<マンホーム>編4
ナスリーに連れられて、俺たちは『イーンスラ』の地上側の首都と言うべき『ニューフューシ』へとやってきた。『ニューフューシ』はインド半島の西側にある諸島を埋め立て、橋で繋いで作られた都市だ。軌道エレベーターと『イーンスラ』が租借しているインド半島にある国際空港とを繋ぐリニアのちょうど中間地点にあり、『グラウンド・ポート』からおよそ300マイルほど離れたところにある。
俺たちがリニアの駅を出るとそこには熱気と喧騒が渦巻く街があった。
「ここは活気がありますね。」
道のそこかしこに人が溢れており、また建物が所狭しと立ち並んでひしめいていた。悪く言えば雑然とした雰囲気で軌道エレベーター周辺の整然とした雰囲気とはまったく違っていた。
「こちらは古くからの街ですからね。」
サイフが居ると言う官邸に徒歩で向かいながらナスリーが街について説明してくれた。『ウデュジャーザ』ができるまでは、『ニューフューシ』が首都を担っていたが、何しろ狭い国土だ。拡張に限界が来ていた。そこで首都機能のほとんどを『ウデュジャーザ』へと移転したのだそうだ。だが外交の中心は未だに<マンホーム>が中心だ。だから『ニューフューシ』にも首都機能の一部は残されているのだそうだ。
駅から五分ほど歩いただろうか。俺はヴァレリーに声を掛けた。
「ヴァレリー。脚の調子はどうだ?」
「はい。快調です。」
ヴァレリーは<マンホーム>の重力と気温に対応できていなかったようで、歩行機能などに不調が出ていた。そのため『グラウンド・ポート』を出る前に工房で、この地域に合ったセッティングをして貰ったのだ。どうやらセッティングは機能しているようだ。俺たちの歩く速度にもついてこれている。
「あそこが官邸になります。」
ナスリーが指す先には歴史を感じさせる塀に囲まれた建物が建っていた。もう目と鼻の先だ。ナスリーは門扉の前にある守衛小屋と思われる建物に近づいて行った。そして何か話しかけるとすぐに堅牢な門扉が押し開けられた。
「行きましょう。」
俺たちはナスリーの後に続き、建物の中へと入って行った。
「わざわざすまないね。グレン君。そこに掛けて少し待っていてくれ。」
部屋に通されるとサイフが執務を行っていた。今は手が離せないようだ。俺はナスリーに促され席に着いた。ヴァレリーは俺の後ろに控えている。
ナスリーが入れてくれたコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れて口を付ける。
良いコーヒーなのだろう。いつも飲むコーヒーとは香りが段違いだ。飲み物を飲みながら辺りの様子を伺うと、歴史ある建物らしく内装は非常に落ち着いた雰囲気で、また空調が効いており外の熱気が嘘のような環境だ。
「待たせたね。」
そうは言いながらサイフは執務卓から応接卓へとやってきて俺の向かいに腰を下ろした。
「これが君の『イーンスラ』国の身分証だ。名前はムアンマル。生体データは素の君にしてある。」
サイフはナスリーから受け取った身分証を目の前の机に置いた。俺はそれを受け取って確認する。現地の言葉は読めないが、英語名はムアンマルと書いてあることが読み取れた。偽名で発行したようだ。
「ありがとうございます。」
「こちらこそ。『ノーヴィ・チェレポヴェツ』は非常に興味深い内容だったよ。」
「そうですか。」
サイフの表情からは真意は読み取れなかったが、貴重な情報であることは間違いないだろう。
「そちらのガイノイドにも擬装用の諸元を用意しておいた。あとでナスリーに工房まで案内させよう。」
「ありがとうございます。」
随分と気前が良い。サイフが言う通りレポートの内容を評価して貰ったようだ。こちらとしては大変助かる。
「今日来て貰ったのはグレン君に聞きたいことがあってね。」
サイフがそう言うと応接卓のコンソールを操作した。向かって左にある壁面に映像が表示された。
「これは?」
「主だったナノマシンを製造している会社の一覧とその株主構成だ。」
俺の知っている会社であるとJJ社があった。
「レポートの内容から少し気になって調べてみた。そこで分かったことだが、どうやらユーラシア連邦のフロント企業がこれらの会社の株を買っているようだ。」
サイフがコンソールを操作すると一部の株主の色が変わった。それらがユーラシア連邦の息の掛かった企業なのだろう。名前だけではユーラシア連邦の企業とはわからないところばかりだ。
「乗っ取りですか?」
ユーラシア連邦はナノマシン技術の囲い込みを画策しているのだろうか?
