第31章 吸血姫伯爵(エレミア・サブネスト)8(終)
少し短いですが、お待たせしました。
いつも皆様ありがとうございます。
――夜、アリスとエレミアが並んで庭を歩いていた。月は高く昇り、月光が庭の水晶薔薇と少女たちを照らす。光の胞子で作られた道の中を歩く二人は、庭の中でも最も開けた場所にたどり着くと足を止めた。
従者達二人はそんな二人の後ろを距離を開けて歩いていた。主が止まると同時に、距離を維持したまま自身も足を止める。
「この辺りでいいかしらね。今日も月がとても綺麗だわ」
アリスが空を見上げながら、憂いを帯びた表情でそう口を開く。エレミアはその姿を見ながら恍惚とした表情を浮かべている。
これから行われるのは秘中の秘、アリスの50年の歩みの一つ。アリスの願いのその形。
「それじゃ、始めるわよ。エレミア、よく見ておきなさい」
アリスはエレミアに視線だけを向けて、愛剣を取り出す。そして、刃を手首に押し当ててそのまま引く。切り裂かれた手首からは血液があふれ出し、それは地面へと落ちていく。
――何が始まりかなんて覚えていないけれど、何を求めたかは覚えている。
月の光に照らされて、アリスの口から『詠/戸惑い』が溢れ出す。溢れ出した言葉に呼応するように、地面には魔力で描かれた魔法陣が生まれる。彼女の心にあるのは今の自分、その『外側』への困惑と疑問。
――何が私を変えたのか忘れないけれど、何を失ったのかは忘れてしまった。
――私を変えたモノを愛しているから。私はソレを求めたのだ。
光の胞子が舞う庭の中で、地面に落ちた血液が魔力の魔法陣とは違う魔法陣を描き始めた。魔力の薄い光と『血の儀式』の赤い光、月光の碧銀の光が混ざり合い、幻想的な光が庭の中に生まれる。
エレミアはそんな幻想的な光に包まれるアリスの姿を、まるで恋焦がれる少女のような表情で見つめている。
目を瞑ったアリスが思い出すのはこの世界で初めて大切なモノを失った日のこと。『青年』が『アリス』になった日のこと。でも、何を失ったのか、何が大切だったのか、それが目を背け続けて朧になってしまった。
それがアリスは今も求め続ける。『自分』という存在の在り方、誰かの目に映る自分の姿。かつて失い続けて、そして霞んでしまったけど、それでもそれは愛おしいものだったから。
――罪に塗れた我が身で抱ける願いではない。
――目を背ける我が意思に貫けるものではない。
求めている。求めているのに、目を背ける。矛盾した今の自分がアリスの願いを否定する。奪った、喰らった、失った、血に汚れたその手にあるのはたくさんの命。護りたいのはたくさんの願い。
アリスが薄く目を開いて、『詠/祈り』を告げ続ける。その姿は自分を律する聖者のようにエレミアの目には見えた。
――それでも私は願い請う。
――穢れた血を知りながら私はただ、その血で願うのだ。
アリスは胸の中に疼きを感じて、目から涙が一筋流れ出す。自分の穢れを、愚かさを、醜さは知っている。それでも、失いたくなくて、幸せに『なって/して』ほしいから、彼女は『詠/祈り』を捧げ続ける。
重なった二つの魔法陣が強い輝きを放ちながら、外周部に光の膜を生み出していく。
――結界魔法『鮮血の貴婦人』
魔法陣と光の膜が溶けるように姿を消していく。不可視の壁となった結界が生み出されたのだ。
「エレミア、これが結界魔法よ」
アリスは涙の流れる顔のまま、エレミアへと顔を向けてそう告げた。エレミアはそんなアリスの顔を恍惚とした表情で見つめていた。そして、エレミアは腕を大きく広げて口を開いた。
「お姉さま。お姉さまは僕たちを護ってくれるんだね。こんなにも美しい魔法で、こんなにも強い想いで、こんなにも優しい願いで……」
エレミアは自分が目指すべき頂の一つをその目にして、その『想い/願い』の強さに胸の奥から熱く、強い歓喜が沸きあがっていた。
アリスの愛に包まれて、護られる。この魔法はエレミアにとって至高とも呼べるものだった。
「あなたには私が得た全てを伝えるわ。私が抱いた全ての想いを伝えるわ。それがあなたの幸せになると願っている」
アリスは足を踏み出して、エレミアに抱きつく。そのままエレミアの頭を撫でながら、再び口を開いた。
「幸せになって。喜びを、愛を、抱き、得て、あなたはこれから進む悠久の時間を歩んでちょうだい」
偽りのないアリスの願い。それは愛の言葉。アリスがエレミアに願い最も強い想い。エレミアの幸せのためなら、アリスは全てを捧げられる。
抱擁を続ける二人の少女を、モアは鋭い目で見つめていた。
――その夜、吸血を終え、愛を交わした少女二人が寝静まった時間、モアはベッドから起き上がって立ち上がる。
(頭がどーにかなっちまいそーです)
