理想都市編2
薬剤局でボディソープや歯磨き粉などを発注し、『トラム』に乗って住宅街へ着く頃には時刻は夕方になっていた。
[この駅だ。]
その駅は味気なく数字で3.5とだけ書かれていた。恐らく3系統の5番目の駅だと言うことだろう。辺りを見回すと集合住宅が立ち並んでいた。ゴルジェイはその内の一つに向かって歩いて行った。俺はその後をついて行く。
[こっちの棟が家族用で俺が住んでいる。こっちが単身者用だ。]
ゴルジェイはそう解説すると単身者用の建物の方へと歩いて行った。建物の入り口付近にある宅配用ボックスを指さして
[市民カードで荷物が受け取れる。]
と教えてくれた。俺は操作コンソールに市民カードをかざすと、ガチャリと音が鳴り宅配ボックスの1つの鍵が開いた。俺が両手に荷物を持つと、持ちきれない分をゴルジェイが持ってくれた。
[ありがとう。]
[気にするな。お前の部屋は4階にある。]
建物の中にはエレベーターと非常用と思われる階段があった。ゴルジェイは迷わずエレベーターに乗ると4階を選んだ。4階に到着して廊下を少し歩いたところでゴルジェイは部屋を指さした。
[ここだ。市民カードで開けられる。]
俺は扉のノブ部分に市民カードをかざした。ノブ部分にあったランプが赤から緑へと変わり自動的に扉が少し開いた。中に入ってみると玄関の先に廊下があり、扉が4つあった。廊下は広くないが、トータルの広さは艦船よりも広いだろう。
[荷物を置いて俺の家に行くぞ。]
[わかった。]
俺たちは玄関先に荷物を置いて部屋を出た。
[鍵は市民カードで掛ける。]
俺は頷くとドアのノブに再び市民カードをかざした。ランプが今度は緑から赤へと変わったことを確認しノブを引いてみたが開くことはなかった。その後俺たちはエレベーターを使い1階へと降りた。そして向かい側にある家族用の建物へやってきた。入り口でゴルジェイが宅配ボックスを開けると箱が届いていた。
[今夜はお祝いだ。」
ゴルジェイは手に持った酒を見て満面の笑みでそう言った。
[帰ったぞ。]
[[おかえりなさーい。]]
ゴルジェイが扉を開けると奥から子供が2人走ってきた。しかし見知らぬ俺を見た瞬間その場で固まってしまった。
[おかえりなさい。貴方。]
奥から更に女性が出てきた。
[ただいま。スサンナ。」
そう言ってゴルジェイはスサンナにハグとチークキスをした。そしてそのまましゃがみこみと駆け寄ってきた子供たちともハグとチークキスをした。ゴルジェイはこちらに振り返って
[こっちが嫁のスサンナ。それと息子たちだ。大きい方がボリスで小さい方がグレープ。]
と紹介した。今度は家族の方を向いて
[こいつが移民希望者のトニーだ。しばらく世話することになるからよろしく頼む。]
と俺を紹介してくれた。
[トニーと言います。よろしくです。]
[よろしくね。]
スサンナはにこやかな笑顔を浮かべている。ゴルジェイと違って愛想は良さそうだ。視線を下に落とすと兄のボリスは興味深そうに俺を見ている。弟のグレープはスサンナの後ろに隠れてしまった。
[ほらちゃんと挨拶しろ。]
[よろしくね。トニー。]
[よろしく。]
ゴルジェイが叱ると2人は恐る恐ると言った感じで挨拶した。俺はしゃがみこんで視線を合わせ、
[トニーと言います。よろしく。]
と挨拶した。
[さぁ、じゃあ中に入って。皆でお食事しましょう。]
通された部屋はダイニングで机に椅子が5つ用意してあった。俺は勧められるがままに席に着いた。机には料理が用意してあった。支給品が『パワーバー』であったことを考えると普通の食事は贅沢品だろう。わざわざ俺のために用意してくれたのだろうか?
[では頂こう。]
皆が席に着きゴルジェイの号令の下、食事が始まった。
[この料理はホロデーツと言うの。お祝い事がある時に食べる伝統的な料理よ。]
スサンナが料理を説明してくれた。やはり特別な日と言う位置づけで食事を用意してくれたらしい。料理の見た目はゼリーのようだが中には肉が入っているようだ。見たこともないような食べ物であったが俺は勇気を出して一口食べてみた。
[美味しいです。]
[そう。お口に合ってよかったわ。]
スサンナは嬉しそうに答えた。お菓子のような見た目だが、思っていたより普通の食事の味だ。もう一口食べてみて疑問が出たので聞いてみた。
[本物の肉?]
[えぇ、そうよ。]
[凄い。贅沢品だ。]
宇宙でも人工肉や培養肉以外の本物の肉を食べることはできる。ただかなりの高級品だ。地球から冷凍されたものでも輸送コストは馬鹿にならない。『シリンダー』で飼育しているところもあると言うが、それでもかなりのコストが掛かるらしく高い食べ物なのだ。
[他の国でも高い物なの?]
俺の感想が興味深かったのかボリスが聞いてきた。
[食べるのは専ら人工肉だね。]
[他の国も変わらないんだね。]
ボリスは他の国の生活に興味がありそうだ。
[お前も飲め。]
そう言うとゴルジェイはグラスに入れた酒を差し出してきた。未成年なので飲酒の経験はないが、今の俺は設定上成人していることになっている。
[頂きます。]
そう言ってグラスの酒を一口飲んだ。
「げほっ、強っ!」
予想外に強い酒に俺は思わず母国語が出てしまった。
[ははははは。この国の酒は強いんだ。]
そう言いながらゴルジェイはグラスの酒を煽った。ゴルジェイは酒が好きなだけあってかなり強そうだ。
[ほどほどにしておいて下さいね。]
[わかってる。明日も仕事だ。]
そう言いながらゴルジェイは自分のグラスに酒を注いだ。
[飲むか?]
[いえ…。要らないです。]
ゴルジェイの勧めを俺は丁重に断った。その後和やかに食事会は続き、ほどほどのところで解散となった。見送りの玄関先でゴルジェイから
[明日は7時に迎えに行く。]
と言われた。
[わかりました。お待ちしてます。]
そう言って俺はゴルジェイ家から辞去した。俺は自分の部屋に戻り4つあった扉の向こうを全て確認した。4つの扉はそれぞれリビングダイニングと寝室、それにシャワーとトイレに繋がっていた。
俺は荷を解きシャワーを浴びた後、寝室へと入った。目を閉じて神経を集中させる。
《ヴァレリー。聞こえるか?》
《はい。聞こえます。》
俺はナノマシンの新しい機能により遠隔でヴァレリーとの通信ができるようになったのだ。まだ慣れないので集中する必要はあるが、これでいつでもヴァレリーを会話をすることができる。
《じゃあ今日の状況を報告する。内容は予定通りヴィルヘルムへ連携を頼む。》
《了解しました。記録します。》
《じゃあまずは街の様子だけれど…。》
俺はヴァレリーと話せることと母国語が話せる幸せを噛み締めつつ、1時間ほど掛けてヴァレリーに『ノーヴィ・チェレポヴェツ』のことを報告した。
《それじゃあ明日から仕事だから寝るよ。おやすみ。ヴァレリー。》
《はい。おやすみなさい。グレン。良い夢を。》
こうして潜入生活の1日目を終えた。




