第35章 英雄集結3
お待たせしました。
いつも皆様ありがとうございます。
――そこは獅子の顔から湯が溢れ出し、煌びやかな石が床に敷き詰められた場所だった。湯の張った浴槽も、洗い場も四人しか住人がいないとは思えない程に広かった。サウナまで完備しているそこはまるで日本の豪華なスーパー銭湯のようだ。
「今日こそ世界新記録を目指すぞー!」
「ふいぃ~」
湯舟を元気に泳ぐメイ、湯舟にどっぷり浸かりながら年寄りのような声を出すニャアシュ。領主の館に作られた巨大な浴室、もはや温泉と呼んでいいそれに三人は思い思いに浸かっていた。
普段は一人で静かに入る派のアリスも、自宅の風呂場ということもあってメイのマナー違反を咎めるつもりはなかった。
白く美しい肌を赤く火照らせ、呼吸で大きく胸を上下させる。口からは甘さすら感じる火照った吐息を漏らしていた。場合によってはのぼせているようにも見えるが、白すぎる肌と吸血鬼故の体温の低さがその原因となっているだけである。意識ははっきりしているし、思考も普段と変わらない。
(猫なのに水に入るのは大丈夫なのね……)
視線をニャアシュに向けて、そんなどうでもいいことを考えながら、アリスも湯を楽しんでいた。
アリスがおもむろに視線を水に向けると、そこには疲れ切った表情をした白い肌の少女が映っていた。自身のそんな表情を見ながら、アリスは小さくため息を吐いた。
(50年、50年は長かったのね……)
自分の顔に違和感を抱かなくなったのはいつだったか
女性を性的な対象として見なくなったのはいつだったか
疲れた表情が多くなったのはいつだったか
『アリス』としての自分、『貴族』としての自分、それが当たり前になってしまった。日本で生きていた時間の倍以上をこの世界で、『アリス』として生きてきた。元の自分がどれだけ残っているのかもわからない程、それは擦り切れてしまった。
(今回の件が終わったら少し、のんびりしようかしらね)
変化から目を反らして、近い未来の出来事を思い浮かべる。これも長い時間の中で身に着けたものの一つだ。心を守るために意図的に考えたくないことをしまい込んでしまう。
「ひゃっほーい、どーしたのー」
考え事をしていたアリスの正面から、色々と大きい褐色の塊が飛来する。それの発する声で、存在に気付けたアリスはすぐに思考を打ち切ってそれを受け止める姿勢をとる。すぐにアリスに衝突したそれは、長い赤い毛を揺らして双眼をアリスへと向ける。
「はしゃぐのはいいけど、とびかかるのは危ないからやめておきなさい、メイ」
「えへへぇ」
アリスに飛び込んだことで、優しく諭されたメアは照れ臭そうに笑いながらアリスの首の後ろに腕をまわす。
「こんなに広いお風呂ここにしかないんだもーん。いっぱい楽しまなきゃ損だよ、ソン!」
メイの言い訳とも言えない言い訳を聞きながら、アリスは困ったように笑みを浮かべる。そして背中から、メイの後頭部を撫で始めた。
「私ならすぐ傷も回復するでしょうけど、あなたはそうではないしょ。女の子なんだから、ポーションで治せるけど、極力傷は作るべきじゃないわ。それに……」
――かわいいあなたの、血を見て我慢できる気がしないわ。
「……?」
アリスが妖しい笑みを浮かべて最後の言葉を口にする。だが、メイはよくわかっていないのか、首を傾げるばかりだった。
「ちょぉっ! ストップ、ストップ! お母さんの前でえっちぃ雰囲気出すじゃなぁい!」
そこに割り込んできたのは、いつもの語尾すら付け忘れるほど慌てたニャアシュだった。彼女は全力で二人の間に腕を差し込んで、二人の顔を離そうとした。三人の中で一番非力なニャアシュでは当然できるはずもなく、二人は微動だにしなかった。
「『冒険王』はそんなことしないよ」
慌てるニャアシュとアリスの向こうから、メイがそう言葉を口にした。確信があるかのように、僅かな疑いすらなく、そう断言した。
その言葉を耳にした時、ニャアシュは力を抜いて、驚いた表情のままメイへと視線を向ける。ニャアシュの目に映ったメイの表情はまるで、ニャアシュの方がおかしいことを言っているとでも言いたげに見えた。
