星の海編9
俺は包囲網の突破を試みていた。バーナードとフリードリヒ大尉も同様に試みるが、結果としては敵機に完全に抑え込まれてた。エース部隊は伊達ではないと言ったところか。だが何時こちらが撃墜されてもおかしくないような状況にも関わらず、俺たちの誰一人として撃墜されていなかった。まるで相手が俺たちを撃墜する意思がないかのようだった。俺たちは圧倒的な戦力差と相手の練度の前に打つ手を失っていた。
《『スヴァローグ1』よりブロードキャスト通信が出されています。受信しますか?》
ブロードキャスト通信とは半径2マイル程度の狭い範囲に対して無差別に通信を送り付ける手段だ。しかし俺は据え置き型戦術AIからのアナウンスに対して回答することができなかった。
「大尉どうしますか?」
俺はリーダーである大尉に対応の判断を委ねた。
《回線を開こう。包囲網へのアタックも一旦休止だ。警戒は怠るなよ。》
「了解。」
《了解。》
俺たちが動きを止めても敵機からの攻撃はなかった。やはり今は撃墜する意思がないようだ。
「回線を開いて受信してくれ。」
据え置き型戦術AIにそう告げると相手からのブロードキャスト通信が流れてきた。
《所属不明のスペース・トルーパーに乗る3名のパイロット。応答せよ。》
俺はその声に聞き覚えがあった。いや、他の2人も聞き覚えがある声だろう。
《クスタヴィ!》
バーナードがその名を叫んだ。
《私の名前はクサヴェリー少佐だ。》
クスタヴィはわざとらしくユーラシア連邦での偽名を名乗った。しかも大尉から昇進している。
(そうか。外れを引いたのか…。)
この状況を俺たちは想定していなかったわけではない。クスタヴィは元々は研究者であり、ナノマシン強化の手術を受けているとは言えパイロットの腕前としては並みでしかない。AIを交えた検討でも、旗艦に乗って指揮している確率は8割程度はあった。
だが実際クスタヴィはスペース・トルーパーに乗り前線に出ていた。旗艦に乗っているよりも何倍もリスクがあるのにだ。
《その声はバーナードか。生きていてくれて嬉しいよ。だが君が『オーディン』で私を殺しに来るとはね。なかなか皮肉が効いているじゃないか。》
バーナードはルナ・ラグランジュ・ポイント4襲撃事件当時に『オーディン』に乗ったクスタヴィを撃墜している。
《さて前置きはこれぐらいにしておいて私たちは君たち3名に対して投降を勧告する。》
《3名?グレンだけでなく我々もか?》
フリードリヒ大尉が懐疑の声を上げた。
《勿論だ。君たちと私たちは同じ『チェンレェン』だろう?》
《『チェンレェン』?》
ユーラシア連邦の言葉のようだが耳慣れない言葉だ。
《失礼。我が国での単語で話してしまっていたね。端的に説明するとナノマシンで能力を強化された人類の事だ。》
どうやらユーラシア連邦内ではナノマシンが強化された者を『チェンレェン』と呼称しているようだ。
《なるほど。ありがたい申し入れだが投降はできない。》
フリードリヒ大尉はあっさりと投降の勧告を退けた。
《なかなか良い提案だと思ったのだがね。君たちの扱いにしても国家所属の捕虜と同等の扱いを考えている。こちらとしては検討するだけの戦力差を見せたのだから大人しく投降して欲しい。》
我々は所属不明機であり、テロ組織と変わらない待遇だ。それを国家所属の捕虜と同じ待遇にすると言うのは破格の待遇と言って差支えがない。クスタヴィは本気で俺たちを仲間に迎え入れたいようだ。
「確かに勝ち目は薄いかもしれない。だが『サークル』を平気で攻撃できるお前の軍門に下るわけには行かない。」
俺も大尉の意を受けてきっぱりと拒絶の意を表した。
《そうか。最後にもう一度だけ問おう。降伏しないか?》
《拒否する。》
バーナードが強い口調で返答した。しばらく間が空いて、
《そうか。残念だよ。》
とクスタヴィが言ったところで一気に戦場に緊張感が戻ってきた。クスタヴィの号令一つで再び戦闘状態に突入するだろう。俺たちは敵の攻撃に備えて身構える。
《ユーハン。殲滅しろ。》
その言葉を最後にブロードキャスト通信は打ち切られた。俺たちは一斉に動き出した。それに呼応するように敵機も動き出す。
