第31章 吸血姫伯爵(エレミア・サブネスト)1
お待たせしました。
いつも皆様、観覧、ブクマ、評価、感想ありがとうございます。
気付けば投稿開始から結構経っちゃいました。これからもがんばります。
2019.6.25 モアのジョブ関連の記述変更。ジョブ関係はちまちまミスしがちです。申し訳ない。
丁度、深夜になった頃、アリスの乗る馬車の目の前に巨大な壁が現れる。アンジェリスのものよりも高い壁には所々光が灯され、開いた四角い穴から大砲の砲塔が顔を覗かせている。
これが王都には劣るとはいえ、貴族統治の領の中でグリムス領を例外として、最大の戦力を持つサブネスト領、その領主が直接治める町『エルネシア』だ。
グリムス領が冒険者を主な戦力――と、いうより冒険者以外の戦力が元冒険者と従者三人だけ――としているのに対して、この領では騎士や兵士など、騎士団、軍が戦力の大半を占める。それは、冒険者にとって魅力のあるものが少ないのも理由だが、領の精鋭達が訓練でモンスターの討伐などを行うため仕事がないのもある。
こういった騎士団と軍が戦力の大半を占めるため、壁の様相も他の領とは違った物になる。兵達が詰め、常にモンスターとの戦闘を想定していることで、壁自体に武装を取り付け、伝令や指示などが円滑に伝わるように構造も考えられている。壁が武器であり、盾であり、指揮所となっているのだ。
これを主に運用するのが兵士であり、騎士達は壁より少し離れた場所を主戦場としている。壁は騎士達が取り逃した敵を屠る、最後の盾となるのだ。
アリスの馬車が巨大で分厚い門の前に到着すると、鋭い目つきをした兵士が数人寄って来る。各々が武器を持ち、気を抜かず警戒を欠かさない。御者のいない馬車には覚えがあるが、気を抜く理由にはならなかった。
モアが小窓を開けて、領主の印がされた封書を兵士に差し出す。兵士の一人がそれを受け取って、周りの兵士達が小窓の先に警戒を向ける。
封書を読み終えた兵士が手を上げて中指を数回動かすと、他の兵士達が武器を空に向けて構えなおす。その後、兵士達が場所の前の道を開けると、門が重々しい音をたてながら開き始める。
「グリムス辺境伯様のエルネシア御訪問を歓迎いたします」
封書を返しながらそう告げた兵士の目は変わらず鋭いままではあったが、『馬車の中への』警戒はかなり薄れていた。その兵士は再び手を上げて、薬指を数回動かす。それに合わせて、兵士達が鎧を揺らして背を伸ばす音が聞こえた。同時に馬車の背後や周囲へと明かりが向けられる。馬車の周囲を警戒しているのだ。
普通の貴族であればこのまま馬車に乗って通り過ぎるだろう。しかし、この馬車に乗るのは冒険王と呼ばれる少女で、彼女はこの領の領主の『母』のような存在だった。
「兵士の皆、サブネスト伯爵をしっかり護れているわね。今後もこの調子でしっかりね」
馬車の中から兵士達の耳に届いたのは、幼いながらも凛とした美しい声だった。その声に兵士達は自身の心臓が跳ねるのを感じた。
冒険王物語は冒険者だけのものではない。兵士や騎士であっても、国を救い、最前線を切り開く英雄の存在は心躍るものだった。その英雄に声をかけられ、労われ、褒められたのだ。嬉しくないはずがない。
小窓が閉まり馬車が動き始める。兵士達は僅かな昂揚を感じながら、更に背筋を伸ばしてそれを見送った。
しかし、馬車の中では……。
「随分とサービスするんですねー」
「あら、当然よ。あの子の部下だもの、たっぷりサービスして張り切ってもらわないと」
(おぅ、初めて会ったときはファンサービスはしないとか言ってた気がすんですけどねー)
そんな会話が行われていたことを兵士達は知らない。知らぬが仏とはまさにこのことである。
――それから少しして、町の中を進んでいた馬車は一つの屋敷の前で停車する。月はすでに真上を過ぎており、零時は越えていることが容易に理解できた。
