第07話 母性の淫魔
「おかえりなさいませ」
話を終え、部屋に戻るとメイリがピンと背を伸ばし立っていた。
「お掃除は一通り終えたところです」
「うむ、ご苦労。それでだなメイリよ……」
「なんでしょうか? 何か至らぬ点が……」
「いやいや、至らぬ点があるのは私なのだ。そのぉ、なんというかぁ、なんでも私のいう事をほいほい聞いているときっと良くない事になると思うから、ダメだと思った命令は拒否してくれてかまわん。私はメイリの主人だが、偉いわけでも賢いわけでもない。ましてや強くはない。逆らったところで何かお前に罰を与える事も出来んからな」
「それは違います」
メイリはパステルをぎゅっと抱きしめる。
「パステル様が悲しい顔をされると私も悲しくなります。それが最も辛い罰なのです。私はパステル様を悲しませたくありません。だからこそ、時にはご命令に逆らうこともしましょう。それが正しいと思った時には。しかし、私もまだ生まれたばかりで未熟です。パステル様もまた私にたくさんのことを教えて欲しいのです」
「私に教えられることなど……。メイリより長く生きてるとはいえ、空っぽの人生だったからな。こうして出会えたのも私の力ではなく、エンデのおかげだ」
「では、エンデ様と出会えたのは誰のおかげですか?」
「むっ……それは……」
「それがパステル様の力なのです。生まれたばかりの私にもわかります。あなたは空っぽではありません」
「……」
パステルは黙ってメイリの胸に顔をうずめる。
しんみりとした空気の中、突然ダンジョンタブレットが音を発した。これはモンス研からの通信を知らせる音だ。
この数日で俺もこのタブレットの操作を習い、ある程度使いこなせるようになった。
板の黒い部分『画面』に触れ、通信に応答する。
「おおっ! これはこれはエンデ様! 私のこと覚えていらっしゃいますか? そうそうゴルドです。パステル様はどうされました?」
モンス研の所長ゴルドが今回も直接応対に出てきた。
「今は……取り込み中です」
「そうですか! どうやらご注文のモンスターは無事転送されたようでなによりです。パステル様はもうその虜といったところでしょうか?」
「ええまあ」
流石は所長、お見通しか。
「では、エンデ様に今回ご注文いただいた『母淫魔』の説明をさせていただきましょう。パステル様は特にあなたには話していないとおっしゃっていたので気になっているのではないですか?」
「それは……そうですね」
「ではまず『母淫魔』という種族についてお話ししましょう。この種族はいろいろと経験を積んだサキュバスが進化する種で、性格は落ち着き能力も全体的に高まる傾向があります。ランクも一つ上がってCといったところで、魅了以外にも何か一つ得意なスキルを持っている事が多く、戦闘でも油断ならぬ相手となりますね」
「ふむふむ」
「しかしながら、一番の強化点はその単純な能力の上昇ではなく、魅了範囲の拡大です。その名の通り母性を兼ね備えたこの種族は男性だけでなく女性をも魅了できるのです。誰しも本能的に母性を求めるものですからね。甘えたくなる時だってありますよ。そういう弱みに母淫魔は入り込みます。性欲を刺激する場合とは違い、相手を高ぶらせるのではなく落ち着かせ、何かをしようという気力を奪い取ります。この差も意外と大きいのですよ。疲れていると性欲を発散するのさえしんどいですが、甘えるなら胸に抱かれて眠るだけでもいい。魅了できるシチュエーションが多いのです」
ここでゴルドは一呼吸置く。
「一気に話してしまいましたが、ついてこれていますか?」
「大丈夫ですよ。共感できる部分もあるお話なので」
「やはり甘えさせてくれるお姉さんがお好みで?」
「まあ……そうですね」
「それは大変よろしい趣味なのですが、危険なこともございます」
ゴルドの顔がさらにアップになりこちらを見てくる。怖い。
「母淫魔はお話した通り甘やかすのが大好きです。その欲求は対象が傷ついていたり弱っている者であるほど強くなります。まさにパステル様など恰好のエサ……。気を抜くと自分で立って歩くことすらできないほど骨抜きにされてしまいますよ」
「そ、そんなにですか?」
「それはもう。ある魔王が母淫魔を側近として使っていたところ、数か月後には魔王の権限を母淫魔に奪われていたなんて話もあります。考えることをやめ、全てを任せてしまったワケです。これが悪意を持って行われているのなら抵抗もしやすいのですが、なんせ愛情でそういうことをしてくれるのでどんどん甘えたくなってしまうのですねぇ……。まあ、堕落させたところで命を奪ったりはしないので安心ですがね。ある意味そういう堕ちに堕ちた生き方も幸せかもしれません」
うーん、確かにそれはそうかもしれないがパステルにはあまりそうなってほしくないような。
俺はチラッとメイリの方を見る。
慈愛に満ちた目で腕の中のパステルを見つめている。その目が不意に俺の方に向いた。
「エンデ様もご一緒にどうですか?」
そっとこちらに手を伸ばし、微笑みかけてくる。
なるほど……これは確かにたまらんかもしれない。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」
「ダメだ……」
一瞬誰の声かわからなかった。
「ダメだ……ダメだ! ダメだ!」
ガバッとメイリから離れて叫ぶのはパステルだ。
魅了をはねのける程の精神力が彼女にはあったのか……?
