第16話 霧の向こうに……
「どりゃああああああーーーーッ!!」
赤いオーラに包まれたパルマが叫びと共に巨大なイノシシ型モンスターを放り投げる。
赤紫色の体毛に覆われたイノシシは宙を舞い、地響きと共に地面に落下した。
「もう一体!」
伝承に記された通りイノシシは二頭いた。
残った青紫色の個体は一直線にパルマに向かってくる。
「ぬうううんッ!」
パルマはイノシシの口から飛び出た牙を両手で掴み、その突進の勢いを正面から殺した。
体格差は二倍以上あるというのに……。
「どっせえええーーーーいッ!」
またもイノシシは宙に舞った。
軽く放り投げたように見えるが落下時の凄まじい衝撃はやはりイノシシの異常な重量を物語っている。
「どんなもんよ!」
グッと親指を立てて笑顔を見せるパルマ。
イノシシたちは問答無用で襲い掛かってきたわりには大人しく逃げていった。
「いやぁ……まさか最後の伝承に記された『竜を守りし二頭のイノシシ』というのがまさか生きているモンスターの事だとは思いませんでしたよ。この伝承はずっと古代に書かれた物なのに……。てっきり石像でも建っているのかなと」
「きっとあのイノシシたちは長生きなのよ。それに組み付いてみてわかったけど、私たちを殺す気はなかったと思う。ただぶつかる勢いは本物だった。ヴェルだったら死んでるわね」
「肉体強化のスキルを使った君じゃないと受け止められないよ、あんなデカブツたち」
ヴェルは称賛と少々の呆れが混じった口調で言う。
「でも、イノシシたちを殺さずに済んだのはパルマのおかげだ。僕の光魔術もエンデさんの毒も加減をするのが難しいからね」
伝承に示された竜を守る獣を殺すと竜の機嫌を損ねるかもしれない。
なので俺たちは極力殺さずに切り抜けようという方針で一致した。
結果は見ての通りパルマの恵まれた体型とスキルのおかげで上手くいった。
「ここは他と違って明らかに木のないところ……道と呼べるものがあるね。この道を直進すれば精霊竜に会えると」
俺はお手製の本を読みなおしているヴェルに確認する。
「ええ、これが最後の伝承でした。もう……竜はすぐそこのはずです」
「うぅ~……流石の私も緊張してきた。エンデさん、先頭を歩いてね」
パルマが俺の背中に隠れようとする。
が、体は彼女の方が大きいので当然はみ出る。
「何かあったら俺は置いて逃げてくれていいからね。きっと大丈夫だから」
ヴェルとパルマは無言でうなずく。
本当に緊張しているみたいだ。こうなると才能溢れる二人の冒険者も年相応の少年少女に見える。
俺はそんな二人を守るべく先頭に立って進む。
周囲からは木が無くなっていく。それと同時に地面も斜面から平地へと変わっていく。
どれだけ歩いたかわからないが、しばらくして俺たちは広場に出た。
ヴェルが光魔法で霧を払うが周りには何もない。
「……」
みな無言だ。
ここであっているのか、そうでないのか、全員がその疑問を抱いているのはわかる。
ヴェルが光を小さな球体にして飛ばし始める。
飛ばす方向を変えて少しずつ周囲を探っていく。
そして、七発目だっただろうか。
光は濃い紫色の鱗を照らし出した。
「あ……」
小さく声を漏らすヴェル。
探していたものは見つかった。
鋭い眼、独特の光沢をもつ鱗、巨大な翼、四本の足、長い尾……。
竜は大きな口を開き、鋭い牙をのぞかせながらこう言った。
「よく来たな……人間た、たちゃっ」
「……」
「……よく来たな人間たち。俺……いやっ、我は毒の精霊竜だぞ……!」
噛んだか……?
いや、そんなはずはない。彼は精霊竜なのだ。
「……」
「……」
あれ? 話終わり!?
「あ、あのー、あなたは精霊竜ということでよろしかったのでしょうか……?」
なるべく丁寧な口調で尋ねる。
「いかにも」
「そう……ですか。ありがとうございます」
さて、何から聞いたものか……。
流石にいきなり力をくれっていうのは無礼だよなぁ。
ならば……。
「この毒の霧はあなたが出しているのですか?」
「いかにも」
「それはどういった理由で?」
「ん、ええっと……あっ、我が身を守るためだ」
「そう……ですか? この毒の霧は一度吸ったら吸い続けないといけない中毒性がある。むしろ人を引き留めるような効果があると思うのですが……」
あっと、疑問を率直にぶつけてしまった!
「それはなぁ……じゃなくて、えっと、こういう時は……。あー! めんどくさい!」
竜は首をぶんぶんと振る。
その風圧で霧が激しく揺らめく。
「俺の名はヒューラ。お前たちは?」
「あ、俺はエンデと言います」
「僕は……ヴェルです」
「パ、パパ……パッ、パルマッ!」
「よし! やっぱこういう話し方がしっくりくるわ。竜だからって威厳のある話し方なんてできねーよ」
毒の精霊竜ヒューラはまるで猫が丸くなるかのように体を横たわらせ、頭まで地面に降ろしてしまった。
でも俺たちと目線は近くなったので彼なりの気遣いなのか?
