第30章 サブネスト領へ1
平成最後の投稿です。お待たせしました。
いつも皆様ありがとうございます。
夜の寝室で、傍にモアが控えている状況でアリスは一組の資料に目を向けている。その資料にはグリムス領近辺にある『暗黒』の報告が書かれていた。以前から存在したものについてはそれほど気にしていない。重要なのは大規模転移以降に増えたブランクである。アリスはその中でも現在進行形で拡大を続けているものを、特に重要と考えている。
「数はそれほど多くないわね」
アリスは別の資料を取り出して、それと見比べる。もう一組の資料は最近発見された、新種のモンスターを含む生物や植物などに関する資料である。
そうやって見比べていると、『暗黒』の中で一つだけ気になるものがあった。
膨張を続けている物の一つ。その周囲には小さな『暗黒』がゆっくり膨張を続けていると書いてある。
アリスは資料に目を通しながら、第0級接触禁忌災害の可能性を考えていた。『暗黒』の膨張が止まると同時に新種の生物や植物が世界に現れ根付く。これは『暗黒』を観察することでわかったことだ。現れるのはどれもAWOに存在したもので、召喚元がそこであることは間違いなかった。もう一つ召喚されたモノがあるが、それは置いておく。
レイドボスの中には、取り巻きと呼ばれていた雑魚モンスターを召喚するものがいた。大きい『暗黒』が本体、小さい『暗黒』が取り巻きと考えれば納得のいく状況だ。
だが、問題はそれがいつ現れるかだ。膨張する速度はまちまちで、どれくらいの大きさで出現するかは予想できても、いつ出現するかは予想できない。
「考えても仕方ないわね。それよりも……」
考えても答えが出ないと感じたのか、アリスは資料をテーブルに投げやってからスケジュール表に目を向ける。そこには彼女を悩ませる原因が書かれていた。
「あぁ、明後日の予定ですかー。もう、諦めたらどうですか。別に嫌いってわけじゃねーんでしょ?」
「嫌い? むしろ我が子のように愛しているわ。愛おしくてたまらないくらいよ。でもね……」
――あの子を壊したのは私なのよ。
夜の月が窓から憂いを帯びたアリスの表情を照らす。
――翌日、アリスはカイト達を連れてグリムスの森に出向いていた。カイト達は無事Sランク入りを果たしたので、こうしてアリスに随伴して森の調査に来ることができるのだ。
余談だが、アリスはカイト達のSランク入りの際に、本当に黒竜王を連れてきた。何故かはわからなかったが、黒竜王の顔はボコボコになっており酷い有様だった。
「ふぅ、さすがに森のモンスターは外よりも強力だね」
カイトがため息を吐きながらモンスターを切り捨てる。ため息こそ吐いているが、疲れている様子は見られなかった。付近では始めてのグリムスの森に昂揚してモンスターを殴り飛ばしているメイと、それを抑えようとして振り回されている王牙もいた。LDは普段の装備でアリスの傍に侍っている。
「今後は私の代わりにあなた達にここの調査や間引きをお願いすることになるわ」
アリスはそんなことを言いながら目的地へと足を進める。カイト達にモンスターの処理を任せながら、アリスは悠々と森を歩いていく。
森が徐々に静かになっていく。モンスターの数も減り、植物もどこかしな垂れているように見える。空気が重くなる。まるで生命の存在を拒絶しているかのようにさえ感じてしまう。
気付けばモンスターも姿を見せなくなり、動植物も減ってきた。何よりも、呼吸がし辛く感じる。騒いでいたメイもその空気に緊張を隠せずにいた。
アリスとLD以外三人の呼吸が荒くなり始めた頃、目の前に開けた場所が見えてきた。
「なに?」
その言葉を誰が発したのかはわからない。だが、呼吸が荒くなっていた三人の顔が驚愕に染まっているのを見るに、心の中では『四人』とも同じような感想を抱いているだろう。
そこにあったのは黒い球体が二つ、大きい黒と小さい黒であった。それは動くわけでも、脈動するわけでもなかった。
更に周囲の大地や木々は抉られたように消滅しており、その隙間から漏れている陽の光は球体を照らすことはなかった。光が当たっていないわけではない。光が当たった部分で、まるで光など存在していないかのように消滅してしまっている。
