邂逅編5
猛烈な尿意で目が覚めた。まだ眠いが、トイレに行かなければならない。筒状の寝床から出て眠気マナコでトイレに向かう。
「グレン。目が覚めたのですね。」
涼やかな女性の声がした。そちらを見ると美少女が椅子に座っていた。段々と頭が覚醒してきた。
「ヴァレリー?」
「はい。おはようございます。」
「あー。おはよう。」
挨拶をして膀胱が限界であることを思い出した。
「話はあとで。トイレに行ってくる。」
俺はトイレ用の個室に入った。カップ状の受け口に押し付けて排尿することで水分を漏らすことなく上手く回収してくれる。一息ついたところで昨日のことを順に思い出していた。自分がスペース・トルーパーに乗って戦闘するなんて夢みたいな話だ。学校で言っても誰も信じないだろう。だがさっきヴァレリーが居たことで夢ではないことは確定した。
「お待たせ。」
俺はトイレから出てくるとヴァレリーに言った。するとちょうど扉が開いて船長がやってきて俺を抱きしめた。
「よかった・・・。」
「ただいま。養父さん。」
「おかえり。グレン。」
遅れてトニーがやってきて涙目になりながら、
「心配掛けやがって・・・。」
と俺の頭をガシガシ撫でた。
(帰ってこれて本当によかった。)
心配してくれる親と仲間がいる。こんなに嬉しいことはなかった。
「丸2日も目を覚まさないから心配したんだぞ。」
「は?」
どうやら俺は宙賊との戦闘後に気を失って2日間寝ていたらしい。確かに自室に帰ってきた記憶がない。船員が一人減った分の仕事は問題なかったが、俺の看病をする人員までは割けなかったようだ。しかしそこはヴァレリーが看病をかって出てくれたらしい。看護用アンドロイドや介護用アンドロイドは病院に行けばよく見るので、そう言った仕事はアンドロイドに適性があるのだろう。もっとも病院にいるアンドロイドはもっと普通のロボットっぽいものが多いので、ヴァレリーのような見目麗しいのは見たことがない。
「2日も寝てたのか。じゃあそろそろルナ・ラグランジュ・ポイント2に帰ってきた頃か。」
「あと1日ぐらいだな。」
ルナ・ラグランジュ・ポイント2とソル・ラグランジュ・ポイント2との往来には片道8日程度の日数が掛かる。宙賊に襲われた地点はちょうど半分を過ぎた辺りだったので、そのあとの行程は順調であったということだ。
[ぐぅー]
俺の腹が盛大に鳴った。生理現象のオンパレードだ。
「そりゃ2日も経ってりゃ腹も減るだろう。ここは狭いから食堂で話をしよう。」
俺たちは食堂に移動することにした。食堂と言っても椅子と机と飲み物パックの販売機と食料のパワーバーの販売機があるだけだ。販売機と言っても形状的なものでここでは好きなものを選んで無料で飲食できる。養父とトニーはコーヒーを、俺はパワーバーのチョコとカフェ・オ・レパックを持って席に着いた。
「食べながらでいいから聞いてくれ。」
俺はいそいそとパワーバーを開けて食べ始めた。なにしろお腹が減っているのだ。パワーバーを一口。堅いゼリーのような食感で歯ごたえもある。無重力状態で食べるため屑が飛び散らないようにできている。何よりこれを食べている間は体内に完全に吸収されるため排便することもなくなる。必要な栄養素も賄える優れものだ。
「ヴァレリーはうちで使うことにした。」
「は?」
本日2回目の理解を超えた内容だ。戦術用AIを使うということは護衛戦力を置くつもりなのだろうか。ヴァレリーの方を見るとニコニコしながらこちらを見ている。どういうことだ?