「私が甘えている時に他の者を気にするでない! 今は私だけの母でなければならんのだ!」
「も、申し訳ございません!」
意外な怒り方をするパステルとひたすら平謝りのメイリ。
「別に私にだけ優しくしろというワケではない。エンデも母を知らぬ男だ。メイリの優しさで癒せるものがあるなら癒してやってほしい。でも、今だけは私の母であって欲しかったのだ。私もよく両親のことは知らないから……」
「本当になんとお詫びしたらよいか……」
メイリは本当に申し訳なさそうな顔をしている。
「パステル、さっき俺が言ったこと忘れてないよね」
「むぅ……そうだったな。メイリ、急に怒ってすまなかった。また私のワガママが出てしまった。こういうことはこれからもあるだろうから、その時は叱ってくれ。メイリの胸に抱かれているととても心が安らぐ。生きてきた中でこんなに心の落ち着く場所はそうない。こんな私だがこれから末永く傍にいてほしい」
「パステル様……っ」
メイリは感激といった表情を作る。
「このメイリ、命が尽きようともパステル様をお支えし続けます!」
サッと跪くメイリ。
なんというか振り回されることを喜んでいるみたいだ……。
「ありがとう。そ、そんなに良い事は言ってないと思うのだが……。ほら顔を上げてくれ」
パステルは少し困惑しながらもその手を取って立ち上がらせる。
「ほほっ! どうやらパステル様を魅了するのにはまだまだ経験不足だったようですねぇ。メイリは生まれた頃から母淫魔ですから、進化で生まれた同種と比べて多少違いはあります。そういうところも含めた彼女の特徴というのをこれからお話ししようと思いますが、大丈夫でしょうか?」
「ああ、話してくれて構わんぞ」
普段の様子に戻ったパステルがゴルドの問いに答えた。
「ではまずステータスを見てみましょう。メイリ、ステータスを」
「はい」
メイリが空中に手をかざし、文字列を展開させる。
◆ステータス
名前:メイリ
種族:母淫魔
ランク:C
スキル:
【火魔術】
【水魔術】
【風魔術】
【母性の魅了】
【精神耐性】
「【母性の魅了】と【精神耐性】は種族が本来持っているスキルです。【母性の魅了】には先ほど話した魅了の効果があります。【精神耐性】は混乱や恐怖、そして魅了に抵抗することができます。ただし完全に無効化できるわけではありません。効果の強い上位スキルには通用しない可能性もあるのでご注意を」
「よくよく知っているぞ。私の【淡い魅了】は耐性程度では無効化できんからな」
「パステル様のスキルは希少なユニークスキルの可能性が高いですからねぇ。通常の耐性スキル程度は抵抗できないのも納得です。ええ、話は変わって三つの魔術についてお話ししましょうか。といっても皆さんご存知でしょうが、魔術というのは魔力によって何かを生成し、操作するスキルです。つまり【火魔術】ならば火を生み出し操る、水なら水を、風なら風をといった具合ですね」
俺も持っていないとはいえそこら辺の基本スキルの知識はある。
冒険者をやっている者ならば何か一つは魔術がほしいと言われているからだ。
魔力が少なく戦闘には使えない程度のものでも、水が生み出せれば便利だし緊急時の生存率も高まる。他の属性も持っていればだいたい生活の役にたつ。
「メイリには基本的な火、水、風を習得させました。メイドということで本当は汚れを浄化できてお掃除に便利な【聖魔術】を習得させたかったのですが、なにぶんこちらはモンスターゆえ【聖魔術】の扱いはまだまだ研究段階でして……はい、無理でした」
聖魔術か……。
人間界でも貴重な属性で、光と似ているようで少し違う。