ただそこに存在しているだけなのに、強い不安を感じてしまう。それはまるで生死すら関係なく、あらゆるモノが存在していることを許さない。そう、本能が理解してしまう。
自己保存の指令が存在していたため、機械人であるLDですら例外ではなかった。
「これは『暗黒』」
アリスがそう言って、一枚の葉を黒い球体に投げ入れる。葉が球体に触れると、まるで消滅してしまったかのように姿を消していく。
「これに触れると、触れたモノや部分は消滅するわ。調査対象はこれよ」
そう言って、アリスは地面に目を向けて何かを探し始める。
「あ、えっと、何を探してるんだい?」
カイトが疑問に思って口にする。アリスは顔は地面に向けたままで答えを返す。
「話聞いてたの? あれに触れると全てが消滅するのよ。だから、できる調査なんてサイズを測るくらいしかできないのよ」
話しながら何かを探していたアリスだったが、目的の物を見つけてアイテムボックスから紐を取り出した。
「触ることもできないし、近付けば危険、なら、遠くから大体の大きさを測るしかないのよ」
紐を杭のような物に結んで張った後、アリスはうつ伏せになって遠くから『暗黒』を見つめる。
その状態で見えた球体の端の位置、紐のその部分に印を付けて立ち上がる。紐を回収すると、印の位置を見比べて眉を顰める。
「マイスター。『暗黒』とは何でしょうか? これについては触れると消滅する以外の資料が存在しませんでした」
思案に沈んでいるアリスに、LDが疑問を伝える。LDが言った通り、『暗黒』の詳細は一般には公表されていない。それ故にLDもそれに関する知識は有していない。LDのこの世界に関する知識の多くは書物と、アリスから教えられたことだからだ。
「どうやって生まれたのか、どういう存在なのかはわからないわ。でも、さっき言った性質ともう一つ、AWOからの転移と関係しているということがわかってるわ」
AWOからの転移、そう言われて彼らが最初に思い浮かべるのは大規模転移だった。
「あなた達が考えている通りよ。モンスターや動植物も転移してきてるけど、大規模転移もあの草原の地下に存在する『暗黒』と関係があると思うわ」
そう、アリスが説明した通りである。大規模転移もアリスの転移も、どちらも草原の地下に存在する『暗黒』が何らかの関係があるとされている。
転移と『暗黒』の関係も状況から考察しただけで、確たる証拠があるわけでもない。そのため、アリスにもはっきりと関係があると断言できるわけではない。それでも無視できる要素ではないのも確かではある。
「それ以上のことは何もわからない、わからないから困ってるのよね」
アリスは小さくため息を吐きながら、眉を八の字に変える。
「でも、注意だけはしておきなさい。これの測定もあなた達に依頼するんだから」
アリスが目を細めて四人を見渡す。その視線を受けて、ことの重大さを理解させられる。転移への対策、その初動を任せると言われているのだ。
カイト達の顔が引き締まる。友人から、マイスターから、領主から、冒険王から、この森の管理の一端を任されることに気が引き締まるのを感じた。
「大丈夫そうね。それじゃ早速明日から頼むわね。連日になるけど、その分早く森に慣れるでしょうし」
アリスが小さく笑って、安心したようにそう告げた。カイトはその言葉に少しの疑問を感じる。
「ん? アリスはもう一緒には来ないのかい」
他人事のように告げたアリスの言葉を受けて、カイトはアリスと一緒に森へ入るのは今回だけだと感じた。だからこそ、その疑問を抱き、そして口に出したのだ。
「私も忙しいのよ。明日からはサブネスト領に行って数日滞在して、そのまま王都に向かって議会に参加よ」
アリスが貴族なのは皆知っていた。しかし、目の前で面倒そうに語るアリスが実際に貴族としての仕事をしているのを、見る機会は大狩猟祭の時だけだった。
別の貴族との会合――実際は以前の議会と、大狩猟祭前の通信でした約束――や、アンジェリスでウィリアムも口にしていた議会への参加など、実際に貴族の仕事を語る姿は新鮮に見えた。