月明かりの下で、開いた馬車のドアから白銀の糸が舞い、躍り出た。白銀の月光に照らされた銀糸の少女、アリスは優雅に音を立てることなく右足から地面に着地して綺麗に一回転する。
「モア、早く出てきなさい。今日はこんなにも月が綺麗だわ」
両腕を大きく広げて、アリスはモアに馬車から出てくるように促す。顔には満面の笑みを浮かべ、頬は期待からかほんのりと赤くなっていた。
その様子は普段の彼女からは考えられない程に昂揚し、無邪気にすら見えるものだった。
モアが馬車から降りてくると、アリスは彼女の手を取って引っ張り始める。
「あー、マスター、私は馬車を馬小屋の方に連れてかないのいけねーんですよ」
「あら、そう? それじゃ、先にあの子へのお土産だけ下ろしてもらえるかしら」
うんざりした表情のモアの珍しく職務に忠実な発言を聞いて、アリスはちょっとだけ頬を膨らませるが、すぐ気を取り直してモアに指示を出す。
指示を受けて大きなため息を吐きながら、モアは馬車の中からいくつかの箱を下ろしていく。アイテムボックスにいれていないのは、気持ちの問題でしかない。折角のプレゼントなのだから、自分の手で持っていきたいというアリスのこだわりだ。
降ろされた箱の数は大小合わせて一桁では足りない量だった。アリスはその一つ一つを鑑定スキルまで使って確認する。
一通り確認が終わると、納得したように一度だけ大きく頷く。そして二桁に上る数の箱をバランスを取りやすいように積みなおしてから、片手で持ち上げた。
「モア、馬車を繋いだらすぐにこっちに合流しなさい。この時間だもの、あの子も『夜食』に手を出さずに待っているはずだもの」
今のアリスはエレミアの『母親』である。吸血鬼としての感性に身を委ねることに躊躇いはない。それ故の『夜食』という発言であることはモアにもわかっている。後になって一番苦しむのがアリス自身であることもわかっている。
モアは自分自身が食事として求められることに忌避感はない。しかし、アリスが無理をしているとなれば話は別で、今の姿も痛々しくしか見えないのだ。だから、モアは前髪の奥で眉を顰めていた。
「わかりましたでごぜーますよ。馬車を繋いだらすぐに合流しますんで、ご心配なくー」
主は従者の想いに気付くことはない。今、彼女は自分の演じる『吸血姫』に溺れているから。だから、従者は主に悟られないように手だけを振って、その場を離れる。後ろで主の弾む足音が聞こえる。
馬車を引きながらモアはアリスが消えて行った方向へと視線を向けた。そこにはすでにアリスの姿はなく、あるのは夜の闇だけだった。その先にあるのは大きな屋敷が一つ、サブネスト伯爵の屋敷だ。
その中にいる領主へ向けて、モアは内心にしまってあった怒りの感情を向ける。それは燃え滾るマグマのように内側から溢れてくる。プリンセスと同じ特殊ジョブ『ニンジャ』、隠密と特殊スキルに特化したこのジョブをサブジョブにする者には似つかわしくない激情を抱く。
だが、それもアリスを想い、愛するが故、そのために抱いてしまう思いだ。
敵意を、怒りを、憎しみを、屋敷の中にいるはずの人物へと向ける。当の本人はそれに気付いたとしても意に介すことはないだろう。彼女にとって、アリス以外の人物から向けられる感情など何の意味も持たないのだから。
モアはしばらく屋敷を睨んでいたが、一度顔を伏せた後に振り返って再び馬車を引きはじめる。
モアの心にあるのは現状への疑問。いつまでこんなことが続くのか、出ない疑問を繰り返し続ける。敬愛するアリスが救われるその日を夢見て……。
――屋敷に足を踏み入れたアリスを迎え入れたのは、屋敷の主であるエレミアと、その後ろに控えるフィレアだった。エレミアは普段の豪華なローブでフードだけ外して、フィレアはメイド服を身に纏っていた。
アリスはエレミアの顔を見つけると、表情を明るくして『濁った』瞳でエレミアを見つめる。
