第32章 二人の吸血姫2
めっちゃ遅くなって申し訳ない、お待たせしました。
いつも皆様ありがとうございます。
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「いやはや、サブネスト伯爵、実に申し訳ない。途中でうちの馬がダメになってしまいましてね。訪問を許可してくださったことを感謝いたします」
太った不自然な髪をした男性が屋敷の入り口で仰々しい仕草でそう告げる。貴族らしい装飾過多な服を着たこの男性が、エレミアに求婚している件の貴族である。
エレミアは男の舐め回すような視線に、嫌悪感を表情に出しながらも応対する。男はそのまま視線をずらすと、不愉快そうな表情で立っているアリスを見つけた。
「おや、グリムス辺境伯が逗留中でしたか。幼いながらも美しい花が二輪、並んで立つ姿は様になりますな。ただ……」
大口で二人を褒め称えていた男だったが、突如残念そうに顔を覆って首を横に振る。その後に続く言葉が予想できているアリスとエレミアは更に眉間にしわをよせることになる。
「グリムス辺境伯が冒険者などという卑しい身分の出自であることが悔やまれますな。実に残念です。あなたが純血の貴族であったなら完璧であったというのに、その一点だけでこの美しい光景が大いに損なわれてしまう」
男の無礼な言葉に、アリスの視線が冷めたものに変わる。控えていたモアなどは敵意をむき出しにして、いつ飛び掛ってもおかしくない状況だった。
「いい加減に……」
「それはとても残念ね。でも、純血であったならグリムス領の領主は務まらなかったでしょうね。当然、王国の財政にあれほど貢献することもできなかったわね。それに、ズゥ肉って美味しいでしょ?」
エレミアが諌めようとするが、それに被せるようにアリスが口を挟んだ。
グリムス領のモンスターの素材は流通すれば大きな儲けを出すことができる。それによってアリスは王国に財政に大きく貢献している。ズゥ肉などの高級食材ともなれば、貴族達がこぞって買い求める。当然、この太った貴族もその恩恵を受けている。
「えぇ、それもそうですな。グリムス辺境伯には感謝してますよ。何よりあなたは国民人気も高い。純血であったならよりよいとは思いますが、それを帳消しにできるだけの価値がありますな」
男は物分りがいいような態度で納得してみせる。
(この男……)
アリスは男の態度に気味悪さを感じる。この男はいつもこうなのだ。アリスを妾にしようとしていた時も、純血を理由にあれこれと言ってくる割に、アリスの価値を正しく見定めていた。完全に見下してきた他の純血主義の貴族とは何かが違う。アリスにはそれが異質に見えた。
(この男の『目的』を考えれば当然の態度かもしれないわね……)
モアから受けた男に関する報告を思い出して、アリスは警戒度を上げる。
「両手に花とは言いますが、私のような太った男が両脇に抱えるには少しばかり花が美しすぎますかな。お邪魔をしてしまったようで申し訳ない」
男は頭を下げながらわざとらしく自分を卑下してみせるが、そこに卑屈っぽい感情は感じられなかった。その姿は自信に満ち溢れたものだった。
アリスもエレミアも、そんな男の姿に不快感を隠せないでいた。
表向きは今回の訪問はあくまで、馬がダメになってしまったためだ。本来この男はこの領の先にある別の領に向かっている途中だった。その途中で馬がダメになり、馬車が破損してしまったため、馬の補充と馬車の修理のために仕方なく訪問したのだ。
アリスもアリスから話を聞いていたエレミアも、それが表向きの理由でしかないのは知っている。だが、証拠となる物もないのでこの場でどうこう言う事もできない。
「フィレア、お客様を客室に案内してあげて……」
「かしこまりました、エレミア様」
エレミアがフィレアに指示を出して、フィレアがそれを了承する。フィレアが案内するために動き出すと、男はその大きな腹を揺らしながら付いて行く。その場を離れる前に、一度エレミアへと視線を向けて口を開いた。
