雌伏編1
US軍が火星圏にあるユーラシア連邦の『サークル』を攻撃したことは、ユーラシア連邦によって広く喧伝された。しかしUS政府はこれを否定。『ノーヴィ・チェレポヴェツ』が全くの無傷であったこともあり、世論はユーラシア連邦の声明には懐疑的であった。
それだけ『サークル』への攻撃は人道に反した攻撃であり、選択される攻撃オプションではないのだ。未だ7年前のルナ・ラグランジュ・ポイント4の事件も皆の記憶に新しい。そのような状況で『サークル』に対して攻撃がされたと言う話は、にわかには信じられなかったのだろう。
ユーラシア連邦はと言えば『ノーヴィ・チェレポヴェツ』が無事であったのは人民軍が優秀であることの証左だと吹聴したが、それもまた事実とは異なっていた。
真実を知る者は少なく、両国の言い分が食い違うため人々は信じたい情報を信じるのみだった。地球圏の人間において火星圏は遥か遠い異国の出来事でもあったからだ。
事実としてUS軍は『ノーヴィ・チェレポヴェツ』を占拠できず、火星圏の進出に失敗した。『トルトゥーガ』に帰ってから知ったことだが、虎の子の『リオ・グランデ』は帰還したようだが、事実上『リオ・グランデ』艦隊は瓦解、後発していた占領部隊もUターンするはめとなったようだ。スヴェン隊の皆は無事だろうか。それだけは気がかりだった。
US軍の今後の動向だが、ガストーネ中佐の見立てに拠ると好戦派は失脚し、表立った攻撃作戦は暫く無くなるだろうとのことだ。それが良い事か悪い事かはわからない。クサヴェリーがそのまま大人しくしていれば良いのだが、戦争を望む奴の事だ。きっと何かを仕掛けてくるだろう。
「グレンはこれからどうするつもりだ。」
『トルトゥーガ』への帰還途中のある日、フリードリヒ大尉と食事を摂っていると唐突に質問された。
「まだこれと言って考えてないですね。US軍にはあまり戻りたくないですし…。」
US軍が『ノーヴィ・チェレポヴェツ』を攻撃したと言う事実は、俺に多少のショックを与え恐怖を刷り込んだ。それはいつか『サークル』を攻撃せよと言う命令を下されるのではないかと言う恐怖だ。軍人に取って命令は絶対である。その可能性を目の当たりにした以上、軍には所属していたくないのが本音だ。
幸い俺は戦闘中生死不明扱いになっているだろう。ヴァレリーも紛失扱いとなっているだろうから、目立たなければ隠遁生活を送ることは難しくはないだろう。。
「行くところがないなら『バルバロッサ』に居てもいいんだぞ。他にもリースマン商会の火星船団に参加してもいい。」
リースマン商会は、『ノーヴィ・チェレポヴェツ』との交易の為、大規模な火星船団を組織するようだ。往復に時間が掛かるため、編成をいくつか作るようで人手は足りていないようだ。
「条件的には火星船団も良いんですけどね。クサヴェリーの片棒を担がされるのは気分が良いものではないですねぇ。」
隠れるには火星船団は打ってつけだ。火星までは長い旅程となる。最長だと往復に1年以上掛かるだろう。
だがそれはクサヴェリーを利することになる。奴に力を付けさせる事は避けた方がいい。きっとロクな事をしないだろう。それを考えると火星船団に参加するのは憚られた。
「しばらくは『トルトゥーガ』でお金でも貯めますかね。」
戦闘中生死不明であるので、自分の口座から金を動かすわけにも行かない。先立つものは必要だ。
「まだ時間はあるさ。じっくり考えればいい。」
「そうですね。」
結局俺は『トルトゥーガ』に着いても次にやる事の結論を出せなかった。先立つもの無いため、流されるがまま暫くの間は『バルバロッサ』で働くことになった。
『トルトゥーガ』に戻ってきて半年が経った。俺は専ら『バルバロッサ』での護衛任務についていた。リースマン商会の船を護衛することもあれば、リースマン商会から他の会社の船の護衛任務を振られることもある。
そんなある日、リースマン商会の会頭であるヴィルヘルムから直々に呼び出しが掛かった。俺は以前にも来たことがあるヴィルヘルムの執務室へヴァレリーと赴いた。
「今後やりたいことは見つかったかね?」
ヴィルヘルムはやっと手が空き、執務室にあるソファーで待っていた俺にそう声を掛けた。いつかフリードリヒ大尉にも聞かれた質問だが、俺はまだ答えを見つけられずにいた。
「やりたい事はあるんですけどね。どうすればいいのやら…。」
「ほう。そんなに困難なことかね?」
ヴィルヘルムは興味深そうな表情で尋ねた。
「クサヴェリーが悪さをしないように火星圏に縛り付けておきたいんです。」
「なるほど。だがそれは個人には手に余るな。彼は力を持ちすぎた。」
「はい。だから困っています。」
『ノーヴィ・チェレポヴェツ』においてクサヴェリーは軍の指導者的役割を持っているようだ。ユーラシア連邦の指導者は絶大な権限を持っている。軍を動かせる人間を相手に今の俺は余りに無力だ。
「対抗しようとするならゲリラ戦を仕掛けるしかないか。だが私設軍なんて金が掛かって仕方がないからな。」
ヴィルヘルムは苦笑しながら言った。リースマン商会として『バルバロッサ』を擁しているが、やはり維持費には相当金が掛かるのだろう。
ゲリラ戦となると宙賊か。しかし<ルナ>近辺とは違い、人類の生存圏から余りにも離れている火星近辺での宙賊は難しいだろう。
「望み薄ですが、このまま大人しくしていてくれればいいんですけどね。」
「クサヴェリーは動くのかね。」
ヴィルヘルムは懐疑的なようだ。US軍は今回の遠征の失敗で弱体化しているようだ。そうなると火星に粉を掛けるような国は存在しない。クサヴェリーは安泰に思える。
「US軍は暫く動けないので、EUかMEに戦争を吹っかけてもおかしくないですよ。」
だがクサヴェリーは戦争状態の維持を望んでおり、それが人類の科学技術を大きく進めるために最適な環境だと信じている。ガストーネ中佐やフリードリヒ大尉もクサヴェリーが戦争状態を維持するために、他国とも開戦するのではないかと考えているようだ。EUやMEはUS程は余力がないので挑発に乗っかってくるかはわからないが、ヴァレリーが出した最悪のシナリオは独立を賭けて本国との戦争を選択すると言う内容だった。流石に本国のバックアップなしで戦争ができるとは思わないが、戦争状態を維持すると言う目的だけを考えればクサヴェリーが採り得るシナリオだと言うことだ。
「それならば今日の話は少しは関係があるかもしれないな。」
「一体どういった話です?」
「MEの一国が『ヴォルフ』を導入したいとの事だ。そして『ヴォルフ』部隊の設立を検討している。ついては君とフリードリヒとで部隊の立ち上げを手伝って欲しい。」
「リースマン商会はノウハウも売ってるんですか?」
俺は少し皮肉げに言った。
「勿論。私は商人だからね。売れる物はなんでも売るさ。」




