<マンホーム>編7
昨夜はジョン博士とその奥さんへの挨拶もそこそこに、空いている部屋に泊まらせて貰った。しばらくオックスフォードに滞在することになるが、部屋は空いているので住んでも良いとジョン博士と奥さんは言ってくれた。もし嫌なら部屋も探してくれるとのことだが、どの程度の期間ここに居られるかもわからないのでしばらくは厄介になろうと考えている。
翌朝、朝食を頂いてから俺たちはジョン博士の研究室へと向かった。ジョン博士の家から研究室までは徒歩圏内で、歩いて10分程度で着くらしい。
昨夜着いた時には暗くてわからなかったが、辺りを見回すと町並みはレンガ造りの家が多く『イーンスラ』の『ニューフューシ』や『シリンダー』とは全く違っていた。まるで映像の中の世界のようで現実感がない。
物珍しく辺りを見回している内にジョン博士の研究室に到着した。研究室があると言う建物の外観も街並み同様にレンガ造りで歴史を感じさせる物であったが、内部はそれなりに近代化されており外観とは全く違う印象だった。ジョン博士が研究室と思われる扉を開いて中へ入ると、俺たちもそれに続いた。
「バーナード君。もう来ていたのか。」
「先生。おはようございます。」
研究室の中には比較的長身の男性が端末を片手に何か作業をしていた。年の頃は30歳ぐらいだろうか。学生と言うには歳を取り過ぎている。しかし体格や身のこなしはあまり研究者と言う感じではなく、どことなく同業者を思わせた。
「紹介しよう。今日から研究を手伝ってくれるムアンマル君だ。」
「よろしくお願いします。バーナードさん。ムアンマルです。」
そう言うと俺は手を差し出した。
「よろしく。呼び方はバーナードでいい。」
そう言ってバーナードは手を握り返してきた。表情はにこやかと言う雰囲気ではなく、どことなく硬さが感じられた。
「そしてこちらも研究に協力してくれる。AIのヴァレリーさんだ。」
ヴァレリーはフードと顔を覆っていた布を取るとバーナードに挨拶した。
「お久しぶりです。バーナード。」
その瞬間バーナードは手に持っていた端末を床へと落とした。先ほどまでの硬い表情とは打って変り、大きく目を見開いた驚愕の表情へと塗り替えられていた。
「ヴァレリー…なのか…。本当に?え?何故?どうやって…。」
バーナードは完全に狼狽している。バーナード…。そして俺はやっとその名前の心当たりに気がついた。彼はフリードリヒ大尉やキム少尉と共にUS軍パイロットのナノマシン強化計画『セイズ計画』に参加していたパイロットの一人。以前の『ヘーニル』のパイロットであり、ヴァレリーの最初のパートナー。そして俺の両親を死に追いやったルナ・ラグランジュ・ポイント4襲撃事件の原因の一人であるバーナード少尉だったのだ。
「はい。貴方と『ヘーニル』に乗っていたヴァレリーです。」
「おや?知り合いかね。世間は狭いねぇ。」
バーナードの狼狽ぶりなど意に介さぬような雰囲気でジョン博士は言った。
「どうやらヴァレリーと面識があるようです。私はバーナードとは初対面です。」
立ち直っておらず返事ができそうにないバーナードの代わりに俺が説明する。
「そうですか。旧交は後で温めて貰いましょう。バーナード君はムアンマル君のデータを取る準備をして下さい。」
しかしバーナードからの反応はない。
「バーナード君!データ取得の準備です。」
ジョン博士が強めの口調で言うとハッとした表情をして
「わかりました…。」
と答えると博士の依頼を行おうと動き始めた。しかしその動きはひどく緩慢で先ほどとは別人のようだ。ヴァレリーがここに居ることが余程ショックだったのだろう。
「ヴァレリーさんは私とこちらへ。」
「はい。」
そう言うとジョン博士はヴァレリーを連れて隣の部屋へと行ってしまった。
「ムアンマル君。こちらへ…。」
バーナードは絞り出すような声でそう言うとジョン博士たちとは違う部屋へと歩いて行く。俺はそれについて行った。
「ムアンマル君とヴァレリーさんについては今日はここまでとしましょう。一旦ランチタイムにします。」
昼を少し回ったところでジョン博士がそう言った。終わるには少し早い時間ではあるが、今日は俺とヴァレリーの基礎データの収集が目的だと聞いていたので全てのデータが揃ったのだろう。
データの収集を手伝っていた生徒たちは食堂に行こうと話をしている。バーナードの様子を伺うとまだ作業をしているようだ。
バーナードはヴァレリーが気になっていただろうが、ヴァレリーはずっとジョン博士とデータの取得を行っていて、バーナードとほとんど顔を会わせていない。
逆に俺はずっとバーナードと一緒であったので、彼のやきもきしている感じをずっと見ていた。
「バーナード君も今日は上がってくれていい。」
バーナードはハッと顔を上げるとジョン博士に言った。
「しかしデータの整理を…。」
「そちらはシンディ君たちにやってもらう。君は私の代わりにムアンマル君たちを家まで送り届けてくれないか。」
バーナードが何か言おうとする言葉を遮ってジョン博士はそう告げた。
「… わかりました。失礼します。」
バーナードは博士にそう言うと俺の方を向いて
「行こう。」
と促した。
「お疲れさまでした。失礼します。」
俺とヴァレリーもジョン博士と手伝いの学生たちに向かって挨拶すると研究室を後にした。
「少し時間をくれないだろうか。」
研究室のある建物を出たところでバーナードはそう言った。
「ヴァレリー。どうかな?」
「ムアンマルが構わないなら、問題ありません。」
「大丈夫ですよ。」
バーナードにそう答えると
「ではランチを買って俺の家に行こう。」
と言って歩き始めた。
「どうぞ。」
「失礼します。」
バーナードの家は研究室から15分ほど歩いたところにあるアパートメントの一室だった。玄関の先にはリビングダイニングがあり、小さいながらもキッチンも付いていた。
ダイニングにあるテーブルに買ってきた昼食を広げると、俺とバーナードはダイニングテーブルを挟んで向かい合って座った。ダイニングテーブルには2脚しか椅子がなかったので、バーナードが奥の部屋からヴァレリーの分の椅子を1脚運んできてダイニングテーブルの近くに置いた。
「じゃあヴァレリー。俺と別れてからのことを話してくれるか。」
「わかりました。」
バーナードと俺は昼食を摂りながらヴァレリーの話を聞いた。ヴァレリーは偶然俺の乗っていた輸送船に回収されたところから話始めた。そしてその後キム少尉と再会したこと。再びUS軍に所属した事。フリードリヒと同じ部隊で任務に就いたこと。そして…。
「クスタヴィは生きています。」
クスタヴィが名前をクサヴェリーに変えて生きている事。その事をヴァレリーが伝えた時、それまでずっと厳めしい顔をして話を聞いていたバーナードがふと笑ったように思えた。しかし次の瞬間には天を仰ぎ顔を両手で覆ってしまった。
「そうか…。俺がやった事は全て無益だったか…。」
ぽつりとバーナードが呟いた言葉には絶望の色が浮かんでいた。そして上に向けていた顔をこちらに向けると
「すまないが今日の所は帰ってくれないか。」
と告げた。唐突な申し入れだったが、思うところがあるのだろう。俺とヴァレリーはバーナードの部屋から辞去した。