「『冒険王』はね、ブラッドポーションとか、献血してもらった血は飲むけど、勝手に吸血したりしないんだよ。そんなの『常識』だよ」
ニャアシュには、メイが何を言っているのか理解できなかった。確かにこの世界にはアリス以前に吸血鬼はいなかった。大規模転移前であれば、アリスとサブネスト卿の二人だけだった。だから、吸血鬼は『血を吸う』程度の知識しかなく、一部の生物やモンスターにも同じ特徴があったこともあり、警戒や嫌悪はなかった。
だが、今ニャアシュが感じているのはメイの方が吸血鬼に詳しい、とかそういうこととは無関係なナニかだった。
「えぇ、そうね。『冒険王アリス』はそんなことはしないわ。ごめんなさい、少しからかいすぎちゃったかしら」
ニャアシュの頭の後ろから、アリスの声が聞こえた。後ろを向いているため、アリスの表情を知ることはできなかった。だが、ニャアシュにとってそれは今重要なことではなかった。目に映る少女、メイの瞳の奥に見える僅か濁りから目を離すことができなかった。
だから気付くことができなかった。子を育てた経験のあるニャアシュだから気付けたはずのこと、アリスの表情に僅かな悲しみの色が見えていたことに。
「それはそうと、二人ともそろそろ離れなさない。ただですら身体が火照ってるのに、そんなにくっついてたらのぼせるわよ」
そうアリスに注意されて、火照った肌を重ね合わせて熱を帯びていることに気付いたニャアシュは弱くだが勢いをつけて離れる。メイの方は名残惜しそうにしながらも、渋々といった感じで抱き着いていた身体を離した。
アリスは離れた二人の身体に視線を動かしながら、自嘲するような笑みを浮かべる。
「自分の身体に不満はないというか、自信すらあるけど……。その揺れる物を見ると、羨ましく思わないこともないわね。さすがに二人ほど大きいのはいらないけど、人並みにはほしいわよね。身長伸びないから微妙だけど」
その視線は胸に向いていた。長い年月の中で女性として過ごしたせいか、成長しない身体には思うところがあった。大人の女性になることに対する憧れもある。今の姿も好きなのだが、それはそれというものである。
「う~ん、でも私は体型ランダム設定したらこうなっただけなんだよね~」
メイがアリスの言葉に対し、自分の身体の設定について言及する。メイはAWOでキャラクターを作るときに体型の設定をほとんどランダムで設定していた。結果出来上がったのが、褐色ロリ巨乳だったのだ。
「まぁ、メイちゃんの言ってることの意味はわかんないけど、あちしとしては二人は子どものままの方が構い甲斐があっていいけどにゃぁ」
ニャアシュはさっき見たものが頭から離れないが、あえて普段通りにおちゃらけてみせた。振り払うことも、忘れることもせず、あえてそれに触れない。今すぐ解決できるようなものには見えなかったからこそ、しっかり考えて行動すべきと考えたからだ。
子どもの目の奥にあった濁ったものから目を背けず、対処しようと思ったのは彼女の『母』としての感情故のものだった。アリスに対しては憧れの『冒険王』、領主、更に自分が生まれる前から存在していること、それがあって完全に子どもと見ることはない。
大狩猟祭の件で多少は認識が変わったが、それでも何らかの壁は残っている。反面、転移者の事情をある程度把握しているため、メイが見た目通りでなくても子どもであることも知っている。なので、彼女を見る視線は子どもに向けるものになりがちなのだ。
「これ以上長湯してのぼせたらいけないからそろそろ上がるわよ」
アリスがそう口にして、赤く火照った身体で立ち上がる。お湯が火照った白い肌を伝って落ちる姿は一種の芸術のように見えた。ニャアシュもメイのその姿から目を離すことができなかった。メイにとっては憧れの人物の幻想的な姿が、ニャアシュにとっては至高の芸術とも言える姿が目の前にあった。
余談だが、三人が風呂に来てからすでに二時間近くが経っている。
「えぇ~、のぼせたらメイドさんに運んでもらえばいいのににゃぁ。もう少しのんびりしようにゃ」
