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第33章 月に踊る2

お待たせしました。

皆様いつもありがとうございます。


 ――グリムス領の冒険者ギルド、その支部長室で猫耳の女性、ニャアシュが机に倒れこんでいた。


「王都への連絡よし、アリスへの連絡よし、偵察に出た冒険者の被害なし、万事よしにゃ。ただしあちしは瀕死ぃ……」


 グリムス領で起きた『大事件』。ギルマスであるニャアシュはその対応に追われていた。事件の原因となった『対象』の状況報告、『対象』の調査時の被害報告、『大事件』に関する各所への報告である。

 元々が冒険者であるニャアシュには書類仕事は荷が重い。経験を積んで慣れたとはいえ、元々の気質故に精神的疲労は大きい。


(事前にマニュアルを作ってくれたアリスに感謝すればいいのか、あちしのギルマス就任に同意したことを恨めばいいのか……)


 ニャアシュは机に倒れこみながら、アリスが事前に用意していた書類へと視線を向ける。その書類には優先すべき連絡先や偵察の仕方など、今回の『大事件』が起きたときの備えが書かれている。

 アリスが用意したその書類のおかげで、ニャアシュは迷うことなく、即座に行動を起こすことができた。その代わり、普段をはるかに凌ぐ仕事量になって、こうしてダウンすることになってしまったのだが。


(それにしても、アリスはよくここまで準備を整えたもんだにゃ。でも……)


 事前マニュアルの内容に感嘆しながら、ニャアシュは不安要素である最後の一枚を思い出す。その内容を思い出しながら、現状に強い不安を覚える。

 できることは全てやった。だが、世の中というのはできることを全てやれば万事問題なく進むとは限らない。むしろ、それでも足りないことの方が多い。冒険者などやっていれば、そういう経験は嫌というほどある。だから、ニャアシュは最後の一枚がアリスの考えすぎなどとは思えなかった。


(現状できる全てをこなしても、それでも足りない。それでも、『対象』次第では対処不可の可能性すらあったにゃ……)


 幸いだったのは『対象』が対処不可の『対象』ではなかったこと。それどころか、『候補』の中でも最も対処しやすい相手だった。その報告を聞いた時、ニャアシュは自分の幸運に感謝したものだ。

 余談だが、対処不可の『対象』だった場合はグリムス領どころか、国中の人間が南へと避難するしかなかった。

 ニャアシュが自分の幸運をかみ締めていると、部屋のドアが叩かれる音が聞こえる。彼女はそれに対して「あ~い」といい加減な返事を返す。返事をきいてから一拍置いてから、ドアが開かれる。


「おーっす、ギルマスー。偵察の結果とか色々報告にきたよー」


 ドアの向こうから出てきたのは、褐色で小柄な少女、メイだった。彼女は仮にも立場が上の人間に対するには、軽すぎる挨拶を口にしながら部屋の中へと足を進める。


「お~ぅ、メイちゃん適当に座ってにゃ~」


 ニャアシュが身動き一つせずに着席を促すと、メイは大きく片手を上げてそれに応える。そして、全身を慌しく動かしながらメイはソファーの上に飛び乗るようにようにして飛び乗った。

 その後、アイテムボックスからジュースを一つ取り出して飲みながら、目的であった報告を行うために口を開いた。


「とりあえず、転移者の冒険者に監視を引き継いだよ。とりあえず、『対象』の危険性は理解してるから問題はなさそうかなぁ。

 対象が『対象』だったおかげもあるけど、見つかっても逃げるだけなら楽ちんだね」


 今現在、『対象』に対して『準備』を整えるために、行動は監視に留めている。この『大事件』を解決するためには、それこそ準備しすぎるほどしないといけない。『歴史上最大の偉業』とも言えることを成し遂げる必要があるからだ。ニャアシュが倒れている理由も、その『準備』が理由の一つである。

 ニャアシュはメイの報告を受けながら、現状維持に問題がないことに安堵したような表情を浮かべる。


(このままアリスが戻ってくるまで問題が起きないといいんだけどにゃぁ)


 そんなニャアシュの様子を、メイは嬉しそうな笑顔を浮かべて見ていた。それにニャアシュも気付いて、身体を起こさずに困ったように笑った。


(あぁ、メイちゃんは癒しだにゃぁ。アリスみたいに腹の底に警戒する必要もないし、男連中みたいに堅苦しいこともないし、あぁ、癒されるにゃぁ)


