第33章 月に踊る1
寝る前だからまだ7月1日と言い張ります。
大変お待たせしました。いつも、皆様ありがとうございます。
夢に落ちる。『彼/彼女』は目を開けることができない。自分が何をしたのか、何をさせたのか、それがわかっているから、だから目を背ける。
『殺してない/殺させた』。『殺したくない/手を汚したくない』。その根にあるのは自身の臆病さ。醜いまでの自己愛。
だから、『彼/彼女』は愛する娘に手を汚させた。あの時はそうするのが一番『アリスらしい』。愛する娘はこの世界の生まれだから。そうやって言い訳を重ねて、自分の行いを正当化させていく。
自分の手を汚せばそのことを正当化する言い訳を、誰かに任せればその言い訳を、『彼/彼女』は重ねて、重ね続けて、自分は悪くないのだと目を、耳を塞ぐ。いくら塞いでも、自身の内側から漏れ出る怨嗟の声は消えない。罪を意識させられる。
夢は『彼/彼女』に罪を突きつける。目を開ければ目の前に何があるのか、『彼/彼女』にもそれはわからない。ただ一つ、そこにあるのは自分の罪の形か、そこから逃れる為の偽りの贖罪だろうということはわかる。
沈む。夢の奥に沈んでいく。
何かが背中に当たる感触がしたことで、『彼/彼女』は目を開けることを覚悟した。『彼/彼女』は願う。目を開けたそこに、愛しい娘による贖罪の夢が待っていることを……。
「……はぁ?」
目を開けた『彼/彼女』は思わず気の抜けた声を出してしまう。その目に映ったのは『アリス』によく似た少女と一面の星空だった。
ここ数日、悪夢とエレミアによる贖罪の夢に並んでよく見るようになった夢。花畑と星空と少女、そして『暗黒』だけの夢だ。
エレミアに人間を殺させた後に見るなら、悪夢か贖罪であることは間違いないと思っていた。だから『彼/彼女』は目に映る光景に驚愕を隠すことができなかった。
「え、えーっと、こんばんは?」
かがんで『彼/彼女』の顔を見つめる少女に対して、驚愕が晴れぬまま困惑気味に挨拶をする。あまりの出来事に『彼/彼女』にもどう対応していいかわからない状態だ。
挨拶を受けて少女はしばらく『彼/彼女』の顔を見つめていたが、突然満面の笑みを浮かべると立ち上がって回り始める。
(この子、なんというか……自由ね。)
少女の行動に『彼/彼女』は上半身を起こしながら呆れた表情を浮かべる。
目の前で白い少女が回るたびに、視界の中で花びらが舞った。その様子を見ながら『彼/彼女』は小さく微笑んでいた。
(自分に似た顔の相手をこう言うのもナルシストみたいでアレだけど、幻想的ね)
無邪気に回る少女の姿にそんな感想を抱きながら、『彼/彼女』はその様子を眺めていた。
(でも、この夢、本当なんなのかしらね。こんな夢を見るような原因には地球の頃を含めても心当たりなんてないわよ?)