物の汚れをとるような日常で役立つ魔法から、魔物を消滅させるほどの高威力の浄化魔法、さらには毒などの状態異常を消し去ることも出来るらしい。
このスキルを持っている人間は俺の身近にはいなかったが、もし敵対するようなことになったら危険極まりない存在だ。今は毒を使うモンスターだからな俺。
「とはいえ、三属性を習得できたわけですからメイリは優秀な子ですよ。性格も穏やかで物分りも良い。ここ十年でモンス研が生み出したモンスターの中でも上位に入るといっても過言ではない出来栄えです。……そんな皆様の要望に応え続けるモンス研の所長は多忙ゆえ、そろそろお暇させていただきます」
ゴルドの顔が一度画面から離れ、そしてまたグワっと前に戻ってきた。
「あっ、そうそう領収書はメイリが持っていますのでご確認ください。それとオーダーメイドモンスターは現在注文が殺到してますので、一度注文された方にはしばらくご利用をご遠慮させていただいております」
「うむうむ、了解した。どうせもうオーダーメイド出来る程のDPも持っておらんから問題ないぞ」
「ご理解いただけたようで何よりです。通常モンスターに関してはいつでもご注文を受け付けておりますのでどうぞご利用ください。この度はモンス研をご利用いただきありがとうございました。それではこれで」
ゴルドの姿がタブレットの画面から消えた。
「ふぅ……あいかわらず妙に圧のある男だな、ゴルドは」
「ねえパステル、その領収書って?」
「今回の注文で消費したDPが書いてある。メイリ、エンデに渡してあげてくれ」
「かしこましました」
メイリから一枚の紙を受け取る。
そこに書かれている文字や数字は人間界のものと変わらなかった。これなら俺でも読めるぞ。
「なになに……消費DPは……七十万DP!? え、えっと……俺がここのボスになって手に入ったDPが百万DPだから……」
「もうほとんど使ってしまったな。ダンジョンの拡張や家具もそろえたし。あ、ちなみにモンス研からモンスターを購入して仲間にしてもDPは獲得できんぞ」
「ど、どうしてこんなDPをに持っていかれるの……?」
「オーダーメイドはそもそも値が張るものだ。Cランクモンスター自体も高価な部類だし、そのうえメイリは知能の高いモンスターだからな。魔界もいろいろ規制があって、知能の高いモンスターを人工的に生み出すとなると面倒が多い。だから高い」
魔界の事情を絡められると口出しできないなぁ。
でも、食事やらなんやらのほとんどをDPに頼って生きた俺たちにDPの枯渇は致命的なんじゃ……。
「言わんとせんことはわかる。相談もせずにエンデがくれたDPを使ったのは申し訳ないと思っている」
「……いや、俺も声をかけなかったからお互い様さ。それに中途半端に妥協したモンスターだとみんな不幸になるだけだと思うから、パステルの判断は間違ってないと思うよ。DPなんてこれから稼げばいい、メイリと一緒にね」
メイリはこくんと頷く。
「はい。私はスキルこそありませんがお料理が多少できます。人間界の素材の知識もありますので、外へ出て食べられる物を集めればパステル様を飢えさせることはありません。それにDPの節約にもなります」
「うん、生活に関することはメイリに任せるよ。俺はとりあえず防衛に関していろいろ考えるかな。人間もそのうちこのダンジョンを見つけるだろうから、とりあえず追い返せるだけの防衛力を整えないと」
「頼もしいな二人とも。私は……何をしようかな。まずそこから考えるとしよう!」
初めて会ったときに比べてパステルの雰囲気は明るい。
彼女を守るために何ができるのか、新たな仲間メイリを加えて考えていこう。
一話と二話の一部を変更しました!
詳しくは活動報告にて。