不治の病
さっきまで物音一つせずに不気味だと思っていた図書室に人がいた。
「あっ...」思わず驚いて声が漏れてしまった。女性はすっと僕の方を見た。綺麗なクリッとした瞳、筋の通った鼻、薄めの唇。まるで人形のような容姿をしていた。
「こんにちは。あまりに暑くて図書室で涼もうと思って。」女性は手で扇ぐふりをしながら笑顔で僕にそう言った。
「そうですか。」動揺もあり、素っ気ない返事をした。そして僕はあまりに素っ気ない返事をしてしまったと後悔して、その場から立ち去る勇気が出なかった。とても冷たい人だと思われそうで。
僕は本棚の方に向き直り一度探したはずの本棚をまた眺めはじめた。ちらと女性の方を見るとまだ本棚の上の本を眺めているようだ。手を伸ばしてもその位置の本は取れないであろう背丈。女性は探していた本を見つけたような顔で手を伸ばした。案の定届かないようだ。ここは男である僕が取ってあげるという展開が世間的には好ましいはずなのだが、声をかける勇気もない。女性はつま先立ちまでして届くはずがない本棚に手を伸ばす。
「取りましょうか?」あまりに不憫に思ったので、声をかけた。
「助かります!」女性はピンと張っていた身体を直し僕に会釈した。
「どの本ですか?」
たくさんの種類の本がある中で、ここは医療系の本が揃っている。
「一番右の...」僕は一番右にある分厚めの本を取り出した。
「これであってますか?」本棚から取り出した本を女性に渡す。
「ありがとうございます!」女性は嬉しそうに受け取った。他人のプライバシーを覗く趣味はないが、ふとその本の表紙を見ると、 [不治の病 治らざる難病]と表題されている。
「その本...」と思わず口を滑らせた。僕自身が探していた本にとても近しい本だ。
「もしかして、これお探しでしたか?」悟られたかのように女性が尋ねてくる。
「いえ...もしかして医学部の方ですか?」僕は誤魔化した。とても気になるタイトルだったので本に目を付けた。
「はい!この大学の医学部に在籍してます。」なるほど。医者志望ならたくさんの病気を知っている必要がある。勉強熱心なんだろうな。
「そうなんですか。不治の病も治せる時が来るんですかね。」僕は冗談めいた口調で言った。
「来ますよ!私が治します!」女性はそれまでとは違うような強い口調でそう言った。まるで僕に向けて言っているような気がしたが、思い過ごしだろう。
「たしかに日本の医療はどんどん進歩してますしね。」僕は他人事のように言った。
「そうですよ!私が医者になって世界中の人たちの病気を治すことが夢なんです!」
綺麗事だ。
しかし、彼女の目は僕の瞳の奥まで見ているようなそんな目をしていた。本気なのだろう。
「少しゆっくりお話ししませんか?」彼女がそんなことを言い出した。