芸術的な裸体から視線を外さないまま、ニャアシュが文句を口にした。それを聞いたアリスはわざとらしく大きなため息を吐きだした。
「メイはいいとしても、私とあなたは地位のある立場なのよ。のぼせて明日に影響があったらどうするのよ」
アリスは呆れたといった風のジェスチャーをしながら、ニャアシュへと視線を向けていた。視線を向けられたニャアシュはバツの悪そうな表情をしながら、顔を背ける。立場のことを忘れていたわけではないが、忘れたかった思いは多分にあった。
「じゃぁ、じゃぁ、次はご飯食べながら『冒険譚』聞かせてー!」
そんな雰囲気の中、目を輝かせたメイが勢いよく立ち上がって、アリスに抱き着きながらおねだりする。先ほど、のぼせるからと離れたばかりなのに、それが頭からすっぽり抜け落ちているメイにあえて注意することはしない。
アリスは抱き着かれたままメイごと身体を湯舟から外に出して出口へと歩いていく。ニャアシュも残念そうにしながらも立ち上がって、二人の後を追った。出口の前ではモアがすでに身体を拭く準備と、着替えの用意を終えて待っている。
ニャアシュの胸に僅かな課題を残して、三人の入浴は終わりを迎えた。身体を拭く前に、猫のように全身を震わせて水をまき散らせたニャアシュに、アリスが怒鳴った一幕があったのは完全に余談だろう。
――グリムスの酒場の一角にフードを被った男が一人座っていた。男はエールを飲みながら、ズゥ肉の串焼きを食べている。
(着いタハいイけど、正シきに領シュノ館に行クノハ明日になりソウだナ)
串焼きを食べながらそんなことを考えていたのは、ストムロックから来た男、オーパルだった。翌日領主の館で領主であるアリスと、ギルドマスターのニャアシュに面会する予定だった。
領主の館に泊めることも考えたが、町を見て回りたいというオーパルの希望もあって別行動になったのだ。
「まさか、あの時捕まえた賊の頭領が同僚になるとは、計算だけではわからないことだらけだな」
当然監視はついている。その監視は『F』ランクの同僚になるレオンギアが行っていた。以前、オーパルの部下――彼自身はそう思っていないが――を捕まえたのはレオンギアのパーティーだった。それついて思うところは二人にはまったくない。
「ハハ、世ノナかはそンなモのさ。不確テイ要ソが常にアルト、そウ記録してオケばいイ」
相手が『機械人』であることを承知しているため、オーパルも返答には言葉を選んでいた。感情的なことは理解できない相手だ。機械にデータを入力するように、言葉を紡ぐ。
そんな風に二人は静かにだが、会話を続けていると。オーパルの近くから何かを落とすような音が聞こえた。ここは冒険者の町であるため、特に珍しい音でもないためオーパルも気にすることはない。レオンギアも一瞬だけ視線を向けただった。
「おい、どうしたんだよ?」
音のした方向から太い男性の声が聞こえたが、それも気にするようなものでもない。レオンギアは音の主について知ってはいたが、別に教える理由も意味もないと判断して何も言わない。
「なっ、おま……なんで……」
喧騒のせいで途切れ途切れにしか聞こえない声には聞き覚えがある気もしたが、それでもオーパルの興味を引くことはなかった。
「なんで、お前がここにいるんだ!? オーパル!!」
自分の名前を呼ばれたことで、ようやく興味がそっちに向いたオーパル首だけを動かしてそちらへと視線を向けた。
視線の先にいたのは確かに見覚えのある人物だった。直接の関りは薄かったが、記憶には残っている。名前までは憶えていないが、それでも知っている顔だった。確かに名前は憶えていないが、呼ばれていた愛称だけは覚えていた。だから自然とその愛称が口から飛び出してしまう。
「あァ、ダレかト思っタら、『白銀の竜騎士』様じゃナイか」
自身の前で驚愕したまま固まるカイトを見ながら、オーパルは不敵な笑みを浮かべた。
ほぼ全編白湯気画面な話をお送りしました。
オーパルのセリフを打つのはめんどくさい。すごく大変。
次回も楽しみにしてくださると嬉しいです。




