第18話 王の器
視界に色が戻り、耳が音を捉えはじめる。少しずつゆっくりと……。
コロシアムの観客席、中央のアリーナ……そしてそこに立っているのは……エンジェ・ソーラウィンド。
パステルは爆風で飛ばされアリーナの端っこの方にうずくまっている。
【全強化付与】を用いた自爆作戦は失敗したのか?
いや、爆発は確実にした。俺自身も見ている。では、エンジェの炎に対する耐性がこれほどまでに強かったということなのか……?
「パステル……」
エンジェが隅でうずくまるパステルに向かって歩いて行く。
「パステル……どうして……」
その顔に今までのような激しい怒りや焦りは感じられない。
代わりに驚きや困惑の色が見える。
「どうして……私の防御力や耐性まで強化しましたの!? そんなことをしなければ私を殺せていたはずですわ!」
「なっ……!」
俺の隣でキューリィが驚く。
俺自身も声こそ出さなかったが驚いた。
まさかパステルが自分の身を守るよりもエンジェの身を守ることを優先しただなんて。
「殺したらルール違反であろう。お前も言っていた」
寝転がったままパステルは口を開く。
「そ、それはそうですけど強化する箇所を減らせば致命的なダメージは入ったはずですわ! わたくしに情けをかけたというの!?」
「情け……か。ふふっ、そうかもしれん」
「な、何を笑っていますの!? あなたは勝ちを自ら手放したというのに!」
「別にな……構わんのだ。簡単に無抵抗で負けるのは流石の私も慕ってくれる仲間がいる以上出来なかった。しかし、勝ちなら……別にいい。エンジェには必要な物なのだろう。私はもう最弱という呼び名にも馬鹿にされる事にも慣れている。背負っていこうじゃないかこれからも。今の私には共に背負ってくれる仲間もいるからな……」
「あ、あなたって人は……。あんなに私はあなたを虐めたのに……!」
「今までのことを受け入れるわけでも許すわけでもないが……まあ、あの頃の経験がなければエンジェに一泡吹かせることは出来んかっただろうな。悪くはない気分だ」
「くぅ……ううっ……受け取れませんわこんな勝利は……。わたくしにだって勝利より優先するべきものがあるという事ぐらいわかりますわ……。わかっていたはずなのに……私は……」
エンジェは涙を流す。透明な涙が黒い肌を伝う。
「わたくしの……負けです。何もかもあなたに勝っているものなどありません。降参します……認めてくださいパステル」
「いいのか……?」
「ええ……早くしてください。今も……私のちっぽけなプライドが負けることを怖がっている……っ! 心変わりしてしまう前に……!」
「……わかった。その覚悟、受け取ろう。パステル・ポーキュパインはエンジェ・ソーラウィンドの降参を認める」
そんなに大きな声ではなかったが、その言葉はコロシアム中に聞こえた。
皆の視線が審判のジェイスに集まる。
「そ、そこまでぇ! この試合の勝者はっ……パステル・ポーキュパイン!!」
ジェイスの宣言と同時にコロシアムが揺れる程の大歓声が沸き起こる。
一つ一つをハッキリとは聞き取れないが、皆二人の健闘を称えている。
手のひら返しと言えばそれまでだが、素直な人たちだと考えればみんなすこーしだけ良い人に思えてきた。本当にすこぉーしだけだけど。
「医療担当の職員は今すぐ両選手を医務室へ!」
アナウンスが響く。
俺たちも医務室には入れるだろうし早くパステルに会わなければ!
「キューリィさん!」
「ええ……そうですね。行かなければ!」
俺たちは二人で観客席を後にした。
未だ収まらぬ歓声を背に。
● ● ●
「パステル!」
俺は医務室に転がり込む。
キューリィとは別れた。エンジェのいる医務室はこことは反対側のもう一つの医務室だからだ。
対戦した魔王同士が医務室で延長戦を始めないようにする為の配慮だろう。
「医務室ではお静かに……」
白衣を着た女性に注意されてしまった。
それでパステルはどこに……。
「こっちだ、エンデ」
「パステル!」
医務室の隅っこのカーテンがかけられたベッドからパステルの声がした。
俺は怒られないくらいの駆け足でそのベッドに向かいカーテンの内側に入る。
「なんとか生きて帰ってこれたぞ」
ベッドに寝転ぶ彼女の体は……それは酷いものだった。
全身やけどに打撲のあと……骨も何本か折れているのではないだろうか。
「よく頑張ったよパステル。でも……無茶し過ぎだよ。あの威力の火球だと自爆させてもパステルが危ないじゃないか……」
「ふふっ、これが違うのだなぁエンデ。実際今私が生きているのが何よりの証拠。エンジェの魔法にはもう一つ弱点がある」
「もう一つの……弱点?」
「効果範囲が見た目より狭いのだ。あの最後の超巨大火球も敵に投げつけて直接当てれば熟練の魔王でも死ぬかもしれんが、直撃を避けられると途端に威力が落ちる。私とエンジェほど距離が離れていれば大した問題はなかったのだ」
「でも職員たちの作るバリアは粉々になってたけど……」
「爆発で起こる風は凄い。それを馬鹿正直に壁で受け止めようとするとああなる。姿勢を低くして受け流すのが大事だ。まあ、流石に私の体では致命傷ではなくとも無傷とはいかんがな……」
「そんなことを試合の中で見抜いたの?」
「いや、エンジェとは昔は不本意ながら長い付き合いだったからな。二人組を組んで授業を受けていた時などに弱点や癖には気づいていた。そのおかげで勝てたのだ。あの頃の自分も無駄ではなかったというワケだ」
パステルの満ち足りた表情をしている。
しかし全身の生々しい怪我は見ていられない。
「魔界なんですから何かすぐ傷が治るような回復薬でもないんですか?」
カーテンを開け俺は白衣の女性に尋ねる。
「ありますが、他の魔王様もこれからお使いになりますのでお一人様に学園側から与えられる分量はこれだけです」
渡されたの小瓶一つ。中には明るい緑色の液体が入っている。
確かにすごく効き目がありそうな見た目をしているけど、量が少なくないですか……?