モアはアリスが結界魔法を使ったことを快く思っていない。『奏でるは終焉の夜想曲』をはじめとした三大奥義は、アリスが自分の心、その一番見たくない部分を直視することで発動することができる。心にかかる負担は大きく、その負担は傷となって残り続ける。アリスを第一に考えるモアにとっては、それは簡単に容認できることではない。
(マスターにとって、コレが大事なのはわかりますが、もう少し自分も大事にしてほしーもんです)
モアの想いはアリスには届かない。アリスはいつだって自分の心を削って、『戦い/贖罪』を続ける。『戦い/贖罪』は新しい『傷/罪悪感』を心に刻む。永遠に終わることのない『戦い/贖罪』は続いていく。
それを『愛』と呼び、望むエレミアの姿は、いつかそれが終わることを願っているモアの心をかき乱す。
(どーにもならねーのはわかるんですが、どーにかしたいもんです)
モアは服を整えながら、主の寝顔を見る。悪夢を見ている様子はないが、それが正しくいい夢であるはずがない。
モアは部屋の入り口へと向かっていき、ドアに手をかけたところで再びアリスへと視線を向ける。その目にアリスの穏やかに眠る姿が映った。
一度大きくため息を吐いたあと、モアは部屋を出て行く。
廊下を少し歩いたところで一度止まると、アイテムボックスから通信魔導具を取り出して起動した。
「リリス、聞こえてやがりますかー?」
《ん~聞こえてるわよ。でも、夜更かしはお肌の天敵だから手短にお願いね》
通信魔導具の向こうから聞こえてきたのは軽い調子のリリスの声だった。リリスの冗談を受けて、小さくため息を吐きながらモアは数回魔導具を指でつついた。
「おめーの冗談に付き合うのはめんどーなんで、報告をさっさとよこせください」
《お肌に関しては冗談のつもりはなかったんだけどねぇ》
「さっさとしやがれください」
モアはなかなか本題に入らないリリスにイライラした様子で文句を言う。魔導具の向こうではリリスが小さくため息を吐くのが聞こえた。
《随分とイラついてるみたいね。やっぱり、サブネスト伯爵のところにいるのはきつい?
吐き出したいなら付き合うわよ》
リリスから返ってきた言葉は、いつもの軽い口調のものではなかった。同じ従者として、家族として心か心配して口にしているのが伝わってくる。
モアは自分が八つ当たりのようなことをしていたことに気付いて、自分の頭を何度も乱暴にかいた。
「申し訳ねーです。ちょっと頭に血が上ってたみてーです……」
《あなたは私に辛い役目を押し付けてるとか言うけど、私も同じようにあなたを心配してるんだからね。
お姫様が傷つき、傷つけられるのを間近で見てるだけなんて、私達には拷問に等しいことだわ》
窓から差し込む月の光に照らされて、乱れた前髪から涙で潤んだモアの瞳が見える。
「ありがとーごぜーます。でも大丈夫です。マスターを見守るのは私の役目ですから」
《はぁ……。月並みの言葉だけど、帰ってきたら一杯付き合うわよ》
モアの涙を拭って、深呼吸をする。そうすることで感情が落ち着いたのか、いつもの落ち着いた表情に戻る。
「それじゃ、報告おねげーします」
《はいは~いっと、まずは各地域にいる転移者の冒険者についてね。現在、ギルド発行の緊急依頼という形でグリムス領に集まってきてるわ》
リリスの報告は続いていく。それは、出現が予想される第0接触禁忌災害への対策についてだった。冒険者、ギルド、国、その現在の動きは凡そ予定通りだったこともあり、報告にそれほど時間はかからなかった。モアもそれは予測済みだったのか、特に口を挟むことも、表情を動かすこともなく聞いていた。
《次だけど、ご依頼の貴族についてね》
リリスが次に口にしたのは、エレミアに求婚を続ける貴族についてだった。それを聞いてモアの眉が少し動いた。以前その貴族に会った時のことを思い出して少し不快な気持ちになったのだ。
《一言で表すなら……》
リリスが真面目な口調でその貴族の評価を述べようとする。モアの表情が一瞬にして引き締まり、評価が告げられるのを待つ。
《……最悪ね》
その言葉を聞いて、モアが小さく舌打ちをする。続けて耳に入ってくる報告の数々は、モアの予想を大きく超えたものだった。
モアはその報告内容にこれから起こるだろう騒動に不安を感じていた。
窓の外には月がいつもと変わらない姿を晒している。その月から放たれる光だけが照らす廊下で、モアはリリスから報告を受け続ける。その表情は憤怒に歪んでいた。
というわけで31章終了です。
もうちょっとサブネスト領での日常をやろうかとも思いましたが、この編の過去編の量を増やす為に減量です。
次回も楽しみにしてくださると嬉しいです。