「いらっしゃいませ、お姉さま。僕、お姉さまが来てくれるのが楽しみで、ずっと待ってたんだ。お姉さまが扉に近付いた時、すぐにわかったよ。お姉さまが着いたって、お姉さまが僕に会いに来てくれたって」
エレミアは恍惚とした笑顔を向けて、アリスの訪問を歓迎する。アリスの手で吸血鬼になったためか、エレミアはアリスの存在を大雑把にだが感知することができる。これはAWO時代に存在した吸血鬼の設定が影響している。
歓迎の言葉を受けて、アリスは手の上に積んだ箱のバランスを崩さないまま、エレミアの前へと満面の笑みと弾んだ歩みで近付いていく。
「えぇ、招待してくれてありがとう、エレミア、私の可愛い娘。
私もあなたに会いたかった。あなたを抱きしめたかった。あなたに私の愛を伝えたかった。あぁ、私の愛しい娘、エレミア」
アリスがエレミアを抱きしめようと近付くが、ふと、ある事を思い出して動きが止まる。アリスの視線は自然と自身の手の上に重なった箱へと向けられる。
「そうだわ、エレミア。あなたに似合う素敵なプレゼントをたくさん持ってきたのよ。
あなたは受け取ってくれるかしら? あなたは喜んでくれるかしら?」
そう言ってアリスは手に持った箱の山をエレミアへと差し出す。エレミアは笑顔を崩すことなく、その箱の一つへと手を触れる。それを見てアリスが顔に花が咲いたような笑顔を浮かべる。
そして、エレミアは何度か箱を撫でた後に口を開く。
「フィレア、これを部屋に運んでおいて。中身は後で見るから」
そうフィレアに指示を出して手を離す。一瞬アリスの表情が曇るが、すぐに元の『濁った』笑顔に戻ると、箱の山をフィレアに渡す。
アリスは度々エレミアにプレゼントを持ってくるが、いつも今回のように少し触れるだけでフィレアに預けてしまう。アリスはプレゼントしたものを身に着けていたり、使用している姿を一度も見たこともない。
エレミアはアリスの一瞬の表情の曇りを見逃さない。それこそがエレミアが求めているものなのだから。
アリスからのプレゼントが嬉しくないはずがない。だからエレミアはプレゼントを受け取るが、決して喜ぶ姿を見せたりはしない。そんなことをしてしまえば、アリスの中にある『愛/罪悪感』が僅かでも減ってしまうからだ。
「ねぇ、お姉さま。そんなことより、疲れたよね。もう、夜も遅いからスープくらいしか用意してないけど、飲むよね?」
そして、先ほどのアリスが抱きしめようとしたことの続きを求めることもしない。エレミアは自分からは求めない。求めず捧げ、捧げさせる。それがアリスの『愛/罪悪感』をより深くする方法だと知っているからだ。
「ねぇ、エレミア、その前に、私に抱きしめさせてちょうだい。愛しい私の娘を抱きしめたいの」
アリスはそれに気付かない、気付けない。エレミアは今までもずっと『可愛い娘』だから、エレミアはこれからもずっと『愛しい娘』だから、疑わない、疑えない。いつか『愛/贖罪』を与え続ければ、きっと応えてくれると信じている。いつか『愛/贖罪』を示し続ければ求めてくれると信じている。
それが間違いだと、幻想だと気付くことなく、ただ、求められることを求め続ける。
だから、アリスは腕を大きく広げてエレミアを抱きしめる。抱きしめて自身の熱を、想いを伝え続ける。
「あぁ、エレミア、愛しい私のエレミア。聞こえるかしら? 私の心臓があなたへの愛でこんなに熱くなっているの。私の腕があなたへの愛でこんなにあなたを求めてしまうの」
エレミアは一人、アリスに抱きしめられながら、アリスに捧げられながら、恍惚に表情を歪め続ける。アリスの抱擁はモアが屋敷に入ってくるまで続いた。
アリスが必死になってエレミアに構う姿を見ながら、モアは内心奥深くにこみ上げてきそうになる感情を飲み込んだ。
出来の悪い演劇のような、セリフ回しを意識してみた回。
二人の吸血姫編は結構こんな感じのセリフが多くなると思います。
31章は丸々サブネスト領での日常という名の堕落が続きます。
次回も楽しみにしてくださると嬉しいです。