 困ったような表情ではあるが、メイの裏表のない行動に諸々で荒んだニャアシュの心は癒されている。当のメイはニャアシュの様子を不思議そうに眺めている。そんな姿も、幼い頃の我が子が思い出されて嬉しくなる。

 懐かしくなって、ニャアシュの頭を一つの衝動が過ぎる。


「ちょいちょい、メイちゃんこっち来てにゃぁ」


 疲れた頭故に理性が働かないニャアシュが、思いつきを行動に移すべくメイに手招きをする。メイは首を傾げながら、ソファーから飛び降りてニャアシュに駆け寄る。


「どしたのー?」


 意味がわからず、メイが疑問を口にする。ニャアシュは普段のふざけた様子からは想像もつかないような、穏やかで優しい笑みを浮かべてメイに手を伸ばした。伸ばした手はメイの頭に触れる。


「んっ、どしたのさー」


 メイが再び疑問を口にするが、ニャアシュはそのまま、母性を感じさせる笑みを浮かべながらメイの頭を撫で続ける。

 メイは理由はわからずとも、不快ではなかったため、それ以上疑問を口にすることもなく、大人しく撫でられ続ける。

 ニャアシュの撫で方は慣れたもので、メイも疑問や不快感よりも嬉しさが勝って笑顔を浮かべ始める。まるで無邪気な子どものように笑みを浮かべるメイの姿を見て、ニャアシュは更にメイを優しく撫でる。そんなことの繰り返しだった。


「お楽しみ中のとこ申し訳ないんですけどね……」


「にゃっ!?」


 メイを撫で回すのに夢中になりすぎた結果、部屋の中に誰かが入って来ていることに気付かないくらいだ。

 部屋の中に入ってきていた男は、ギルマス直属の冒険者。つまり『Fランク』と呼ばれる者だ。男は呆れた様子で頭を押さえていた。


「こっちも仕事なんで、報告してもいいですかねぇ。いや、まぁ、ギルマスがロリコンだとか、そういう裏の顔には興味ないんで、ほんと」


「にゃぁっ! これはそういうんじゃないにゃ! うちの子らの小さい頃を思い出してだねぇ……」


 あらぬ誤解をさせまいと、ニャアシュは勢いよく起き上がって抗議する。だが、勢いを付けすぎたせいで、『準備』で消耗した身体が過剰に反応を返す。顔を上げると同時に、目の前が揺れたように感じ、身体があらぬ方向へと揺れ動く。


「貧血気味なんですから、無理に動かないでください。ちゃんとわかってますから。ちょっと無視されたのがイラついたとか、そんなことありますから」


 揺れる身体で必死に視界に男を入れようとするニャアシュ。男はそんな様子に呆れながら、入室前のノックも含めて無視されていたことを根に持っていることを告げる。

 ノックをしても反応がなく、入ってみれば、部屋の主はドワーフの少女を撫で回して悦に浸っていた。多少思うところはあるようだ。


「にゃぁあ……。悪かったからもうやめて。ほら、報告早くして」


 ニャアシュは気力を振り絞って、背後の背もたれに向けて身体を動かしてもたれかかる。顔は天井を向いているが、男からは疲労を感じさせる顔がよく見えた。


「ん~、私は出て行った方がいい?」


 メイが自分は退室するべきかを聞くが、ニャアシュは無言で腕を伸ばす。伸ばした片腕でメイを捕まえて、そのまま自分の腕の中へと抱き寄せた。

 それを答えと受け取ったメイが、抱きかかえられた状態でニャアシュの顔を見上げる。ニャアシュは先ほどのように優しそうな笑みをメイに向けていた。


「それじゃ、報告よろしく」


 ニャアシュに促されて、男は報告を始める。最初の報告の内容は、グリムス領に召集している『転移者の冒険者』達のことである。


「彼らは実にここに馴染んでますね。このまま、ここに永住しそうな気配すらありますよ。まったく、領主様はどこまで考えて行動していたのか……」


 グリムス領は『転移者』であるアリスが作った町だ。その随所に転移者ならではの発想、というより、日本の生活に慣れていたが故に再現しようと足掻いた跡が残っている。その結果、他の領地よりも『転移者』には住みやすい作りになっていた。

 転移者でなくとも、食糧事情など様々な要因で住みやすくはあるが、『転移者』はその何倍も恩恵を受けることができた。アズマから材料を取り寄せ、再現した和食もその一つだ。