だが俺たちの方が少しだけ動き始めが早かった。包囲網の一角に向かって俺たち3機は申し合わせたように殺到した。そこには後からクスタヴィと一緒に来たエース部隊ではなく、旗艦の防衛に当たっていた2機が居たのだ。彼らの練度はお世辞にも高いとは言えなかった。だからそこが穴であると考えたのだ。
《右!》
「左!」
俺とフリードリヒ大尉がほぼ同時に吼えた。俺は左の敵へ向かい大尉は右の敵へ向かった。バーナードが牽制の射撃を行う。ここ数日の訓練の成果が出て完璧な連携で2機を瞬く間に撃墜した。
これで包囲網に穴が空いた。その穴を突いて包囲網から脱出を試みる。しかしそこに立ち塞がった機影があった。包囲網から外れていたユーハン機が先読みしたかのように現れたのだ。
《どけぇぇぇぇっ!》
バーナードが先陣を切って銃撃を始めた。俺とフリードリヒ大尉もそれに続く。だがユーハンには当たらない。
《このまま突破しろ!》
俺たちはユーハン機を中心に3方向に散開した。さすがに1機で3機を押さえる事はできない。そしてユーハンが攻撃目標に定めたのは俺だった。俺はユーハンに向かって牽制の射撃をしながら距離を開けようとするが、ユーハンは流れるような動きでこちらに迫ってくる。手にはブレードの光が見えた。
「プラズマブレード!」
俺も音声コマンドで『タロース』にプラズマブレードを構えさせる。そしてユーハンが接近して攻撃してきたのを迎え撃った。お互いがブレードを振るったが、俺の一撃はあっさりと避けられた。一方俺がユーハンの一撃を躱せたのは奇跡に近かった。動きはほぼ追えていなかったが、勘で避けたのが正解だったようだ。俺とユーハンの動きの精緻さに雲泥の差がある。
「クソッ!」
俺は慌てて距離を開ける。ユーハンは恐らく体感時間10倍以上の世界に居る。引き延ばされた時間の中でインチ単位の動きをしていると思われる。今の俺の状況ではとてもではないが対抗できるレベルではない。接近されてブレードを振るわれれば全てが必殺の一撃だ。
必死に逃げ惑うがレベルの違う動きができる相手からいつまでも逃げる事などできない。目の前に飛び出してきた機体に対して反射的にブレードを振るう。だが俺の一撃はむなしく空を切り裂いただけだった。そして相手が俺に向かってブレードを振り下ろすのが見えた。
死ぬ間際、人はスローモーションのように物事が見える事があるらしい。今の俺はまさにその状態であると思った。
《グレン。お待たせしました。》
ふとヴァレリーの声が脳内に響いた。これも死ぬ前の幻聴だろうか?いやそうではない。ユーハン機が振り下ろすブレードに対して俺は機体を動かして攻撃を躱した。
先ほどまでの水の中にいるような重い動きとは打って変わってスムーズに機体が動く。俺は状況を理解した。
《ヴァレリー。お帰り。》
《はい。ただいま戻りました。》
ヴァレリーの声は幻聴ではなく、ついに自閉モードから帰還したのだった。
《積もり話はあるが後だ。ここを片付けて大尉たちと合流する。》
《了解です。》
俺は再びユーハン機から距離を取った。ユーハンも追いかけてくるがその動きには明らかに戸惑いがあった。
ユーハンは最初俺を警戒して攻撃を仕掛けて来ていた。火星圏でユーハンと戦った時、俺は明らかにユーハンより強かったからだ。その当時の印象からすればユーハンが俺に対して慎重に攻撃するのは理解できた。だが最初の一撃は躱されたものの後の動きはユーハンから見て明らかに精彩を欠いた動きだっただろう。すると一転して苛烈な攻撃を仕掛けてきた。
先ほどの一撃は俺の直前までの動きであれば避けられない一撃だった。だがユーハンの想定に反して俺はその一撃を避けた。ユーハンは今混乱しているはずだ。動きが悪いのは演技かもしれないと考えているかもしれない。
ユーハンは戸惑いながらも俺を追って再び攻撃体勢に入っていた。混乱しているだろうが一連の動きには一部の隙もない。そして攻撃にも問題は見られなかった。敵がヴァレリーと俺でなければ。今の俺にはヴァレリーが居るのだ。
《獲った。》
俺はユーハンの一撃を避けるとカウンターでユーハン機の腕を斬り落とした。




