星の海編15
内容は以前「星の海編14」としてアップしたものと同じです。若干修正しています。
俺たちは『イーンスラ』艦の医務室へと連れてこられた。意識は戻ったのがつい数時間前だと言うことから大事を取ったようだ。しばらく医務室で寛いで居ると見覚えのある人たちが医務室へと入ってきた。
「元気そうじゃないですか。意識が戻って何よりです。トニー中尉。いや、ムアンマル中尉の方が良いですかね?」
髭を蓄えた男性は俺に笑顔を向けてそう言ってきた。顔は通信画面で見た記憶がある。だが名前はわからなかった。
「中尉。どうしました?」
俺からの返事がないことに怪訝な表情で男は尋ねた。
「あっ、はい。体は元気なんですけれどね。記憶を一部失っていまして…。貴方の記憶がないんです。」
俺はバツの悪さから苦笑に近い笑顔で答えた。
「またまた~。そんな冗談を~。」
男性は俺が冗談を言っていると思ったらしい。だが俺の困った顔を見て笑みが消えた。そして
「ヴァレリー。中尉の言っている事は本当なのか?」
俺ではなくヴァレリーに状況を確認した。
「はい。残念ながら先の戦闘の後遺症で記憶の欠損が見受けられます。」
ヴァレリーからの回答を受けて、男性は絶句してしまった。
「残念だったわね。フサーム中尉。」
そう言うとフサーム中尉と呼ばれた男性の後ろから女性が出てきた。何故か女性は凄い笑顔だった。
「トニー中尉。いえ、グレン。恋人の私の事は覚えてるわよね?」
「すいません…。貴女のことも…。実は『イーンスラ』のパイロットの方は一人も覚えていないんです…。」
美人と言って差し支えない女性から恋人だと言われるのは悪い気はしないが、恋人なのだとしたら俺はなんと酷い男なのだろうか。恐る恐る女性の表情を伺ったが、特に怒った様子もなく笑顔のままだった。
「ラビーア中尉。恋人なんて嘘を吐くな。トニー中尉が困っているだろう。」
微妙な空気の中を更に後ろから男性が声を掛けてきた。他の男性と同様に髭を蓄えているが端正な顔立ちで先ほどのフサームと呼ばれた男性よりは若く見える。
と言うか嘘なの?恋人じゃないのに恋人って言ってるの?怖くない?
「嘘じゃないですー。キスしたことありますー。」
ラビーア中尉と呼ばれた女性がムキになって反論した。どうやら俺は彼女とキスをしたことがあるらしい。『イーンスラ』は宗教上キスですら配偶者としかできないだろうから、婚約者と言われなかっただけマシなのかもしれない。ただ一切記憶には残っていないし、2人きりの状況でキスをしたと言われるとお手上げだ。
「すいません…。キスの事も覚えてないです。俺が『イーンスラ』のことで覚えているのは、サイフ大臣と軌道エレベーターを使い<マンホーム>へと降りたことぐらいです。」
「そうですか。そのサイフ大臣の弟なのですが覚えていらっしゃいませんか?」
端正な顔の男性がそう言ってきた。大臣の弟…。思い出せそうで思い出せない。頭に靄が掛かったかのようでもどかしい。俺が忘れているだけでここに来てくれた皆には俺との思い出がある。そう思うと大切なものを失ったと言う喪失感が押し寄せてきた。
「医務室で騒ぐんじゃない。トニー中尉の体調もまだ良くないようだ。今日は引き上げよう。」
最後の一人がいがみ合う二人を宥めて医務室から出ようと促した。ラビーアと言う女性と端正な顔の男性はその言葉で大人しくなった。だがラビーアは退室する前に
「待って!お礼だけは言わせて!グレン。貴方のおかげで私たちは助かったわ。ありがとう。」
そう言って部屋を出て行った。それを見た他のメンバーも
「また命を助けられました。あんな化け物に勝てるのはトニー中尉だけですよ。ありがとうございました。」
「本当ですよね。これで命を助けられたの、何度目ですかね。ありがとうございました。」
「煩くして悪かったね。体調はまだ良くなさそうだから、ゆっくり養生してくれ。」
口々に礼を言うと医務室から出て行った。最後に喧嘩を仲裁した男性が俺に温かい言葉を掛けて医務室を後にした。先ほどまでの喧騒が嘘のように医務室に静寂が戻った。静かすぎて寂しいぐらいだ。
「皆良い人たちだったな。」
「はい。」
先程のやり取りだけで俺は彼らに良い印象を持った。彼らと過ごした日々はきっと幸せな時間であったことは想像に難くない。この寂しさは静寂のためだけでなく、きっと彼らとの思い出が失われてしまった喪失感のせいでもあるだろう。