「それでは少し部屋で休ませていただきましょうか。では後ほどまたお会いしましょう」
エレミアは男が歩き去っていく姿を忌々しそうな顔で見送る。だが、アリスはその後姿に別の思いを抱いていた。
(ほんと、くだらない男だわ……)
――アリスは屋敷の屋根の上で空を見上げていた。男の登場でエレミアの近くにいることで起きる『発作』も治まってしまっている。
(ほんと、理解できないわね)
アリスはモアの報告にあった男の『目的』を思い出しながら、そう心の中で呟いた。男の『目的』はアリスには到底理解できるものではなかった。
目を瞑ると、自分の心臓の音が聞こえる。自分の心音を聞きながら、自分の命について考える。
アリスはこの世界に来て吸血鬼になった。そして、それは永遠の命を得るということだった。完全な不死とはいえないだろうが、老衰で死ぬことはなくなった。それは終りの見えない道を歩き続けるということだった。
この世界での50年で、アリスは何度も自分の生きる意味を問うことになった。長く生きていると、様々な出来事を新しく感じることができなくなる。徐々に感情が鈍くなるのがわかった。その度にグリムス領の開発に力を入れ、エレミアを幸せにするためと言って様々なことをした。何かを理由にしなければ心が死んでしまいそうだった。アリスがロマン武器ばかりを作っているのも、半分はそういう理由だ。
ここ最近は大規模転移や、近々現れる第0級接触禁忌災害のこともあってそうはならないが、またそういう時はくるかもしれない。
(また『恋』でもすれば違うんでしょうけどね)
50年でわかったことはもう一つある。それは不死者であっても『恋』や『愛』といったものは、心を強く動かすことができるということだった。だからアリスは時折『初恋』を思い出しては、身も心も熱くさせる。
(と言ったところで、どうにかできる問題でもないわね)
アリスは目を開いて空に視線を向ける。空は青く、どこまでも続いていた。その先にあるのはアリスの知識の通りなら宇宙だろう。だが、この世界で空の向こうが同じだという保障はない。宇宙があるのか、それとも別の何かなのか、誰も知らない。
(冒険、したいわね)
アリスは冒険者だ。だが、今彼女は貴族の椅子に縛られ、冒険することはできないでいた。冒険の先に新たな何かを求めているのに、彼女は世界に足を踏み出すことはできない。そうしてしまえば今まで積み上げたものを全て失ってしまうのではないかと不安なのだ。
(冒険王なんて、私のどこが冒険王なんでしょうね。冒険をしない冒険王なんて、とんだ皮肉だわ)
アリスは自分の今の状況を考えて自嘲する。見上げる空はどこまでも続いていたが、彼女はその空に飛び立つことができない。羽をもがれた鳥だった。
――そこはサブネスト領から遠く、件の太った貴族の領地だった。その町中を歩くのは赤い髪の妖艶な女性、リリスだった。リリスは町の酒場で安物のエールを飲みながら、資料に目を通していた。
(それにしても、よくこれだけ集めたものよねぇ)
資料に書かれているのは、リリスが高級娼婦として潜り込んだ領主の館で見つけた『コレクション』のリストだった。それは国内外に関わらず、『ある伝承』に関係する物だった。その数は数百点にのぼり、その中には崩壊したカトゴア連邦由来の品まであった。
リリスは資料に目を通しながら、エールを口に運ぶ。エールの甘さが口の中を満たす。リリスのような妖艶な女性が一人で酒を飲んでいれば目立ちそうだが、時間が早いこともあって酒場には他に客はいない。そのおかげで、こういった資料を人の目を気にせず読むことができるのだ。
(それに加えて……)
リリスは資料をめくって別の資料に目を向ける。そこには様々な錬金術について書かれていた。研究内容はあまり雑多であり、この資料だけでは何を研究していたか定かではない。『コレクション』の資料を見れば、何を研究していたかは理解できた。しかし、どんな錬金術を目指していたのかが理解できなかった。
(謎も謎、何がどうなってるか全然わからないわぁ。雑多すぎて、お姫様でもすぐにはわからないでしょうねぇ)
