第35章 英雄集結5
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――ソファーの上に座るアリスは、前にいるオーパルに視線を向けることなく紅茶の入ったカップに口を付けていた。反面、横に座るニャアシュの顔は対面してからずっと、表情を引きつらせたままだった。
「ナんダ? 俺ノかオに何か付イテルのかイ、ギるドマスたー殿」
面談相手であるオーパルは何が愉快なのか、口の端を歪めて目の前のニャアシュを見つめていた。
ニャアシュは一目見た時から、オーパルから今まで感じたことのない寒気のようなものを感じていた。今まで多くの冒険者を見てきた。真っ当な冒険者はもちろん、『F』ランクになるしかないようなものも、サブネスト領でモアが殺した元冒険者の暗殺者もだ。人間もビーストも、中には自分を小娘のように扱う長命種もいた。
だから、ニャアシュには理解できなかった。目の前の男がエルフなのはわかっている。同時に転移者であり、今まで別の世界で暮らしていたことも知っている。
(さっきから、なんでコイツはあちしに対してこんな視線を向けてやがんだ)
口元だけ見れば不気味な笑みに見えるが、その目には決して負の感情が混ざっていなかった。その瞳はまるで懐かしむように、ようやく芽の出た花を愛でるように、慈愛に満ちたものだった。長命種の向ける若者へと向ける視線よりも、もっと身近で、もっと親愛の篭ったものだった。
ニャアシュとオーパルに以前に関係があったという事実は存在しない。そんな視線を向けられる理由など何一つないのだ。
無関係な相手に向けていい視線ではない。
「うちの子に気色悪い視線向けてんじゃないわよ。あと、その面、本物オーパルを思い出すからやめなさい。あんたのロールプレイ重視のコスプレなんてこっちは微塵も興味がないのよ」
「辛ラつダナぁ……」
オーパルはアリスに文句を言われ、困ったような表情で顔を俯かせる。それを見ても、彼女はどこか不機嫌なまま紅茶に口を付けるだけだった。
(なんかめっちゃ機嫌悪いしぃ。怖いんだけど、何がどうして怒ってるの? 今朝話してる時はそんなことなかったよね!?)
アリスの理解不能な怒りもニャアシュが表情を引きつらせる理由になっている。今朝の会話から、毒舌ではあるが悪い印象は受けなかった。だが、実際に本人が前に来た時、アリスの機嫌が急に悪くなったのだ。
正直な話、居心地が非常に悪かった。人目がなければ泣いていたくらいだ。
「あなたのコスプレ趣味についても、そのやけに聞き取りづらい変な喋り方についてももういいわ。この際目を瞑るわ。自己紹介、してもらえるかしら?」
「お、やットカ。お初ニオ目ニカカるよ、ギルどまスタードの。オーパルだ。これカら世話ニナる」
ニャアシュなどお構いなしに、アリスとオーパルは勝手に話を進めていく。もはや、ニャアシュには流れに任せることしかできなかった。
「う、うん、よろしく頼むにゃ。一応、今回の件が終わり次第、『F』ランクの先輩を付けて色々学んでもらうつもりだにゃぁ」
頭を抱えるような事態ではあったが、話を聞き流すようなことがないのは流石と言えるだろう。そうやって、オーパルの挨拶に応えたところで、ニャアシュは引っ掛かりを覚えた。
(多少訛りはあるとは思うけど、別に聞き取り辛いって程じゃないし、変でもないと思うんだけどにゃぁ。ちょっと不機嫌すぎない?)
それはアリスがオーパルの喋り方について言及した言葉だった。ニャアシュは聞いたことがない訛りとは思ったが、おかしなところがあるようには感じなかった。だから、アリスがそこに言及したことに引っ掛かりを覚えたのだ。
「領主様、それ地方の村とかで絶対言っちゃだめにゃ。訛りをバカにすると、こっちの品位が問われることになるにゃ」
あえて機嫌には触れることなく、釘をさすに留める。実際田舎村でそんなことになれば、貴族全体に対して不信感を与える結果になりかねない。余計な火種は撒かないに限るのだ。
それを言われたアリス本人は何故か一瞬驚いた様子を見せて考え込んでしまった。反省でもしているのかと思い、ニャアシュはそれ以上何も言わなかった。
彼女が何を考えているのか、それは彼女にしかわからない。
「えーっと、領主様はこんな様子だし、おおまかな話はこっちでしておくにゃ。色々と勝手が違うから、しっかり聞き逃さず、心に刻むにゃ、ルーキー」
そこからはアリスが考え込んでしまっていたせいか、話はスムーズに進んでいった。『F』ランクの設立経緯に始まり、主な仕事内容やギルドの『知っていい範囲』での組織図の話などがされた。
オーパルは口を挟むこともなく、ただ黙々と聞いていた。権力や利権が絡む秘密に気付いてはいても、それをどうとも思うことはない。彼にとってはそんなことは些事であり、重要なことではない。
「ウン、だイたいのコトハわカったよ。俺トしてもソうイウ役割は大カンげイだ。喜ンで走狗トナロう」
彼にとって、ギルドがどういう組織か、などということはどうでもいいことだ。彼が不満に思うような要素は『吸血鬼の英雄』が手を加えている時点でありえない。その点において、彼はアリスを信用している。
「ありがたいことだにゃ。まぁ、首輪を付けるつもりもないし、普段は自由にしてくれていいにゃ」