「頭って意外と重いんだよなぁ」
そうでもなかった。
「で、なんの話だったっけ? ああ、毒の霧の話しな。これ実は生まれた頃から出てて止め方がわかんねーんだよ」
「ええっ!?」
この世で最も高位の存在『精霊竜』のそれも毒を司る竜が……毒の止め方をわからないだって?
「しゃーねーだろ。別に望んで毒の竜になったわけでもなければ、誰かがその力の使い方を教えてくれたわけでもない。出来ないもんは出来ない」
「ちょっと待ってください。それはおかしいですよ」
ヴェルが精霊竜の言葉に異議を唱える。
「精霊竜ははるか昔、精霊から力を分け与えられた存在です。あなたは望まなかったのに精霊から力を押し付けれたというのですか? それとも現代に伝わっている精霊の伝承が間違っているのですか?」
「……んー、大体あってはいるが俺の場合は違うと言うべきかなこれは。俺はそもそも生まれるはずのなかった精霊竜なんだよ。ぶっちゃけた話精霊から直接力を貰ったわけじゃない」
ヒューラはその先を話すべきか少し迷う様なそぶりを見せる。
「時間あるか? ここまで来れた人間は初めてだ。一つ昔話をさせてくれ。もっともこれは俺の話じゃねーんだけどな」
俺たち三人はうなずく。
時間がどうとかより、彼の存在に興味が湧いた。
「そ、そんなキラキラした目で見られても困るぜ。俺は話がうまくないし、練り込まれた物語ではなく現実に起こった話だ。つまらんかもしれんぜ」
前置きを一つ入れた後、ヒューラは語り始めた。
「そもそも俺はある精霊竜の死骸から生まれた。命の精霊竜だ。命というだけあって回復魔術で傷や病を癒すのが得意な竜だった。おっ、『なんで死骸から生まれたお前が生前の命の竜のことを知っているのか』って顔してるな坊主」
ヴェルの体がピクリと跳ねる。
「俺には命の竜の記憶が一部受け継がれているらしい。まあ、死骸から生まれた俺はある意味命の竜と同一の存在といえるからな。んで、精霊竜ってのはこの世界を見守るのが役目なのよ。そう聖霊に言われていたらしい。だから、命の竜もその役目を果たしていた。傍観者として生きることで……」
すぅ……っとヒューラは目を細める。
「平和なうちはそれで良かったんだろうが、ある時人間とモンスターの間で大きな争いが起こった。なんでそうなったのかはわからん。人間とモンスターの境界なんてあいまいだし、モンスターといっても人間と変わらぬ知性があり意思の疎通が図れる奴もいる。ただ、何かつまらん差を……ちょっとした違いを深刻に考えて、それがみんなに広まっちまったんだろうさ」
ため息を一つ。
「数は多いがしょせん一種族の人間とそれ以外全てのモンスター、これが戦ったら結果は見えてる。人間は簡単に追い込まれた。そんな中で人間はいろいろ考えた。優れた魔導兵器の開発、人工スキルの研究……。だが、すぐに結果が出るもんじゃない。だから……どうしたと思う?」
「竜に力を貸すように頼んだですね。世界を見守る竜ならこの崩れた戦争のバランスを均一にしてくれとか都合のいいこと言って」
話に聞き入っていた俺とパルマの代わりにヴェルが答える。
「そうだ。坊主のように頭の柔らかい人間ばかりなら良かったんだがな。人も竜も。ここで命の竜は選択を誤ったと俺は考える。追い詰められた人間に正論をぶつけ過ぎた。確かに竜に手を貸す通りはない。しかし、強大な力を持ちながらどっちつかずの竜はいろんな意味で人間にとってうっとおしい存在だった。俺を見てもらってもわかると思うが、明らかにモンスター側の見た目だからな。もしもモンスターに味方されたら……人間は終わりだ」
「だから人間は命の竜を殺したと」
「流石にそこですぐに殺したりはしない。他にも精霊竜はいるし、人間は精霊竜同士は離れていても意思の疎通が出来ると考えていた。だから竜全てを敵に回すことを恐れて手は出さなかった。その時はな。しかし、ある時こんなウワサが人間たちの間で流れ始めた。命の竜の血肉を喰らえば永遠の命を得られる……と」
「くっ……」
ヴェルは全てを察し顔をしかめる。
俺も同じような顔をしているだろう。
パルマだけはまだピンと来ていないようだった。
「さっきも言った通り命の竜は癒す力に優れる。暴走した一部の人間に攻撃を受けてもすぐ傷は治った。それを見て勘違いしたんだろうな。無論竜の肉を食っても力は得られない。人間がそれに気づいたのは事を起こしてからだったけどな」
「ん? ん? つまりどういうことなの?」
「古代の人間は命の竜を殺して食べたんだよパルマ。でもなんの効果もなかったから死骸は放置された。その結果生まれたのが今目の前にいる彼さ」