この夢について考えるが、答えが出ることはない。『彼/彼女』にはこの夢に至るだけの経験をした記憶もないし、『深遠草』などという植物にも覚えがない。
『彼/彼女』は立ち上がりながら白い少女を鑑定しようとするが、当然鑑定することはできなかった。鑑定は生物には使用できない。生物のステータスを知りたい時は別のスキルが必要になる。それでもLV差次第では名前だけとかしか見ることができない。
「スクロールは……出せるんだ……」
『彼/彼女』が試しにアイテムボックスからスクロールを一つ取り出してみる。本来は夢の中でそれは不可能なはずだが、なぜか望みのスクロールを取り出すことができた。
疑問は残るが、とりあえず取り出したスクロールに魔力を流し込んで発動する。発動したスクロールは生物調査のスキルが入ったものだ。これは先ほど述べた、生物のステータスなどを観覧することのできるスキルである。
結果が表示されると同時に『彼/彼女』の表情が曇る。少女はスキルを使われたことに気付かないのか、今もクルクルと回っている。相手のLVが高すぎれば名前だけしか知ることができない。今回スクロールで表示された結果は……。
――$%*?¥^^=!“!<$&”!?‘@
理解のできない記号の羅列でしかない。それが何行にも渡り表示されている。夢だからこうなのか、それとも別の原因かはわからない。『彼/彼女』もその結果に頭を抱えることしかできなかった。
『彼/彼女』が目の前の結果に頭を抱えていると、少女が突然動きを止めて『暗黒』のある方向を見つめる。『彼/彼女』も何があったのか気になり、そちらへと視線を向けた。
多少距離があるた、はっきりと見えるわけではないが、『暗黒』の中から何かが伸びているのが見えた。
「来た」
少女がそう呟いて、『暗黒』へと向けて歩き始める。『彼/彼女』も言葉の意味が気になり、少女について歩いていく。
『暗黒』へとある程度近付くと、そこから生えているモノが何かがわかってくる。それはまるで植物のツタのようなもので、わずかにだが動いていた。
少女がツタのすぐ近くで足を止めて、『暗黒』の奥底へと目を向けている。『彼/彼女』も目を凝らして、同じ場所をジッと見つめる。
「なっ!」
『彼/彼女』が声を上げると、ツタが触手のように力強くうねり出す。『彼/彼女』の目に映ったのは女性の顔の影とこちらを見つめる二つの瞳だった。
「まさか、マギ……」
『彼/彼女』がその正体を口にしようとした瞬間、ツタが暴れ周り、『暗黒』の奥底から地鳴りのような雄叫びが響く。『彼/彼女』がそれに気圧される直後、『彼/彼女』の意識は途切れて、闇に飲まれていった。
――アリスが目を開けると、目の前には生まれたままの姿でエレミアが横たわっていた。場所はベッドの上、身体には酷い倦怠感。アリスは昨日の出来事を思い返す。
外からエレミアを連れて戻った時、アリスとエレミアの二人は熱い吐息を漏らしながらも、アリスが作っていた夕飯を手早く胃に入れた。そのまま、湯浴みに行くこともせず部屋へと戻った後は……。
(途中でモアとフィレアが部屋に来て、そのまま血を吸いながら……)
歯止めの利かなくなった欲望のままに、色々と貪った記憶しか出てこない。結局体力の続く限り乱れて、後はそのままベッドにダウンした。状況を思い出せば思い出すほど、羞恥心と自身への嫌悪感に悶えそうになる。
アリスが周りへと視線を移すと、真っ先にダウンしたメイド二人の姿はなかった。昨晩、あれだけのことがあったのに、二人は仕事に向かったのだろう。
(プロ根性かしら? 朝にはもう回復って、やっぱり体格差とかあるからかしら)
未だ眠るエレミアの体温を感じながら、アリスは『昼頃に起きればいいか』などと考えながら再びまどろみに落ちていこうとする。
「いつまで寝てんですか。いい加減、起きて下さい淫乱野獣マスター」
モアの声が聞こえて、アリスが視線を扉の方へと移すと、大きなため息を吐くモアの姿が見えた。だが、アリスは自身の身体を襲う倦怠感から返事を返すことも、身体を起こすこともせずにそのまま目を閉じる。
「『夕方』までぐっすりとはいい御身分でごぜーますこと」
『夕方』。その単語を聞いてアリスの頭が一気に覚醒する。
(夕方? 夕方ですって!?)