リリスは小さくため息を吐いてカップに口を付ける。だが、中身が空になっていたために、口の中にエールが流れ込んでくることはなかった。彼女はカップの中に視線を向けて、大きくため息を吐く。
リリスは近くにいた給仕を探して手を上げる。
「ごめんなさぁい、エールのおかわりお願いできるかしらぁ」
「はーい、ただいまお持ちしますー」
給仕の女性がエールを取りにカウンターへと入っていく。リリスはその後姿を見送った後、再び資料に視線を向ける。そして、また資料をめくって別の資料を開く。
その資料は一枚で終わらず、複数枚に渡っていた。紙の束のほとんどはその資料だと言ってもいいくらいだった。
(ここまで徹底してるあたり、相当用心深いのよねぇ。私が色欲の魔石から作られてなかったら調べられないわよねぇ)
ホムンクルンスの中でもランクの高い魔石で作られたものは特殊な能力を持つ。色欲の魔王の魔石から作られたリリスは。魅了の能力を持っている。それと黒魔術師の四次ジョブであるディザスターの魔法を使うことで、諜報活動を行っている。その高い能力故に、どのような場所でも一度娼婦として入り込めばどんな情報でも掴むことができる。
そのリリスが用心深いと評するほどに徹底した隠蔽工作が行われていた。
(領地の気に入った女性を情婦にするにも、うまいこと家族を取り込むか、自然に見えるように『引っ越し』が行われている。その上、情婦の情報は外に漏れないように徹底し、その情婦も十二分なほどの贅沢をさせて懐柔している)
その資料に書かれているのは、領主の情婦とその家族の情報だった。『引っ越し』と称して秘密裏に排除された家族や、金と薬で半洗脳状態にされた情婦達、領地の経営に力を入れて、税も酷くない。何も知らない領民は領主を疑うことをしない。
だが、知ってしまえば、この領主がどこまで最低な人間かわかってしまう。知った者は懐柔か『旅に出る』ことになる。
(領地の方は国の騎士団か軍に任せればいいけど、問題は今ここにいない本人よね。まぁ、お姫様がいるから問題はないと思うけど……)
リリスは最後の資料に目を向けて眉を顰める。その資料には、領主が集めたアリスとエレミアの情報が書かれていた。その内容の詳細さに不快感を抱く。幼女と言ってもいい少女達の表向きの経歴や、身長やスリーサイズなど、情報は多岐に渡る。どこから入手したのか、奴隷娼姫として潜入した時の姿の転写紙もあった。
さすがに転移者については知られていないようだが、再生能力などの吸血鬼の能力については細かく書かれている。
(ここまで集めた執念は素直に賞賛するけど、許せるかどうかで言えば当然、許せないわよねぇ。うちのお姫様の恥ずかしい転写紙まであるなんて、ギルティだわぁ)
そこで、近くに近付いてくる気配を感じて、リリスは資料を隠す。
「お待たせしました。エールお持ちしましたー」
近付いてきたのは酒場の給仕だった。給仕はエールを手に持って笑顔を浮かべている。リリスも笑顔で手を上げてそれに応える。給仕はテーブルにエールを置くと、テーブルから離れていく。
リリスはエールを手にとって口に運ぶ。エールで喉を潤しながら、リリスは視線だけを資料の束に向ける。
(後はお姫様に任せるしかないわよね)
エールを飲みながら、リリスは遠くの地にいるアリスを想う。心配はない。アリスが無事で済むという確信はある。ただ、一つだけ心配なのはエレミアに何かがあった時だ。そうなったらアリスの心がどうなるかは予想もできない。ただ、一つわかるのはその時アリスは今までの彼女ではいられないだろうということだ。
(モア、お姫様を頼んだわよ……)
エールを口に入れながらも、同僚に想いを託す。リリスにはもうそれしかできないし、その役目はモアのものだ。
リリスは酒場の天井を見上げて大きくため息を吐いた。そのため息にはほんのりとエールの甘さが混じっていた。
どんどん更新時間が遅くなるぅ。
今回は状況の動き始めです。変態ロリコンデブ登場。
次回も楽しみにしていただけると幸いです。