「えー!? そんな酷い……」
パルマは俯いて悲しむ素振りを見せつつ、ヒューラに対して身構える。
彼にとって人間は明らかに敵と言える。パルマは本能的に戦いになると予想したのだろう。
「おーおーやる気だねお嬢は。でも俺は別に人間を恨んじゃいない。俺と命の竜は記憶を受け継いでいても別の存在。それに竜を食った人間とお前たちは別人だ。襲う道理はない」
ヒューラは寝そべったまま言う。
「まあ、人間が怖くないか聞かれれば……怖いがな。命の竜は回復が得意だからといって戦いが苦手なわけではなかった。竜の鱗は固く、牙も爪も人間の鎧を容易に切り裂く。炎も吐けるぞ。でも、捨て身の人間たちには勝てなかった。永遠の命を得るために命を投げ出す者たちには……」
またため息を一つ。
「毒の霧が止まらんのも結局は俺が心の底で人間を恐れているからだと思う。だが、完全に嫌ってはいない。嫌っているのならば即死するような毒がばら撒かれているはずだからな……」
むぅ……竜にも複雑な事情があるんだなぁ……。
これでは力をくださいとは言い出しにくい……。
強くなってパステルを守りたいという気持ちは本当だが、『今竜の力で強くならないといけない理由があるか? 急がないとダメか? 他の手段でも良くないか?』とでも言われると言い返せない。
それに力を貸せと頼み込む人の姿は彼にとって見ていて気分のいいものではないだろうし……。
「そういえばお前ら三人とも人間みたいだが、もしかして外の世界では人間が繁栄しているのか?」
「ええ……まあ文明を築いているのは人間ですね。モンスターもそこらじゅうにいますが……」
「ほおっ! それはすごいな! 結局人間は竜の力を得られなかったわけだからほぼ滅んだと思ってたぜ! 研究者たちが逆転の何かを発明したんだろうなぁ。命の竜に会いに来る人間もすべてが説得に必死だったわけじゃねぇ。中には乗り気じゃなくて日々の仕事の話をして帰るやつもいた。なんていう名前だったっけなぁ……。まあ、でももう死んでるか……人間だしな……」
少しだけ寂しそうなヒューラ。
やはり彼は人間を嫌ってはいないが信用してもいない。
そっとしておいてあげるべきだ。竜の力を利用したがる人間なんてこの時代にもいくらでもいるだろう。
俺だってその一人なんだから。
「お話はよくわかりました。ご存じないかもしれませんがいまこの山は霊山と呼ばれ、多くの人間が竜の力を求めて入り込み帰れなくなってます」
「そりゃ悪いことしたな。お前もそうか坊主?」
「はい、伝承に従って山に入り込みました」
「伝承か……。それは命の竜がいた時に作られたものだろうな。あの頃は生命溢れる美しい山だった……。今は俺が薄暗いところにしてしまった。すまんが毒の止め方はわからんし解毒剤も作れん。坊主の頭で何とかしてくれ」
「いや、帰る方法自体はあるんです。こちらのエンデさんは実は毒魔人であらゆる毒に対して解毒薬を作ることが出来ます」
「マジか? どれどれ……」
ヒューラはその眼で俺を射抜く。
「おっ! Sランクじゃんか! なんだお前俺と同格か! 人間にしか見えなかったぜ」
「まあ、元は人間ですから」
「……帰れるのに帰らなかったという事はそれだけ俺の力が欲しかったという事か」
ヒューラはここで体を起こす。
巨体ゆえそれだけで空気が震える。
「興味本位の質問だが、なぜ力を求める?」
これは俺への質問だ。
「大切な人を守るため……です」
「それは竜の力が無ければ出来ない事か?」
「失礼な言い方かもしれませんが、あるに越したことはありません。俺の力は不完全で毒をまだ上手く制御できない。実際力不足を感じる機会が最近ありました。俺は大切な人をどんな脅威からも守りたい。その為ならば偶然手に入った力だろうが、誰かから譲ってもらった力にだろうが使います。ですが……」
我ながら身勝手なことこの上ないなぁ……これは。
「無理矢理力を奪うのは気が進みません。あなたが竜の力を与えたくないと言うならば僕は大人しくここを去ります」
「ふぅん、嘘ではなさそうだな。それだけ大切な人がいるってことは幸せなことだ。少し興味がある。会ってみたいなぁ……」
ヒューラは霧に覆われて見えない空を見つめる。
「なあエンデ、もう一つ質問いいか? どうやら今すぐ力が必要なほど切羽詰まってはいないみたいだが、もし……もしもの話だ」
空を見つめたまま竜は言う。
「俺を殺して力を得なければ大切な人を失うって状況になったら……お前は俺を殺すか?」