アリスは勢いよく身体を起こし、白く美しい裸体を隠すこともせずに窓へと視線を向けた。モアの言うとおり、外の景色はすでに日が落ち始めており、夕焼けに空が赤く染まっている。
「いつまでも貧相な身体をモロ出しにしてないで、さっさと服を着やがれください」
窓を凝視して目を見開いていたアリスに向かって、モアは服と下着を投げつけて催促する。それを受けて、アリスは気まずそうな表情でモアへと視線を向ける。アリスの目に映ったのは、モアの前髪から覗く蔑むような視線だった。
(そりゃ、そーよね。昨晩はちょっと、ううん、かなり暴走気味だったし、そりゃ、うん、そうなるわよね……)
モアの言葉がいつもよりも更に刺々しいことや、今もアリスへと向ける蔑むような視線の理由を察したアリスが何とも言えない表情を浮かべる。
これは半分アリスの誤解ではある。モアはアリスに血や身体を求められることに忌避感はない。むしろ逆に嬉しくすら思っている。しかし、その理由がエレミアであることが、モアの機嫌を悪くしている原因なのだ。
そのことを知らないアリスは内心で今後の対応を考えながら、頭を下げたままゆっくりとだが着替えを始める。
(しばらくは吸血もスキンシップも控えめにしようかしら……。いや、吸血はしたくないから別にいいんだけど……)
内心かなりの罪悪感があるのか。最悪、ブラッド・ポーションを生成してしばらくはそれで凌ごうとすら考えてしまう。元々吸血行為には消極的なのだから、我慢するだけならそれで十分だ。どうしても我慢できないようなら、多少劣化している分渇きは残るが、瓶詰めの血液を飲むのも考慮に入れる。
「はぁ、もう、昨晩のことは怒ってねーですから……」
そんなアリスの様子を見て、モアは呆れた様子で告げながらアリスへと近付いていく。そして、耳元に口を寄せて、アリスにしか聞こえないように呟いた。
「吸血でも伽でも、マスターが望むならいくらでも相手しますよ。それだけの想いは重ねてきたつもりでごぜーます」
どこか艶のある声でモアの言葉に、アリスは一瞬心臓が跳ねるのを感じた。モアへと顔を向けると、すでにモアは背を向けて扉へと足を進めている。着替えをしていた手も止まり、ただ呆然とモアの後ろ姿に目を向けていた。
(迂闊だわ。まさかモアにトキメキそうになるなんて……。でも、これって……)
「『私』としてなのか、『俺』としてなのか……」
アリスは思っていたことが思わず口から漏れだすが、それを気にする余裕はなかった。自分の中のどっちの感性が抱いた感情なのか、それが理解できず考え込んでしまう。
『アリス』はかつて一人の男性に恋をした、それは『青年』とは違う心から生まれたものだとそう考えている。でも、モアを大切に想う心はどちらにもある。だから、どちらの心が今、モアに対して強い感情を抱いたのかと考えてしまう。
だがその問題に答えがでることはない。それは、『彼/彼女』が重大な事柄を見逃してしまっているから。それから目を背け続ける限り、その答えが出ることはない。
モアが部屋から退室して、アリスはようやくゆっくりとだが着替えを再開する。
着替えを終え、ベッドから降りて眠るエレミアの顔を見る。そして、頬に手を伸ばして撫でようとしたとき、部屋の中に大きな音が鳴り響く。
その音の発信源は部屋に置いた通信魔導具だった。アリスはすぐさまそちらへと視線を向けて鋭い表情を浮かべる。そして、一瞬、頭の中に先ほど見た夢が過ぎった。
――『暗黒』から生える無数のツタ。
――『暗黒』の奥深くから覗く瞳。
――『暗黒』の中にかすかに見えた女性的なシルエット。
部屋の中にアリスが唾を飲む音が小さく聞こえる。夢の中で見たモノを思い出しながら、アリスは魔導具へと近付いていく。
アリスが通信魔導具へと手をかざし、音が鳴り止む。鳴り止むと同時に知っている声が聞こえてくる。そこから告げられた言葉はアリスが予想したものと同じだった。
決戦の足音が聞こえた。
今回から二人の吸血姫編エピローグになります。
次の編に向けて物語が一気に動きます。
次回も楽しみにしてくださると嬉しいです。




