<マンホーム>編12
ロンドン・スペーストレーディングの社内は落ち着いた雰囲気の内装で会頭のヴィルヘルムの趣味なのか、どことなくリースマン商会の社内を彷彿とさせた。オフィス自体はそれほど広くなく、社員も数える程しか居なさそうだ。
ヴァレリーによると他の国にもいくつかフロント企業が存在しているとのことなので、リースマン商会ロンドン事業所としてはこれで十分な規模なのかもしれない。
俺たちは入口付近にある応接室に通され、そのまま勧められて席に着いた。
「失礼ですがこの名刺カードをどこで手に入れられましたか?」
壮年の紳士の態度は物腰柔らかに見えるが、警戒の色が濃かった。
「ご本人から頂きました。『トルトゥーガ』でお世話になった事があるんですよ。」
俺は笑顔でそう答えた。名刺カードは偽造が難しく、持っている人間が知り合いである事を証明するには打ってつけのアイテムだ。
「ほう、そうですか。それで当社にはどう言ったご用件でしょうか。」
紳士から警戒の態度が消えることはなかったが、『トルトゥーガ』の名前が出た事で納得はしたようだ。
「仕事に依頼でヴィルヘルム会頭に連絡が取りたいのです。ご存じの通り『トルトゥーガ』は一般人が連絡を取るには難しい場所なので…。こちらならば連絡が取れるかと思い足を運んだのです。」
「…。なるほど、わかりました。確認して参りますのでお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「グレンと言って頂ければわかります。」
「グレン様ですね。少々お待ち下さい。」
そう言うと壮年の紳士は部屋から出て行った。
「上手く行きそうですね。」
「あぁ、物分かりが良い人そうで助かったよ。」
警戒されているのでヴィルヘルムまで繋いで貰えないかと思ったが、なんとかなったようだ。だが壮年の紳士が警戒するのも無理ないだろう。20代の青年が裏に隠れているはずの会社の会頭の名刺カードを持って現れたのだ。しかも大金持ちの子息であると言った風体でもなく、ごく平凡そうな青年がである。『トルトゥーガ』と言う場所の懐の広さでなんとか納得はして貰っているが、あの紳士は混乱しているに違いない。
「お待たせ致しました。こちらへどうぞ。」
壮年の紳士に連れられて俺たちは応接室から社内を通り抜けて社長室と書かれた部屋へと案内された。更に紳士は壁面に歩み寄ってパネルを操作すると只の壁だと思っていた場所が開いた。どうやら隠し部屋があるようだ。
俺は壁面に開いた入り口から中を覗き込んだ。部屋の中には端末が一台鎮座しており、広さも人が2人も入れば一杯になるような広さだった。
「繋がっていますので文章を入力して頂ければヴィルヘルム様に届きます。」
「わかりました。ありがとうございます。」
紳士にお礼を言うと俺は部屋の中へと足を踏み入れた。ヴァレリーもそれに続く。俺は端末の前にある椅子に座ると端末に文章を打ち込み始めた。
確か『トルトゥーガ』は<ルナ>軌道より更に遠くに在ったはずだ。通信のタイムラグは恐らく3~4秒程掛かるだろう。音声通話だと聞き取れなかったり、聞き取り間違った場合余計なロスを生む。宇宙規模の遠隔地との通信を考える時、文字での通信が一番ロスが少ない通信手段なのだ。
俺は用件を書き連ねて送信した。遠隔地とのリアルタイムの通信を行う場合は、簡潔でわかりやすい文章を書く事が肝要だ。たっぷり10分ほど待って返信が返ってきたところでそれを実感した。それだけやり取りに時間が掛かるのだ。
ヴィルヘルムからの返信には幸運にも『バルバロッサ』がルナ・ラグランジュポイント1に出張ってきていることを伝えていた。そのついでに俺たちの回収をしてくれる事になりそうだ。ついでなので料金もかなり安くなるとのことだ。大変助かる。ヴィルヘルムに礼と詳細な情報はロンドン・スペーストレーディングの社員へ引き継いでおく旨を返信して席を立った。これで回収して貰える目途は立った。 部屋を出たところで外で待っていた壮年の紳士にロケットのフライトプランを渡し、ヴィルヘルムへの送信を依頼した。契約書や前金の支払いを行っている最中に暇を見つけバーナードに宇宙での回収の目途が立った旨を連絡しておいた。前金をターミル重工の名義で決済し、全ての準備が終わったところでオックスフォードへと戻った。
