星の海編4
実家を出た俺はトラムに乗り宇宙港へと向かった。泣きはらした目を隠すことができるのでサングラスを持ってきたのはファインプレーだ。リニアを乗り継ぎ宇宙港での出国手続きが終わったのは出港時刻の直前だった。
『ロンバルディア』が接舷している埠頭は一般旅客が使用する埠頭とは違い、輸送船などが接舷するための埠頭だ。実家の会社が使用している輸送船の『エーシュリオン』も使用していた埠頭なので馴染みの場所である。時間帯的には使用のピーク時刻を過ぎており人影は疎らだった。移動用の自動歩道を使い、もう少しで『ロンバルディア』が見えるかと言うところで
「ムアンマル!」
との叫びが響いた。声の主は後ろからついてきているはずのヴァレリーだ。俺が後ろを振り返ると歩道から外れた場所で男に腕を掴まれたヴァレリーが居た。
「何をする!」
俺は反対側へ移動する歩道に移るとヴァレリーの元へと戻った。男はヴァレリーを連れて脇の通路へと入って行った。
「待て!」
俺は2人を追いかけて通路へと入る。通路の奥の方には扉があり、男はその扉の前で俺を待ち構えていた。男はヴァレリーを自分の前に立たせ、その後ろに半ば隠れるように立っている。そして男の前に立たされたヴァレリーの様子が何かおかしい。ガイノイドは人間相手に危害は加えられないように制限されているが、身の危険に対しては抵抗することはできる。だがヴァレリーは抵抗らしい抵抗をするどころか棒立ちで男の前に立っていた。衣装のせいで表情は見えないが、尋常な状態ではなさそうだ。
「やぁ、グレン准尉。久しぶりだね。」
ヴァレリーを攫った男は見知った顔であった。US軍諜報部のグレッグ軍曹だ。
「何のことを言っている?物取りか誘拐か知らないがその人を返して貰おうか。」
一応変装をし、今の身分は『イーンスラ』のムアンマルだ。無駄な抵抗とはわかりつつも一縷の望みに掛けて芝居を打った。しかしグレック軍曹はそんな俺を一笑に付すと
「いやいや、顔を変えられるって聞いていたけどその顔はどう見てもグレン准尉だろ?ヘタクソな変装もしてるが、声もそのままじゃないか。」
と言い放った。ぐうの音も出ない。そして何より顔を変えられる事を諜報部に掴まれている事に驚いた。
「それにこれは人ではなくガイノイド『HTX-02』。マスターコードが効いているのが何よりの証拠だ。返してくれと言っているがヴァレリーはUS軍の備品だからな。君が横領しているんだよ。」
聞き慣れないマスターコードと言う言葉が気になったが、ヴァレリーの様子を見るにガイノイドの動きを制限できる代物のようだ。俺は無駄な抵抗を諦めて交渉することにした。
「…。お久しぶりですね。グレック軍曹。」
「よく覚えていてくれたね。嬉しいよ。何年ぶりになるだろうね?」
「4年ぶりぐらいでしょうか。」
「そうそう。そうだったな。最後に会ったのは…。」
「このルナ・ラグランジュ・ポイント2ですよ。」
「そうだった。そうだった。思い出したよ。グレン准尉は記憶力が良いな。」
世間話のような会話が続く。何か意味があるのだろうか。それともただの時間稼ぎだろうか。
「あの時は真逆ですね。軍曹には連れて行かれたヴァレリーの救出を手伝って貰った。」
「そうだったな。だがあの時は味方同士だった。さて今はどうだろうか?」
グレック軍曹の言葉から推察すると俺を敵と認識しているようだ。戦闘中行方不明の兵士が生きていて原隊復帰していなければ脱走兵だ。それは致し方ない。
「諜報部ならばマーズ・ラグランジュ・ポイント1でUS軍がやったこともご存じでしょう。」
「勿論。色々と後始末もさせられたよ。気持ちはわからんでもないが、その後の行動は良い事ではないぁ。脱走に横領に情報流出だ。」
確かに正論ではある。俺に並べられた罪状を鑑みるに行動は筒抜けであったようだ。
「それで俺をどうするつもりですか?」
脱走兵の既定路線としては捕縛されたあと<ルナ>に送られて軍事裁判に掛けられる事になるだろう。しかしグレック軍曹の回答は想定外のものだった。
「それは君が決めればいい。今回の私の任務は君の意思を確認することだ。」
「どう言うことですか?」
「時間が余りないのでね。本件に入らせて貰うよ。US軍に復帰する意思はあるかい?」
「…。ありません。」
グレック軍曹は俺の質問には答えずに強引に話題を変えてきた。時間がないのにさっきまでの世間話はなんだったのだろうか?
