第5章 ほんの少しの勇気1
大変お待たせしました。
いつも皆様ありがとうございます。
朝、宿屋の一室で盛り上がったベッドが動き、布団の隙間から気だるそうな表情のアリスが顔を出す。
アリスは窓へと視線を向けて、寝ぼけた目を細めた。
(朝、かぁ……。身体、だるい……)
アリスは吸血鬼の身体のせいか、陽のある時間は力が出ない。地球にいた頃の癖で早朝に目が覚める。そんな癖に反して、吸血鬼の身体は悲鳴を上げていた。
地球の伝承にあるように灰になるというわけでない。しかし、陽の光を浴びていると全身から力が抜ける感覚がある。ゲーム時代の日中ステータス減少が原因とはわかっているが、だるさが変わるわけではない。
(あぁ、もう少しだけ寝ちゃおうかなぁ……)
布団から頭だけ出してまどろみの中でそう考えた時、勢い良くドアが開く音が聞こえた。
その音に驚いて全身を跳ねさせ、ドアへと視線を向けると仁王立ちする女性の姿が見えた。
「アリス、朝だ! 今日も元気に冒険の準備だよ!」
それは元気一杯のメリアだった。満面の笑みで布団に包まるアリスへと視線を向けている。その後ろではルーシルが呆れた表情でため息を吐いていた。
「メリアぁ……。朝は弱いっていつも言ってるよね」
アリスは元気一杯のメリアに対して、億劫そうな表情で言葉を返す。
「アハハハ、大丈夫大丈夫。忘れてないって。要は慣れだよ、慣れ!」
当のメリアは種族的特長を慣れで超えろと無茶を言いながら、声を出して笑っている。
「無茶苦茶すぎ」
ルーシルもさすがにそんなメリアには突っ込みを入れるが、それでもメリアは元気に笑っている。
アリスは布団の中で動きながら布団から這い出してくる。出てきたアリスは寝ぼけ眼のままベッドの上に座って、床に少しだけ届かない脚を前後に揺らしている。
「アリス、着替え」
「ん~……」
アリスの現在の服装は黒のベビードールにガーターベルトである。ゲーム時代に作った装備の一つだが、寝巻きという設定で作った為そのままこの世界でも使っている。最近はあまりに扇情的な格好なため、メリア達に普通の寝巻きを用意するように言われている。
しかし、アリスとしては防御力や特殊能力が付いているので、ただの寝巻きを買うつもりもない。ちなみに『淫魔のスーツ』という女性キャラ専用の『伝説級』装備を外装変更したものであるため、メリア達の防具の数十倍を超える性能である。
「少し待ってください……」
アリスは着ているベビードールを脱がずにそのままアイテムボックスにしまう。それと同時にいつものドレスがアリスの身体を包み込む。メニュー画面などは開けないが、アイテムボックスを応用すればゲームのように装備変更を行うことができる。
「いつ見ても、すごい早着替えだなぁ。アイテムボックスをそんな使い方するのって、アリスくらいじゃないかな」
そんなアリスの不精な様子を見て、さすがのメリアも呆れたように苦笑いを浮かべる。
「なんですか。着替えなんてどうやったって一緒ですよ」
アリスはそう言いながら、ベッドから飛び降りてフラフラと入り口のメリア達へと歩を進める。二人の前に着くと、ため息を吐いたルーシルがアリスを引っ張って部屋の中へと戻っていく。
「雑」
そのまま化粧台にアリスを座らせて、台に置いてあるブラシでアリスの髪を梳かし始める。
「いやぁ、いくら化粧は邪魔とは言っても、さすがにアリスのは女を捨てすぎじゃないかなぁ」
アリスは普段、『夕焼けの天秤』でアルバイトをする時以外は化粧の類どころか、髪すらろく整えたりしない。メリア達とパーティーを組む前はイェレナがギルドでアリスの身なりを整えていた。パーティーを組んでからは、ルーシルが宿を出る前にアリスの髪を整えて、肌の手入れを行う。
こういった最低限の手入れを怠ると、冒険者という職業柄すぐに肌はボロボロになるし、髪も酷いことになってしまう。
「だって、めんどくさいんですもん」
「女の子の言葉じゃないよぉ……」
「勿体無い」
アリスの素直な言葉を聞いて、メリアはショックで肩を落とし、ルーシルは表情は変えなかったが、どこか残念がっている雰囲気が伝わってきた。
「こんなにかわいいのに、ダメだよ。大きくなったら絶対美人さんになるのに、肌や髪がダメになってたら残念すぎだよ」
メリアがアリスの不精を直そうと説得を試みるが、アリスはそれに応じることなくため息を吐く。
「だからいつも言ってるじゃないですか。私は吸血鬼なんで、劣化もしないし、成長もしないんですよ」
(まぁ、AWOの設定がそのままならですけど)
アリスは内心で付け加えながら、メリアの言葉に否定を返した。血液を摂取していればという条件はあるが、実際にアリスは成長もしないし、肌の劣化等もない。
「羨ましい」
ルーシルが呟いた言葉を聞いて、メリアも頷いている。
「でも、例えそうだとしても、女の子捨てちゃうのはダメだと思う。うん、そこは間違いない」
頷きながらメリアがそう告げるが、アリスはそれを右から左へ聞き流していた。
パーティーを組んでから20日前後。これが三人の朝の始まりである。女三人寄れば姦しいとは言うが、その通りである。
姦しいながらも愉快な三人の朝の、いつもの光景がそこにはあった。