ニャアシュとしても、思った以上に話がスムーズに済んだので拍子抜けといったところだ。転移者らしからぬその姿に悪寒を感じないわけではないが、問題さえ起こさなければ構わない。
「ただ、問題を起こせばうちの領主様の手間が増えることだけは覚えておけよ。目はどこにでもある。首輪はなくとも、あんたはもう逃げられないんだ」
目を細めてニャアシュがオーパルを睨みつける。その眼光は普段ののほほんとした駄目ギルドマスターのものではない。大きなものを背負った重役のものだった。
問題を起こせば、アリスが対処に回る。そうすれば、彼女の機嫌が悪くなるのは確実だ。そのとばっちりを受けるのは近くにいるニャアシュである以上、釘をさすのは当然だ。
オーパルが静かに笑みを浮かべて、一つ頷いた。その姿を見て、ニャアシュも満足そうに鼻を鳴らした。
――
「で、領主様はいつまでカップを眺めてるのかにゃ?」
ニャアシュの声が自分に向けられたことで、アリスは顔を上げる。しかし、そこにはいたはずのオーパルの姿はなくなっていた。
「彼ならもう一時間以上前に帰ったにゃ。その間いったい何を考え込んでたにゃ?」
アリスは首を傾げながら周りを見渡しオーパルがいないことを確認すると、小さくため息を吐いた。そして、自身の顔に視線を向けるニャアシュへと向き直って口を開いた。
「ねぇ、本当に彼の言葉は訛っていた程度なのよね?」
「うん? そうにゃ。別に珍しいものでもなかったにゃ」
ニャアシュの答えを聞いて、アリスの眉間にしわが寄る。その様子を見て、今度はニャアシュが首を傾げることになった。
「ねぇ、私とあなた、同じ言葉を喋ってると思う?」
再び投げかけられた質問は、ニャアシュの理解を超えるものだった。言っている意味も理解できないし、『当たり前』すぎる質問で聞かれた意味も理解できない。だから、彼女は何の迷いもなく答えを口にした。
「当然そうに決まってるにゃ。じゃなきゃ、こうして言葉を交わせないにゃ」
「残念、答えはNOよ。私たちは違う言葉を話している。私達転移者の身体は、言葉を発するのも聞くのも、自動翻訳を挟んで行っている。それはそれで疑問が残るのだけどね」
アリスの返答を聞いて、ニャアシュは驚いた表情を浮かべる。今まで、当たり前のように会話してきたが、相手は別の言語を喋っているつもりで、相手には別の言語に聞こえている。その事実は驚愕するには十分なものだった。
「私達の身体はAWOの言語を日本語で理解して、発した日本語をAWOの言語に翻訳する機能が備わっているの。あくまでAWOの言語のはずなのだけどね」
そう口にしながら、アリスは自分の唇を指でなぞる。
設定上翻訳をAWOの言語に限定していたのは、単純に日本語以外の地球の言語で会話した際に翻訳されないことの言い訳だったのだろう。だが、それが今の現実で機能しているということは、同時にこの世界の言語がAWOの言語と同じであるという可能性を示している。
その理由はわからない。彼女はこの世界の本来の言語を耳にすることができないのだ。
「これ以上は確証がない、というより、まだ頭の中で整理がつかないから言わないわ。でも、私に聞こえていたあの男の言葉は、方言や訛りで済ませられるようなものではなかったわ」
この世界の訛りは翻訳時に多少アクセントに癖を感じるものだ。だが、オーパルのそれは度が過ぎているようにアリスは感じていた。
そもそも、何故翻訳の必要のない日本語を翻訳していること前提に考える必要があるのか。そこからして、すでに不自然極まりないのだ。だから彼女の中で考えがまとまらない。
(日本語を話してるはずなのに、私に不自然な言葉に、ニャアシュには訛りは酷いが自然に聞こえる。問題がまた一つ増えたわね……)
今のアリスにこの問題に没頭している余裕はない。最も成さねばならないことが目の前に控えているのだ。
彼女は一度頭を大きく振って、疑問を頭の中から振り払う。
「それじゃ、私も屋敷に帰るわ。くれぐれも彼のことは頼むわよ」
そう、言葉を残して従者とメイの待つ屋敷へと帰るために、アリスはギルドマスターの部屋の扉に手をかける。ニャアシュもそれを何も言わずに見送る。アリスが『言わない』と言った以上、これ以上聞いても何も答えてはくれないことをわかっているからだ。
それに加えて、ニャアシュにも成すべき仕事がある。この世界始まって以来の人類最大の戦いに勝つために、一人でも多くの者達を生かすために、ギルドマスターとしてやらねばならないことがある。
冒険者を引退した彼女の戦場はここ、執務室だ。普段、どれだけ仕事ができなくても、今回だけは血反吐を吐いてでも止まるわけにはいかない。いつもなら、多少のミスくらい冒険者の側でうまくやってくれたり、他の職員が訂正してくれたりする。だが、今回だけはそうはいかない。どれだけ完璧にこなしても足りない。だからこそ、文句を口にしても、決して仕事を投げ出したりはしない。
ニャアシュは椅子に腰かけると、テーブルに置かれた書類に目を向ける。その眼差しは獲物を狩る前の獣のように鋭かった。
執務室の一幕だけで一話丸々終わってしまった。
伏線の時間です
次回も楽しみにしてくださると嬉しいです。