「冒険王って本当に貴族だったんだねぇ」
メイの発言に場の空気が凍る。この場所が『暗黒』の近くということも忘れて、アリス以外の表情が凍りついた。
その発言は相手次第では侮辱と取られても仕方ないものだ。下手な貴族に言ってしまうと、打ち首を言い渡されるくらいのものだ。
貴族がそうであることを疑っていたという発言なのだから。
「メ~イ~……」
アリスがメイの前まで近付いてくる。そして……
「ていっ。貴族を疑うとは、この無礼者っ」
メイの頬を抓ってムニムニと伸ばし始める。
「ひぇ、ひゃって、おひほほひてふほほひひゃほほひゃいんひゃほん~(えぇ、だって、お仕事してるとこ見たことないんだもん~)」
アリスとメイが気安い関係になっているのには理由があった。
大狩猟祭終了後、アリスはメイと王牙を屋敷に招いて、約束通り自分の冒険者としての話を聞かせた。王牙は途中で宿に帰ったが、メイは何日も泊り込んでアリスの話を聞いていた。何度も何度も、メイは目を輝かせてアリスの話を聞いて、一緒に生活していたのだ。
地球の時と合算して70歳を過ぎているアリスには、そんなメイの様子は可愛い孫娘のように映った。
結果、一緒にお風呂に入ったり、一緒の布団でちょっと御伽噺風にアレンジした自分の冒険譚を聞かせたりした。そうやって、一緒に過ごす中で、祖母と孫のような気安い関係になったのだ。今では、メイはアリスの屋敷に自由に出入りできる立場にまでなっている。
「ふぇえ、ほっぺが伸びちゃったかもぉ」
アリスが手を離した後、メイは涙目で自分の頬を撫でていた。アリスはそんなメイの頭を撫でながら、優しそうに微笑んでいる。
「もう、そんなに泣かないの。可愛いお顔が台無しよ」
周りの面々は自分でやっといて何をとか、そういうことより、妹を慰める姉にしか見えないその姿に和んでいた。本人としては孫と祖母のつもりなのだが。
メイが泣き止むと、アリス達は町に向けて歩き始める。後ろにはただ『暗黒』だけが存在していた。
――帰り道では元気の戻ったメイが、アリスにいいところを見せようと張り切りに張り切ってモンスターを殲滅していた。
そんな中、王牙が速度を緩めてアリスの横に来て口を開いた。
「あの『暗黒』は、レイドボスが出てくるのか?」
そして、核心を突いた言葉を口にする。あまりにストレートな物言いに、アリスは少し驚くが表情には出さずに彼に視線を向ける。
「そうね、私はそう考えているわ」
王牙の顔が険しくなる。彼は元気に暴れるメイに視線を向けた後に、アリスへ願いを伝える。
「あなたが、メイを大切に思ってくれているのは嬉しい。だから、メイは……」
「AWOの時のような博打に使うつもりは最初からないわよ。それはあの子に限った話じゃない。被害を出さずに第0級接触禁忌災害を倒す。絶対によ」
王牙の願いを理解していたのか、アリスは真剣な表情で己の心中を語る。その言葉に王牙は驚きを隠すことができなかった。
貴族という立場があるアリスに、メイのことを願うのは難しいと考えていた。立場上、メイも純粋な戦力としてカウントされているのだとそう思っていた。
だが、アリスはそれを否定した。それどころか、誰も死なせないと、そう口にしたのだ。
「安心しなさい。あの子は死なないし、死なせないわ」
驚く王牙を置いて、アリスは歩いていく。モンスターが途切れて、メイが元気にこっちに手を振っている。その様子に笑顔を浮かべながらアリスがメイへと近付いていく。
王牙はそれを頭をかきながら見ていた。
(まったく、いらぬ心配だったか。優しい領主で助かった)
一行は再び町へと歩き始めた。いずれ訪れる戦いに思いを馳せるより、今は妹の暴走をどうするかの方が王牙にとっては重要だった。まずは今目の前で領主に抱きついているのをどうにかしないといけない。そう考えると、彼は少し頭が痛くなった。
ブランクの説明回でした。
効果だけはなんとなくわかるけど、詳しくは知らない。そんな謎の物体X。
令和でも楽しみにしてくださると嬉しいです。