それから『ウデュジャーザ』に着くまでの間。彼らは代わる代わる俺の見舞いにやってきては、色々と話をして行った。
特にラビーアと言う女性はどこまで本気かわからないが、俺がパイロットができないと知ると実家のターミル重工と言う会社の重役のポストを用意するとまで言ってくれた。俺は記憶をなくす前に一体彼女とどんな関係だったのだろうか。覚えていないことが空恐ろしくなり、俺は丁重に断りを入れた。
『ウデュジャーザ』に到着し、俺たちは艦を降りてガストーネ中佐の依頼を果たすべく、アリサ大尉に連絡を取り家を尋ねた。
「いらっしゃい。中に入って頂戴。」
出迎えてくれたアリサ大尉の目は腫れていた。家の中に入るとリビングには小さな男の子が居た。
「こんにちは。」
俺が挨拶をするとアリサ大尉の後ろに隠れてしまった。きっと知らない人間が来たので人見知りをしているのだろう。
「息子のフィリップよ。」
ぱっと見た感じはアリサ大尉に似ていると感じた。だがフリードリヒ大尉にも見える時がある。2人の息子だとこういう顔になるのかと不思議な気持ちになった。
「グレンもヴァレリーもそこに座って。」
俺たちは勧められるままにリビングの椅子へと腰を下ろした。アリサ大尉は飲み物を俺たちに出すとフィリップを抱いて俺たちの前に腰を下ろした。俺は一呼吸置いて淡々と伝えるべきことを伝えた。
「フリードリヒ大尉は名誉の戦死を遂げられました。」
「そうですか…。」
「大尉は敵のエースパイロットとの戦闘で亡くなりました。俺は近くには居ましたが最期の瞬間は見ていません。フリードリヒ大尉は最期まで果敢に戦われました。」
戦死報告がいつからやっているかはわからないが、同僚が残された遺族に故人の最期を伝える慣習だ。宇宙での戦争では死体が戻ることは稀であり、死んだと言う事実だけが伝えられる事になる。だから最期を見た人間が故人の最期を伝えにやってくるのだ。
「ありがとうございました。」
俺の話を聞き終えてアリサ大尉は礼を述べた。戦争の終結はニュースなどで知っているはずで、フリードリヒ大尉から連絡が来ず、同僚の俺が尋ねてきた時点でアリサ大尉も察していただろう。だから彼女は泣いた跡があったのだ。
だが戦死報告を受けてもアリサ大尉は泣かなかった。以前の彼女であればもっと取り乱していてもおかしくなかったが、毅然とした態度を取っている。何が彼女を変えたのだろうか?やはり母になったからだろうか。
「『バルバロッサ』はUS軍に復帰します。ガストーネ中佐がフリードリヒ大尉についても復帰させると言っておられました。適切に申請すれば大尉の恩給も受けられると思います。」
またガストーネ中佐から説明しておいて欲しいと頼まれていた、フリードリヒ大尉のUS軍復帰の話についても説明した。
「そう…。まずは入籍からね。あとやっとフィリップの父親も登録できるわね。」
フリードリヒ大尉は公式には生死不明だったのでアリサ大尉とは事実婚だったようだ。息子の出生登録は『イーンスラ』に出てきた時にしたようだが、フリードリヒ大尉を父親として登録できず私生児としていたようだ。死んでから公的な家族になるとは皮肉なものだ。
「グレンはこの後何か用事があるの?」
「いえ、特に何もありません。もうスペース・トルーパーにも乗れないので別の仕事を探すぐらいですかね。」
「そう。時間があるなら一体どう言う事なのか教えてくれない?」
「わかりました。」
俺はヴァレリーの助けを借りながら自分の今の体の状況をアリサ大尉に説明した。
「状況は理解したわ。療養が必要なら私と一緒にUSを旅行しない?」
「それは構いませんが…。どの『サークル』に行くんですか?」
アリサ大尉は軍を辞めて一般人であるので、USに戻れば普通に暮らして行く事が可能だ。フリードリヒ大尉の枷がなくなった事で『イーンスラ』で暮らす必要がなくなったのだ。今後の事を考えるとUSに戻るのが最善だろう。
「手続き諸々とやる事があるから本土に行こうと思うの。手配よろしくね。」
本土。それは<マンホーム>にあるUS本国の事を指す。俺は宇宙に戻って一週間も経たない内に<マンホーム>へとトンボ返りする羽目になった。




