教室が開くのを待っていた。
「久しぶりだな。休み中はどんな調子だった?」
「小遣い稼ぎに家業の手伝いだよ。ソル・ラグランジュ2まで行ってきた。」
「マジかよ。すげーじゃん。ソル・ラグランジュ2はどんなところだったんだ?」
「こっちよりは新しい分きれいだったよ。ただ仕事で行ってるからほとんど街中も歩いてないぜ。」
「そうか。可愛い子は居たか?」
ヴァレリーのことが頭に浮かんだが、気軽に話せる内容ではないしダニーはソル・ラグランジュ・ポイント2での話をしているから対象外だ。
「趣味が分かれるな。俺の行ったシリンダーはアジア系が多かったから。」
「なるほどな。俺も早く別のラグランジュ・ポイントに行ってみたいぜ。」
別シリンダーへはリニアで気軽に行けるし、別<サークル>へも定期便があるので気軽ではないが行けなくはない。ただ別ラグランジュ・ポイントや月<ルナ>、地球<マンホーム>へは日数が掛かるのでおいそれと行けるところではない。
「シリンダー毎にも特色があるけど、他のラグランジュ・ポイントだとまた全然違うんだよ。」
「俺は他のシリンダーぐらいしかわからないからな。想像がつかない。」
「未来の楽しみに取っておけよ。」
「あぁ、そうするさ。」
教室が開いたので中に入る。1限目は船外作業機のシミュレーターだ。壁一面にシミュレーターが並んでいる。俺とダニーは近くのシミュレーターに座った。
時間になると教師が教室に入ってきた。年齢は20代半ばぐらいで若く見える。体格は背が高くかなりがっしりとしたしている。
「今日から船外作業機の授業を受け持つグレックだ。元軍人だからビシビシ行くぞ。」
元軍人か。どおりで体格が良い訳だ。
「さて今日の課題は、コネクトとシミュレーターの教習コースを飛んで貰う。一応1周できれば合格だ。それでは始め!」
俺はシミュレーターに備え付けられている小型のインカムを耳に入れた。事前の予習でマニュアルは読んである。船外作業機もスペース・トルーパーと同じで、AIに音声コマンドを発行する必要がある。そのためのインカムだ。当然ヴァレリーみたいな情緒があるAIではなく何の面白みもない合成音声だ。
「起動シークエンス開始。」
《起動シークエンス開始します。》
目の前にある小さなモニターに起動時のチェック項目が表示される。一つひとつの項目を確認し、指でタップしながらチェックを付けていく。チェックが終わればさっそくコネクトだ。俺は肘掛の先にあるインターフェイス・スティックを握った。
「コネクト開始。」
《イメージ・フィードバックを確認しました。コネクトを開始します。》
視界が暗転し宇宙空間へとなった。視界の右上にミニマップが表示されており、教習コースがマーキングされている。コース上にはリング状のチェックポイントがあり、それを順番通りに通過していく。俺はマニュアル通りゆっくりと進みだした。コースはかなり複雑だ。正直実際にはありえない程に蛇行している。しかし俺はゆっくりではあるが順調にコースを進んで行く。スピードを出さないなら難しくはない。『タロース』に乗った影響もあるのかもしれない。
「コネクトオフ。」
《コネクトを解除します。》
俺は1周を終えたのでコネクトを解除した。視界が教室に戻る。他の生徒の様子を見ていたグレックが驚いたようにこちらを見ていた。
「なんだって?もう終わったのか?」
「はい。1周しました。」
生徒の中にはまだコネクトまで行っていない奴もいた。ただそれは明らかに予習不足だ。
「嘘だろ?お前、船外作業機の操縦したことがあるのか?」
「いえ、ありません。」
スペース・トルーパーには乗ったことがあるが、船外作業機を操縦するのは今日が初めてだ。嘘は言ってないし、スペース・トルーパーの操縦はありますとも言えない。
「今年は凄い奴が居るな。自習でもう2~3周してもいいぞ。」
「了解です。」
周りを見渡すと皆苦戦をしているようだ。コネクト中は身体への動作の指令は、一部を除き機体側に伝わるようにできている。一部の例外は顔周りだ。機械の操縦に不要な表情や音声コマンドを発するために必要な口など動きはそのまま自分に返される。よって表情を見れば苦戦している様子もわかるのだ。
「停止シークエンス。」
《停止シークエンスを開始します。》
俺はもう一度最初の起動からシミュレーションをやろうと思い、シミュレーターを一旦終了させた。この後俺は時間までに2周教習コースを回った。結局この日の完走者は35人中4人だった。
「グレン。凄げぇじゃねぇか。」
「いやー。俺にこんな才能があるとはね。軍の学校に行ってパイロットになればよかったかな。」
「お前の成績じゃ入れねぇよ。軍の学校はエリートしか無理だ。」
「そりゃそうだな。」
俺とダニーは教室から出て次の授業に向かった。次の教科は航宙法だ。基本的には質問がなければ授業はないが、今回の課題の範囲で質問がある。校内端末によると質問の予約番号は4番目なので30分ほど時間があった。
「ダニーは次はなんの授業だ。」
「次は運動だな。」
シリンダー内は遠心力による人工重力で、地球<マンホーム>の環境とほぼ変わらない重力が働いている。ただ宇宙港など無重力地帯もそこかしこにあるので、学校の器具を使っての負荷運動が推奨されている。
「俺も行きたいがあまり時間がないな。」
運動したあとはシャワーが浴びたい。
「じゃあ俺は行くぜ。」
「わかった。質問が終わったら行く。」
ダニーは運動場の方へ歩いて行った。俺は食堂でカフェ・オ・レを飲んで時間を潰すことにした。ここは宇宙空間ではないので普通の液体だ。飲み終えたあとは移動して5分前には教師の部屋に着いた。到着していることを扉の前の端末に読み込ませておく。
前の生徒が出ていき、俺の番になった。
「失礼します。」
部屋の中に入ると教師は妙齢の女性だった。先ほどのグレックと同じぐらいの年齢だろうか。落ち着いて見えるのでこちらの方が年上かもしれない。眼鏡を掛けているが眼光が鋭すぎる。この教師も元軍人なのではないだろうか。顔は美人と言って差し支えないだろうが眼光のせいで損をしている。名札にはキムとある。
「質問内容は?」
「はい、キム先生。航宙法第32条の適用条件についてなんですけど…。」
俺の質問に対して淀みなく答えが返ってくる。かなり優秀そうな先生だ。
「大変よくわかりました。ありがとうございます。」
俺は先生の回答をメモタブレットに記載して退室した。このあとは約束通り運動場でダニーと運動することにしよう。俺は運動着に着替えるべく更衣室へ向かった。