そしてUS軍への復帰だがスペース・トルーパーが無い状態であれば選択肢の一つであった。だが『バルバロッサ』と合流し、スペース・トルーパーを得た今では選択肢に入らない。しかし質問からすると俺の生存は公にはされておらず、脱走兵扱いではないようだ。
「帰るつもりがあるならとっくに帰ってるよな。じゃあ次の質問だ。」
「待って下さい。俺は脱走兵になっているのではないんですか?」
俺は素直に疑問をぶつけた。
「君はまだ戦闘中行方不明のままだ。君の生存を知っているのは極一部の人間だけだ。」
「何故そんなことに?」
「色々と都合が良いからさ。では時間が無いので次の質問だ。クスタヴィ様の元に来るつもりはないか。」
その言葉を聞いた途端、心臓が早鐘を打ち始めた。グレック軍曹は今なんと言った?何故軍曹の口からクスタヴィの名前が出てくるんだ?しかもクスタヴィの仲間になれだと?血液は送られているはずなのに顔から血の気が引いて行くのが分る。頭も上手く回らない。
「グレン准尉を高く買っておられてねぇ。パートナーとして迎え入れたいらしいよ。」
グレック軍曹は言葉を紡いでいるが頭の中に入ってこない。都合が良いのはUS軍ではなくクスタヴィと言う事か…。そして顔が変えられる事もクスタヴィ経由ならば知られていてもおかしくない。クスタヴィの戦術AIであるアーシュラには俺が顔を変えられる事を知られている。そこで重大な事に気づいた。
「諜報部はクスタヴィと繋がっている…。」
思わず口をついて言葉が漏れてしまった。グレック軍曹の顔を見るとニヤニヤと笑っていた。その笑いはきっと俺の言葉についての肯定だ。
「返事を教えて貰いたいな。」
「俺はクスタヴィの元へ行くつもりもありません。」
「そうか。2つともなかなか魅力的な提案だと思うけどね。今の死人のような状態よりはずっと良い環境になると思うんだけど。」
「クスタヴィの名前が出た時点で貴方の事は信用するに値しなくなりました。」
「なるほど。君からすればそうかもな。まぁ、選択権は君にある。羨ましい限りだ… 」
「グレン!伏せろ!」
グレック軍曹が話し終わらない内に後方から声が聞こえた。俺はその声に反応しその場にしゃがみ込む。
銃声が2斉射鳴り響き、その場に血球が浮かぶ。次の瞬間グレック軍曹はヴァレリーの背中を蹴っ飛ばし、その反動で後方の扉の向こうへと消えて行った。
俺は流れてきたヴァレリーを抱き止めた。そこへラウル曹長が俺の元へ駆け寄ってきた。
「大丈夫か。グレン准尉。」
「俺は大丈夫だ。ありがとう。ラウル曹長。」
俺はヴァレリーを抱きかかえながらラウル曹長に礼を言った。
「駄目だ見失った。」
そう言いながら扉の向こうを確認していたピッポ上等兵が戻ってきた。
「わかった。発砲してしまったから急いでここを離れよう。」
俺たちはヴァレリーを抱きかかえてラウル曹長たちと『ロンバルディア』へと戻った。『ロンバルディア』は俺たちを収容すると即座に宇宙港を出発した。
「本当に助かったよ。ありがとう。ラウル曹長。ピッポ上等兵。」
「戻りが遅いから見に行ってよかったぜ。戻ってこないとそのまま置いて行くところだ。俺たちはグレン准尉が戻ってきてくれるって信じてたからな。」
どうやら『ロンバルディア』の皆は俺が戻らず、ルナ・ラグランジュ・ポイント2に家族と残ることも想定していたようだ。
「何言ってるんだ。俺抜きでクスタヴィに勝てるわけないだろ。」
「そうだな…。期待してるぜ。エースパイロット様。」
「勿論だ。だけどその為にはヴァレリーを診て貰わないと。」
ヴァレリーは充電中のスリープモードのように動かない。先ほどグレック曹長が言っていたマスターコードとやらのせいだろう。
「診て貰うって言っても誰に?ガイノイドの専門家はここには居ないぞ。」
既にルナ・ラグランジュ・ポイント2も出発してしまった。発砲したこともあり戻る事も難しいだろう。
「整備班のデュークとウルズラに頼むしかない。とりあえず格納庫へ行こう。」
「わかった。」
俺とラウル曹長はヴァレリーを連れて格納庫へと向かった。