「ヴァレリーは元は軍のものだが航宙法でデブリ<宇宙ごみ>扱いとなる。つまりは拾った俺たちに所有権が移る。」
デブリは宇宙生活を送る俺たちにとって危険なものである。いつ飛来して俺たちが生活するシリンダーを破壊するかわからないからだ。そこで人工物のデプリをできる限り排除するように、発見し回収したものには所有権が与えられるのである。デプリ・クリーナーと言う回収だけで生計を立てているものも居る。つまり今回のスペース・トルーパーとヴァレリーもデプリ扱いで俺たちに所有権がある。
「スペース・トルーパーと戦術AIなんて高価なものなのに回収しないのか。」
「おそらくですが、MIA<作戦行動中行方不明>扱いなんだと思われます。別れた地点から大分流されているので。」
捜索はされたが見つからなかったと言う事か。救難信号は出ていたが軍は見つけられず、また往来する輸送船も航路付近でなければ気づけないわけで、航路付近に流されてきて初めて俺たちに発見されたのだろう。
「ただ所有権はあるがスペース・トルーパーの売り先となるとブラック・マーケットか軍しかない。」
ブラック・マーケットはその名の通り非合法な市場である。宙賊たちは喉から手が出るほどスペース・トルーパーが欲しいので需要がある。売っても違法となる。正規の手段としては軍だ。代わりに回収したと言う名目で軍からお金を貰うのだが、正直スクラップでくず鉄屋に売るほうが儲かる程度のお金しか貰えないらしい。
「そういう事情でスペース・トルーパーは扱いが難しいから処分保留だ。ヴァレリーだけ売るわけにいかないから処分が決まるまでうちで使うことにした。」
説明されるとなんとなく納得がいった。しかしヴァレリーは戦術AIだが何をやらせるのだろうか。
「ヴァレリーには何をさせるの?」
「戦術AIなんで戦術特化型らしいが、割となんでもできるらしい。経理をやって貰おうかと思ってる。」
養母と社員の2人でやっているが養母を外すのだろう。AIなら計算は得意だろうしなぁ。
「そういえばヴァレリーは税関通れるのか?」
シリンダー内部への人と物の出入りについてかなり厳格だ。申請なしで通れることはないだろう。
「それは心配ありません。アンダーカバー<秘匿作戦>用の民間機という諸元があるので持ち主だけ変更すれば行けます。」
アンドロイドの諸元は性能や製造元、所有者と言った人間の身分証に相当するもので内蔵されている。通常だとヴァレリーには軍属を示す諸元を持っているのだろうが、アンダーカバー用ということは身分を偽わったものを持っているということだそうだ。
「はー・・・。」
感心するしかなかった。
「スペース・トルーパーはシリンダーに持ち込む必要もないだろうから、船庫の備品倉庫にでも置いとくしかないな。」
船庫は『エーリュシオン』を係留しておく場所で港にある。備品倉庫なら壁があるので隠すことは可能だろう。
「船の中の方が安全なんじゃないの?」
「安全かもしれないがグレンとヴァレリーが居なけりゃデットウェイトだからな。」
護衛戦力にならないお荷物を持って行っても燃料の無駄ということだ。
「グレンが寝ている間に決まったことはこんなところだ。他に何かあるか?」
「いつから仕事に復帰すればいい?」
「防衛圏に入るまで船の仕事はなしだ。」
「えぇ?」
「その代わりヴァレリーがスペース・トルーパーを隠すためにやらなきゃならん処理があるらしいからそれを手伝ってくれ。以上だ。」
船長とトニーは食堂を出て行った。俺はパワーバーの残りを食べながらヴァレリーに手伝いの内容を聞くことにした。
「ヴァレリー。」
「はい。なんでしょうか。」
「やらなきゃならないことって何?。」
「はい。スペース・トルーパーは識別信号を出しているので、その無効化ですね。」
「なるほど。」
識別信号をキャッチされたら軍に隠していることがバレて安値で引き取られてしまうかもしれない。
「作業に必要なものはある?」
「はい。工具をお借りしたいのですが。」
「じゃあ工具を取りに行こう。」
俺たちは食堂を出ると備品室に向かった。そこでヴァレリーと必要そうな工具を見繕い、その後荷下ろし場のスペース・トルーパーへ向かった。