「いやぁ、さすがは領主というか。あちしごときに読めるような人じゃないにゃ」


 ニャアシュは鼻で笑うようにして、皮肉を口にする。男も同意するような表情を浮かべて、肩をすくめた。

 だが、それに首を傾げ、不思議そうな表情を浮かべる少女が一人、当事者の一人の腕の中にいた。


「ん~、冒険王は何も考えてないと思うな~?」


 メイの当然といった風な言葉に、ニャアシュと男は驚愕の表情を浮かべてメイの顔を見つめる。


「生活面に関しては単純に、自分が快適な生活をしたいとか、趣味だとか、そんな理由で色々やってんだと思うよ」


 どこまで考えてという疑問に対して、メイが出した答えがこれである。だが、同時に正解でもある。アリスが聞いていたら、バツが悪そうな表情をして否定するだろうが、逆にそれが正解を裏付ける。

 ラーメンを食べたいからラーメンの再現をする。和食を食べたいけど、アズマ料理もちょっと違うから再現する。そんな感じで再現を続けて、自分がほしいものを用意してきたのだ。結果が現在のグリムス領の食料事情である。

 無数の屋台が様々な料理を出し、アリスの膝元である寮では日本食の完全再現が行われている。飽食だった日本に住んでいた『転移者』達は、このグリムス領に少しの懐かしさを感じているのだ。


「建築とかは西洋風だけど、街灯とかご飯とか、故郷に似てるとこがあるんだぁ。だから、私もここが大好きだよ」


 照れ笑いを浮かべながら、メイは純粋な想いで言葉を紡いだ。それを見て、あれこれ疑うのもバカらしくなった二人は、大きくため息を吐き出して小さく笑う。


「うん、メイちゃんの言う通りかもしれないにゃ。アリスはどっか子どもっぽいとこがあるし、変なところで頑固だからにゃぁ」


 二人はもうこれ以上、この件に関してはアリスの腹を探る必要はないと結論付ける。それを株が上がったと取るか、下がったと取るかは微妙なところだ。

 だが、少なくとも、少しだけアリスとの距離が縮まったのは確かだろう。


「あー、でも、『転移者』がみんな移住しちゃったら、他の支部から妬まれそうで怖いにゃ~」


 ニャアシュが笑いながら冗談交じりにそんなことを言う。他所の地域での最高戦力を引き抜くとなれば、妬まれるのは確実だ。だから完全に冗談というわけではない。ただ、グリムス領に乗り込む根性のあるギルド職員などほとんどいないので、『怖い』というのは冗談だ。


「それはないと思うよ。今日会ったおじさんは、別の場所に奥さんがいるんだって。なんか、こっちの世界で出会って結婚したらしいよ」


 メイが監視の交代の時に聞いた話を口にする。転移者がこの世界に来てそれなりに時間も経っている。すでにこの世界で新しい人生を歩み始めている者もいる。グリムス領にいる吸血鬼の一部がそうであるように、こちらの異性と結婚している者も当然いる。

 そういった要因もあって、住みやすいからと移住するわけにはいかない者も少なくないのだ。これは冒険者に限った話ではない。

 この話が一段落ついたと感じた男が、次の報告を開始する。冒険者あがりの男だが、ニャアシュと違ってこっち方面の才能もあったらしい。


「次に『献血』についてですが、こちらは何一つ問題はありません。むしろ、保存用のポーション瓶が足りなくなりそうな勢いです。やりましたね。無駄骨でしたよ、ギルマス」


 この報告を聞いてニャアシュの顔が沈んだ物に変わる。この『献血』が彼女の貧血の主な原因なのだ。


「かの冒険王のお願いですからね。冒険者はノリノリで手伝ってくれてますよ」


 慰めの言葉が見つからないのか、メイも困った表情でニャアシュの顔を見つめることしかできないでいる。

 その後も男の報告は続き、その度にニャアシュは喜んだり落ち込んだりを繰り返していた。結局報告が終わってもニャアシュはメイを抱きかかえたままで、王牙が迎えに来るまでメイは愛でられ続けることになる。


 決戦の準備が始まった。まだ決戦の始まりは見えないが、この世界に生きる人々の耳にその足音は聞こえ始めていた。この世界と『あちらの世界』の進む道に一つの答えが出る時は近い。


主人公が不在だと! よくあることだ!

というわけで、お届けしました33章2話です。

この章はこの編の締めであり、次の編の前日談でもあります。

少しづつ次の話に向けて動き始めます。


次回も楽しみにしてくださると嬉しいです。

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