これではきっとすべての傷を治すことは出来ない。
なら……増やすか。
「ありがとうございます!」
俺はぴしゃりとカーテンを閉める。見られて得するものでもないのでね。
「キュアル回復薬……か」
小瓶に書いてある文字を読み、それから中身を一気に飲み干す。
そして修羅神のダンジョンで薬をたくさん生成することで手に入れていた【薬解析】のスキルを用いて薬を解析……。
◆解析結果
キュアル回復薬:傷口に直接かけるか飲むことによって体の治癒力を大幅に強化、外傷を治すことができる。外傷が激しいほど完全回復に必要な薬の量は増える。
また一度に大量に摂取すると体力や魔力を失い強烈な眠気に襲われる。
これは人間界ではレア物の速攻で傷を治せるタイプの回復薬だ。
副作用はあるものの死に至るような傷もすぐに治せてしまうので所有者の生存率は大幅に上がる。ただ、回復にも体力や魔力を使うので味方がいなければ戦闘中には使いにくい。回復したところでジリ貧になってしまう。
まあ、今回はベッドで寝ている体力も魔力も使い果たしたパステルに飲ませるので問題はない。
「パステル、これで治ると思うんだけど……」
体を少し起こしてあげて、コップいっぱいに入れた回復薬をパステルにゆっくり飲ませる。傷から見てもこのくらいは飲み過ぎではないだろう。
「ううぅ……やっぱりあまり美味しくはないなぁ……」
すべてを飲みほしパステルは再びベッドに沈み込む。
すると……。
「あっ、傷がもう治り始めてる!」
やけどのあとやアザが消えていく!
これが本物の回復薬の効果か……。
「なんだか体がむず痒くなってきたぞ……」
「あっ、ひっかいちゃダメだ。跡が残っちゃうよ」
「くぅぅぅ……! しかし、これは耐えられん!」
一気に傷が回復するのでそのかゆみにもだえるパステル。
「そうだ! もっと回復を早めればいいのだ! そうすればこの痒みもすぐ治まる! 自分の回復力を強化して……」
残った魔力を振り絞りオレンジ色の光を体にまとうパステル。
傷の治る速度はさらに上がり、もうほとんど健康な肌と見分けがつかないまでになった。
「ふぅ……こういう使い方もあるのだ。かなり疲れたがな……」
「全強化付与……パステルにこんなにすごい力が眠っていたなんてね。学園時代に魔力の訓練が出来ていたら落ちこぼれ扱いもされなかったのに」
「きっとそれは違うぞエンデ。試合の時も言ったが、私は学園時代も強くなろうとしていたがそれは自分のためだった。この力は自分と誰かを強くするスキル……私が誰かのために強くなりたいと思わなければいくら訓練したところで目覚めることはなかった。エンデ、お前と出会わなければこの力はなかった」
「そう言われるとなんだか照れるな……」
「私の正直な気持ちだ。最後にエンジェに勝ちを譲ろうとしただろ? あれもエンデやダンジョンで待っていてくれるメイリやサクラコがいたからできたのだ。魔王として皆の名誉のために戦っているとは言ったが、エンジェにもまた背負っているものがあった。エンジェは負ければ失う物が多すぎる。でも、私はもとより最弱だし頑張って戦えば負けても褒めてくれる仲間がいる」
パステルはここで少し何か迷う様に視線を泳がせる。
「あの……愛は自分がもらった分しか誰かに与えられないとよく言うではないか。私はその……エンデからたくさん貰っているから少し分けてあげようと思ったのだが……ちょっと傲慢すぎたかな……? 冷静に振り返るとあの勝ち方でエンジェの名誉が守られたとも思えんし……。魔王としてはやはり正々堂々勝負をするべきだったか?」
「いや、パステルが正しいよ」
俺は思わずパステルをギュッと抱きしめる。
「ただ戦って勝っていたらもうエンジェとはわかりあえなかったと思う。その優しさは君の力さ、まがい物じゃない正真正銘の。傲慢だなんて思わない。むしろこの戦い方でなければ完全な勝利とは呼べないよ。戦いの後に手を取り合える本物の勝負だった」
「ふふっ、これこれまだ一応怪我人だぞ私は。そんなに強く抱きしめるでない」
「あっ、ごめん」
パステルを解放する。
彼女は目がトロンとして眠たそうな顔になってきたがベッドから降りて立ち上がろうとする。
「寝たいのは山々だが、まだやることがあるなエンデ」
「うん、エンジェのところに行こう。彼女も治してあげないとね」
「そうだ。エンジェはもう私の……いや、それは本人の口から聞いてからにしよう」
ベッドのカーテンを開けて医務室の出入り口に向かう。
「あっ、まだ安静に……えっ!?」
完全に傷が治っているパステルを見て白衣の女性が驚いた顔をする。
「お薬ありがとうございました」
「うむ。よく効いたぞ」
「は、はぁ……お大事に……」
事態が呑み込めない白衣の女性を背に、俺たちはちょうどこの医務室の反対側にあるもう一つの医務室に向かった。




