未来への恐怖
僕の中の秘密は僕を周りから遠ざけていく。知ってしまった人は笑顔という仮面の下で僕を哀れむ。どうしようもない。運命には抗えない。抗わずにひっそりと生きていくことが正解。そう思っていた。そう信じていた。しかし、どうもその歯車は簡単に噛み合わない。彼女の存在が歯車を狂わせる。
東京の某大学に春から通い始めて、4ヶ月。茨城から一人暮らしのため上京したが、東京の夏を舐めていた。あまりに暑いため部屋のエアコンをつけようとするが、節約の二文字が頭をよぎる。母親のケチな部分が似て極限状態にならない限り節約するところは節約する癖がついた。しかし、あまりにも暑すぎる。こんな鉄筋コンクリートの檻にいたら溶けて蒸発してしまいそうだ。とりあえず外に出よう。そう思い、必要最低限の持ち物と軽装で外へと出る。もちろん言うまでもなく暑い。どこか涼める場所を探していると、夏休みではあるが、大学の図書室が空いていることに気がついた。涼しい場所で読書でもして、暑さを紛らわそう。大学はやけに静かだった。夏休みといえど多少学生がいてもおかしくはない。しかし、誰もいない。とりあえず図書室の前まで行って閉館していたら別の場所を探そう。と、思ったが、開館中の三文字が書かれた木札がが扉にぶら下がっている。恐る恐る入るが、やはり誰もいない。静かに読書するにはもってこいなのだが、あまりに静かで不気味だ。真昼間にもかかわらずシャッターが閉まっていて、薄暗い。まるで夜の学校にでも忍び込んだかのような錯覚に陥った。我に帰った僕は無意識に足音を消して歩いている自分に気がついた。情けない。昔から怖がりなのだ。小学生の頃に廃墟への侵入が流行った時、いつも友達の後ろを歩いていた。後ろは後ろで怖いのだが、視界に友達がいる安心感があったため積極的に後ろを買って出た。恐怖とは恐ろしいものだ。人間の本来の力を十二分に消失させてしまう。幽霊とかゾンビとかそう言った恐ろしさももちろん大嫌いで、できれば避けて通りたい。避けることができる。しかし、今の僕はもっと怖いものを背負っている。体内に爆弾が仕掛けられているようなものだ。恐怖とは違う絶望を運命に押し付けられている。怖がりな僕はこの絶望も避けて通りたい。しかし、それは現実逃避だ。現実ほど絶望的なものはない。考えてはいけないのだ。考えれば考えるほどに底なし沼に足を取られていく。そんなことを考えているうちに僕の足は図書室のその医療関係の本棚の前で止まっていた。運命に抗おうとしている自分に呆れる。僕は不治の病に侵されている。