「そこまで派手にはやっていない。どちらかと言うと今後の株価が上がるのを見越しての下準備と言ったところだね。」
確かにマーキングされたフロント企業は、それほど多くの株を持っているわけではなさそうだ。売り抜けるための株を目立たずに増やしているようだ。
「そこで聞きたいのがナノマシン強化の副次効果についてだ。君が顔を変えられるように、なんらか有用な副次効果が発見されていないかと思ってね。」
サイフにはナノマシンで出来ることについて全てを話していない。サイフがあまり興味を示さなかったからだ。
「心当たりはありますが、2例しかありません。再現性も不明です。」
「聞かせて貰えないだろうか。」
柔和な表情ではあるが有無を言わせぬ圧を感じる。内容的には言ってしまっても問題ないだろう。
「若返ることができます。」
「ふむ…。」
返事はしたもののサイフの反応は鈍い。思考の海に飲み込まれたようだ。しかし数秒の沈黙の後、サイフが口を開いた。
「なるほど。辻褄は合いそうだ。追加の調査が必要だな。」
誰ともなしにサイフは呟いた。
「グレン君ありがとう。参考になったよ。」
「いえ、お役に立てて光栄です。」
「あと君に頼みたい事があるのでもう数日ここに逗留して貰う。宿はこちらで手配してあるので、こちらもあとでナスリーに案内させる。『ニューフューシ』に居る間は自由に過ごして貰って結構だ。」
「わかりました。」
レポート提出でお役御免と思っていたが、サイフはまだ俺に仕事をさせたいらしい。ただこの街では自由行動が許されたので『グラウンド・ポート』での軟禁状態からは解放されたようだ。
「ではナスリー。グレン君をアンドロイド工房へ案内して、その後宿まで案内してくれ。」
「かしこまりました。」
サイフはそう言うと席を立った。俺たちはサイフに別れを告げ、官邸を後にした。そしてナスリーに工房まで案内され、ヴァレリーの諸元を書き換えた。書き換えはそれほど時間は掛からなかった。その後ナスリーはサイフの言いつけ通り、俺たちをホテルまで案内した。
ホテルは『グラウンド・ポート』ほど高級なところではなかったが、グレードは十分に高そうだ。
案内された部屋に入ったところで俺は眩暈を感じた。倒れそうになった俺をヴァレリーが支えてくれる。
「グレン。大丈夫ですか?」
「あぁ…。」
「こちらに座って下さい。」
ヴァレリーはそのまま俺をベッドの横へと連れて行ってくれた。そして俺はベッドに腰を下ろす。
「ヴァレリー。俺の状態は?」
「少し脳が腫れているようです。」
<マンホーム>へ降りてから体調が芳しくない。些細な不調が襲ってくるのだが、数分もすれば治ってしまうと言うのを繰り返している。
「病院へ行った方が良いかもな。」
「そうですね。ナスリーさんに手配をお願いします。」
そう言うとヴァレリーはナスリーに連絡を取り始めた。5分も経つと、立っている事も困難であった眩暈が嘘のように引いていた。一体俺の体はどうしてしまったのだろうか。不安を抱きつつその日は就寝した。




