火星圏遠征編5
「可能です。」
ヴァレリーの回答はシンプルだった。しかし更に続けて
「けれどそれに意味があるかはわかりません。」
とも答えた。
「それはどうして?」
俺はじっとヴァレリーを見つめて言った。
「今のグレンの戦闘能力は、<ルナ>戦争当時よりも全て上回っています。昔より弱いと言うことはありません。」
俺が沈黙していると少し間を空けてヴァレリーは話を続けた。
「実際先ほどのシミュレーションでも『アスク』相手の5対1でも十分に戦えていました。」
俺は更に沈黙を続けた。ヴァレリーは少し視線を落とし、逡巡した素振りを見せたが最終的には更に話を続けた。
「ただ<ルナ>戦争当時のグレンは私の予想値の遥かに上回る場面が何度もありました。それこそ奇跡のような…。その時のグレンの状態と比べているなら、それは幻を追っているようなものです。」
俺は少し驚いた。今までヴァレリーは成長していると言うことを言うだけで<ルナ>戦争当時のことはあまり話さなかったからだ。
「幻?」
「はい。確かに上振れはありましたが、回数はそれほど多くありません。偶然では割り切れない回数ですが、常にその上振れが続いていたわけではないのです。だから過去の状態に戻ったとしても今以上のパフォーマンスが出る保証もありません。だから意味があるかはわからないのです。」
ヴァレリー曰く、あの時の力はあくまで火事場の馬鹿力で常に出せる力ではないと言うことか。それならば平均的能力が向上した今の方が強いと言うことを言いたいのだろう。
「グレンの不安な気持ちはわかりました。お勧めはしませんが明日までに<ルナ>戦争当時のデータを基にグレンのシミュレーションデータを作っておきます。それと戦えばはっきりわかります。」
俺が余程不満そうな顔をしていたのだろう。ヴァレリーはため息をつくとそのような提案をしてきた。
「わかった。頼むよ。」
「ただし1回勝負ですよ。過去の自分と戦うのはシミュレーション的にも、あまりメリットがありませんから。」
「わかった。約束する。」
それで俺が勝てれば不安も消える気がした。
「ではまた明日。お待ちしています。」
「あぁ、また明日。」
俺はヴァレリーに別れを告げると『ヘーニル』を降りた。
自室に戻り課題を進めようとしたがあまり捗らなかった。明日のシミュレーションが気になって集中力が続かないのだ。
「今日は駄目だな。」
俺はそう独り言ちると夕食を摂るべく食堂へ向かった。食堂はまだ早い時間だからか、比較的閑散としていた。俺はパワーバーとカフェ・オ・レのパックを選び席に着いた。
パワーバーを齧りながら、明日の自分とのシミュレーションのことを考えていた。
基本的に2年前の自分とのシミュレーションはすることは異例だ。相当なブランクがなければ現在の自分が勝つため、ヴァレリーも言っていたがメリットはあまりない。現在の自分とのシミュレーションは客観的に癖などが見えるため、稀に実施することを推奨されている。
何故稀にかと言うと自分自身とのシミュレーションは噛み合いすぎてしまうからだ。敵機の思考が自分なため、行動の全てが嵌ってしまうことがあり、シミュレーション効果が薄い場合があるとされている。だから自分とのシミュレーションはできるだけしない方がよいと言われている。
戦闘は突き詰めていくと相手の癖を如何に掴むかと言う部分が大事になってくる。手の内がわかる相手とそう何度も戦うことはないので、シミュレーションでもできるだけ戦ったことがない相手と戦うことを推奨されている。
そんな推奨されていない行為をヴァレリーが提案してきたと言うことは、余程俺が切羽詰まっているように見えたのだろう。
全ては明日だ。俺はパワーバーを食べ終わると今日はもう眠りにつくべく自室へと戻った。
翌日、部隊シミュレーションも終わり自主練習の時間がやってきた。
「グレン。準備はいいですか?」
「あぁ、始めてくれ。」
視界がコックピット内から宇宙空間へと変貌した。足の方向には地面が見える。<ルナ>上空が戦場のようだ。
警告音により敵機が索敵範囲に入ったことがわかる。敵機は勿論『ヘーニル』だ。正面から一直線にこちらにやってくる。昔の俺は思った以上に好戦的だった。
こちらも迎え撃つべく動き出す。距離が縮まってきたところでお互いが有利なポジションを取るべく高速で移動を行う。時折お互いの体勢と間合いを十分に測りながら射撃を行うが当たる気配はなかった。
「我ながらよく避ける。」
自分に悪態をつきながらスヴェン隊の他の皆も、こんなのを相手にしているかと思うと少し同情した。
途中から俺は攻撃を諦めた。推進剤を温存する方向に舵を切ったのだ。<ルナ>の引力を使いながら推進剤を節約していく。だが相手もそれに気づいたのか攻撃のプレッシャーは軽くなった。
「さすがに俺とヴァレリーのコンビだな。」
思わず自画自賛してしまったが厄介なことこの上ない。俺は埒があかなくなり更に危険な距離で戦闘する方策を取った。
お互いの攻撃がインチ単位で飛び交い、それを避け去なす。ひりつく様な緊張感の中お互いの攻撃は決定打にならず時間だけが進んで行った。
そしてついに推進剤が危険域に入ったことを知らせる警告が出始めた。恐らく相手も変わらない状況だろう。
仕掛けようかと思ったその時こちらの攻撃により相手が体勢を崩した。勝機が見えた瞬間、体が反応し追撃を加えた。しかしそれは即座に悪手であると感じ回避行動に移る。予感は的中し、過去の俺は必殺と思われた追撃を躱し反撃してきた。
体勢が崩れていた俺は成すすべなく攻撃を食らった。衝撃が機体を揺する。俺は必死に体勢を立て直そうとするが、次々と繰り出される攻撃はその圧力を強めていった。もはや反撃の糸口が見えない。そして遂に推進剤の切れる警告音が鳴り始めた。
圧倒的な攻撃の圧力に俺は致命傷を避けるのが精いっぱいの状態にまで追い詰められた。反撃のチャンスなど回ってくる気配もない。
しかしそんな中、不意に敵機の動きが急激に悪くなった。俺はその隙を見逃さず敵の横に回り込みながら弾が尽きるまで銃を連射し続けた。相手は推進剤が尽きてしまったようだ。
大した抵抗もなく『ヘーニル』が打ち砕かれて行く様は見ていて気持ちのいいものではない。
《状況終了。》
シミュレーションが終了し俺の視界はコックピットに戻った。
「はぁー、なんとか勝てた…。」
いつもより短い戦闘時間だったが疲労困憊だ。それだけ密度の濃い戦闘だった。
「ほら勝ったでしょ!やっぱりグレンは強くなってるんですよ!」
俺の目の前でヴァレリーが嬉しそうにそう言ってきた。
「勝ったって言えるほど内容はよくなかったけどな。」
本当に紙一重だった。もうあと数秒攻撃の圧力を受け続けていたら、撃墜されていたのは俺だったかもしれない。
あまり不安は払しょくできた感じはしないが、勝ちは勝ちだ。俺は成長していると言う自信には繋がったことで<ルナ>戦争当時の感覚を追い求めることは止めようと決意した。