――
「ハァッ、セイッ!」
気合と共に放たれたメリアの剣がゴブリンの首を一撃で斬り落とす。背後ではルーシルが周囲を警戒していた。
三人娘の最後の一人、アリスは少しだけ離れた場所で薬草を採取しながらその様子を眺めていた。
(おおぅ、メリアは相変わらずすごいな。たぶんあれって『スラッシュ』だよな)
AWOにも存在した一次ジョブ『剣士』の攻撃スキル『スラッシュ』に似た攻撃を放ったメリアに、アリスは内心で感心していた。
AWOの剣士ジョブと違って、メリアは様々な姿勢、方法で『スラッシュ』を放つことができていた。それはアリスにとっても予想外のことだった。なることができる全てのジョブを網羅していたアリスにとって、その光景は心躍るものだ。
ただし、あくまでアリスの目に映るのはメリアの背中だけで、首の飛んだゴブリンの姿は彼女達のおかげで視界に入っていない。
「風向きよし」
ルーシルが警戒を終えて、『風の向き』を確認した後魔法を発動する。魔法によってゴブリンの死体は燃やされて、原型を失っていく。
ルーシルが風向きを気にしたのは、『肉』が燃えた時の臭いがアリスの方にいかないための配慮だ。以前わずかに臭いがアリスの鼻に届いた時、彼女が盛大に嘔吐してしまったためだ。
「よーっし! 休憩しよ、休憩!」
メリアが大きく伸びをしながら、満面の笑みで休憩を宣言する。先ほどまで真剣な表情でゴブリンに斬りかかっていた人間とは、思えないくらいに柔らかい表情だった。
「ご飯」
ルーシルも目を輝かせてアリスへと視線を向けていた。それでも杖を構えて周囲を警戒している辺りは、さすがは期待の新人冒険者といったところだろう。
「はい、用意しますね」
アリスが苦笑いしながらそう言って昼食の準備を開始すると、丁度正午を告げる鐘が町の方角から聞こえてくる。
「今日も私のお腹は絶好調だね!」
メリアが自分のお腹を撫でながらそう口にする。アリスとパーティーを組むようになってから、メリアとルーシルはアリスの作る弁当を楽しみにしていた。その結果、秘められた能力とか、スキルというわけでもないが、丁度正午になる頃にメリアのお腹が空腹を訴えるようになった。
最初にそれを知ったとき、アリスは何か新しいスキルでも習得したのではないかと疑ったくらいだ。
「シートは敷きましたから、二人とも座ってください。今日は……」
アリスはシートの上を手で優しく叩きながら、弁当箱をアイテムボックスから取り出して今日のメニューを説明する。
シートに座った二人は、メニューを聞きながら目を輝かせて、と言うより涎を垂らしていた。
「待ちきれないようですので、いただきましょうか」
アリスはそんな二人の様子に嬉しくなって、柔らかな笑顔を浮かべていた。アリスから許しを得た二人は弁当に向けて勢い良く手を伸ばしていく。
アリスは二人の皿の様子を見ながら大きな弁当箱から『箸』で料理を取り分けていく。
「アリスって『アズマスティック』使うの上手いよねぇ」
そんなアリスの様子を見て、メリアは感心したように口を開く。彼女の言う『アズマスティック』とは、所謂『箸』である。
アリスはフォークなどより箸の方が得意だったため、自作しようとしていた。それを知った宿の女将さんが、アリスに『アズマ』由来の品を置いてある店を紹介したのだ。店に赴いて、箸が売っていたことに当初アリスは喜ぶよりも驚きが勝った。
日本と似すぎている文化の国がこの世界にある理由を考えたが、答えは出なかった。その答えを知るのはこれから何年か先の話である。
「こっちの食器よりコレの方が得意なんです。スープ系の料理以外なら大体対応できますし、便利ですよ」
「うへぇ、私だとボロボロ落としちゃうよ」
「器用」
アリスは器用に箸を扱いながら、空いた手を口元に寄せながら上品に食事を口に運ぶ。それも事前に一口サイズ――それも小さいサイズ――に箸で綺麗に切り分けた上でだ。
アリスの姿とは少しミスマッチではあるが、上品に食事を口に運ぶ姿にメリアとルーシルは見惚れてしまっていた。
「アリスって、やっぱりどっかのお嬢様か何かだよね?」
「凄い気品」
アリスも普通にがっついて食べる方が『元男』としては性に合っているのだが、アリスの姿でそれをやるのは躊躇われた。そのため、上品に食べるようにしていたのだが、小さな身体にはそれが合っていたらしく、そのまま癖になっていたのだ。
二人から羨望の視線を受けながら、何か思いついたかのような表情をして、アリスは口の中の物を飲み込んでから口を開く。
「慣れですよ、慣れ」
アリスは朝の意趣返しとでも言うようにその言葉を口にした。それを聞いてメリアが遠い目をしながら空を見上げる。
その後はメリアが箸に挑戦したり、ルーシルがメリアの食事を取ろうとしたり、三人の食事は姦しく、楽しく続いていく。その姿は共に戦わなくとも、仲間であることを感じさせるものだった。
それはアリスにとっても、この世界に来て得た数少ない平穏であった。
寝るまで今日理論が発動!
今回の話は三人の交流に重点を置いたものになりました。
一応ゲロインもしました。
次回も楽しみにしてくださると嬉しいです。