翌日から俺とバーナードはロケットの打ち上げ準備を進めた。ロケットクラブのOBだと言う老人たちの指示の元、大学の南西にある丘陵地に発射台の設営とロケットを組み立てを行うのだ。資材をロケットクラブの倉庫から運び出し、俺とバーナードがワーカーマシンを駆って既にある基礎に発射台を組み立てていく。
ワーカーマシンは土木建築用の工作機械で、イメージ・フィードバックでの操縦が可能だ。バーナードは無事ワーカーマシンは動かせることが判明した。治療の成果は出たようだ。発射台の設営とロケットの組み立ては3日間で完了した。最後の1日でロケットへの燃料の搭載が完了し、あとは打ち上げるだけとなった。
打ち上げ当日、天候は良好で打ち上げは問題なしとの判断が下された。発射台から少し離れた場所に立てられた小屋で俺たちはパイロットスーツに着替えていた。払下げられた旧型の官営品だろうが、確認したところ正常に動作していそうだ。これなら特に問題はないだろう。
「しかし思っていたよりロケットは新しいんだな。」
「倉庫にあったロケットはほとんどOBたちが趣味で集めた骨董品よ。あれに比べてば今回の物はレジャー用とは言え数倍は性能が上よ。」
モニターを見つめながらシンディが答えた。ここはロケット発射のためのコントロールセンターでもある。ロケットはここから遠隔操作で発射されるのだ。そのためシンディはここで打ち上げまでの事前チェックを行っているのだ。
「技術の進化万々歳ってところか。」
「そうね。昔は国を挙げて行っていた事が個人レベルで出来ると言うのは間違いなく技術の進化のお陰ね。それには感謝しているわ。」
ロケットの打ち上げが失われるであろう技術であったとしても素材や燃料、その他の技術は進化している。そのことによりロケットの打ち上げは、昔に比べてより簡単にそしてより安価に行えるようになっているのだろう。
「さてそろそろロケットに乗り込んで貰ってOKよ。行ってらっしゃい。」
「ありがとう。シンディ。行ってきます。」
「お礼は無事打ち上ってからで良いわよ。」
俺たちは小屋を出るとロケットクラブのOBが運転するトラックの荷台へと乗り込んだ。そして発射台まで送って貰う。車であれば小屋から発射台まですぐだ。発射台に到着するとトラックの荷台から降りて発射台のエレベーターに乗り込んだ。エレベーターが止った先にはロケットの入り口があった。
俺とバーナード、そしてヴァレリーはそこからロケットに乗り込むと、それぞれ事前に決めていた席へと着いた。ロケット内部は思っていたより広い。特に居住用の機能を大幅にオミットしたので余計にスペースが空いているのだろう。俺たちは安全ベルトの装着を確認し、発射までの時間を待った。
《全ての確認が完了したわ。心の準備はOK?》
シンディから通信が入る。コントロールセンター側の最終確認が完了したようだ。カウントダウンを始めれば俺たちは大気圏外へと旅路へと出発することになる。
俺はバーナードとヴァレリーの顔を順に見た。二人とも俺の視線に気づくと大きく頷いた。
「シンディ。こちらもいつでもOKだ。」
《OK。5分前からカウントを開始します。300、299、298…。》
シンディがカウントダウンを始めると同時にロケットに灯が入ったかのように稼働を始めた。5日間は短いようで長かった。だがこれでバーナードと共に監視を掻い潜って宇宙へと上がることができる。そしてルナ・ラグランジュポイント2に居る義両親を助けに行くこともできるはずだ。
《3、2、1、0! リフトオフ!》
シンディのカウントダウン終了と共に俺たちの体はシートに押し付けられた。ロケットが<マンホーム>の重力と引力を振り切るために推力を吐き出しているためだ。
どれぐらいの時間が経っただろうか。もう加速力は感じなくなっていた。そして体が軽くなったように感じられた。そして唐突にシンディの声が聞こえた。
《おめでとう。打ち上げ成功よ。》
こうして俺たちは再び宇宙へと戻ってきたのだった。




