第15話 試合開始
俺は大きな不安と微かな期待を胸にコロシアムの観客席へ向かう。
パステルとはすでに別れた。彼女が向かうのは戦う者たちだけが入れる控え室。
人間界から付き添ってきた俺でも試合後までは入ることが許されない。
それでも……もう問題はないはずだ。
パステルにしてあげられる事は全部したし励ましの言葉もたくさんかけた。
それが戦いの役に立つかはわからない。もしかしたら俺自身の不安を紛らわすための励ましになっていたかもしれない。
「……もう考えるのはよそう」
パステルを信じるしかない。
俺はコロシアムの観客席へとたどり着いた。
パステルの試合は開幕の第一戦だ。
早めに移動したためまだ観客に人はまばらだが、すでに待機している熱心な観客の何人かが現れた俺を見てにやりと笑う。
修羅器禁止の情報は観客にまで伝わっているようだ。
ここでイライラしていては試合が始まった後に乱入してエンジェに手を出してしまいそうだ。
深呼吸を繰り返し自分に与えられた席に向かう。
「ここかな?」
場所は実況席の真下でコロシアムの中心であり戦いの行われる場所『アリーナ』が良く見える特等席だ。
すぐに乱入できそうだな……という思考を捨てて席に座る。
声も届きそうだが果たしてどう応援したものか……。
「隣り失礼いたします」
俺が俯いて考え事をしていると聞いたことのある男の声がした。
魔界で覚えている声の持ち主などそういない。
「あんたは……キューリィ……」
「覚えていてくださいましたか。そうです。エンジェ・ソーラウィンドに仕える執事のキューリィでございます」
「忘れようもないさ……」
複雑な感情を押し殺して冷静に受け答えをする。
「修羅器のこと……察していらっしゃいますか?」
そちらから触れてくるか……。
「ええ」
「そうですか。ですが一応明言しておきましょう。修羅器禁止を学園側に要求したのはソーラウィンド家です」
「それを俺に伝えてどうしたいんです?」
「一応……ということです。もし他の方を疑われているならその方に申し訳ないですから」
「パステルに申し訳ないという気持ちはないのですか?」
「……ええ、執事としては勝つために当然のことをしたと思っています。すべてはエンジェ様の為に」
キューリィは俺と目を合わせようとしない。
しかしなぜか悪意や見下した感情というものは感じなかった。
彼もまた俺と同じように主の幸せを道理を捻じ曲げてでも手に入れようと必死なのかもしれない。
……ここで食ってかかったら俺の負けか。
「パステルは……負けませんよ」
思わず口から言葉が零れ落ちた。
それが精いっぱいの言葉だった。
「ええ、そうなのかもしれません。ですが……エンジェ様も負けません」
この会話にこれ以上先はないだろう。
俺とキューリィはそれ以降黙って試合開始を待ち続けた。
● ● ●
「さぁさぁ皆さんお待ちかね! いよいよ新人魔王たちによる決闘の時がやってまいりました!」
時間は過ぎコロシアムの観客席は人であふれていた。
実況席には今日もジェイス。相変わらず声がコロシアム全体に聞こえる。
「げへへ……さーて虐殺ショーの時だぜ……」
「今回の賭けはおそらく賭けた奴全員が外しただろうからな、アイツのせいで。野次にも気合入れてやらねーと!」
「早めに言っとかないとすぐボコボコにされて耳が聞こえなくなっちまうぜ!」
相変わらず下品な野次が試合開始前にもかかわらずコロシアムに響いていた。
こんな中で魔王たちは平静を保つことなんて出来るのか……?
俺でもどうなるかわからないぞ……。
「……って、ダメだダメだ!」
不安そうな顔をするんじゃない俺!
パステルがそんな顔を見たら悲しむだろうが!
キリッと顔を引き締めただ前を見据える。
「それでは第一試合を戦う魔王の入場です!」
ジェイスが一際声を張り上げる。
するとアリーナの向かい合う二つの入り口付近から煙が噴射され、その中から二人の少女が現れた。
一人はエンジェ・ソーラウィンド。
すでに勝ったかのような得意げな表情で体を揺らしながら前へと進み出る。
もう一人はパステル・ポーキュパイン。
表情は硬いがその目の力は強い。彼女もまたゆっくりと前に進みだす。
「来たぜ糞野郎が!」
「やっちまえー!」
「お前がボロ雑巾になるところを見るために良い席をわざわざとったんだからよぉ!!」
「出費がかさむわ!」
ぐっ……俺の体の中から毒が溢れ出してきそうだ……。
今なら苦手な毒の制御も怒りでなんとかなって、このコロシアムを毒液の雨で地獄に変えられそうだ……。
しかし、そんなことは絶対にしない。
パステルが負けると思っているからそんな思考に頭を支配されるんだ。
勝つと信じるんだ。このコロシアム……いや、この魔界という世界で彼女を信じる者は俺しかいないのだから!
「パステル!!」
言うことが思いつかずただ名前を呼ぶ。
彼女は一瞬こちらに視線を送った気がするがすぐに目の前にエンジェに向き直った。
「あ~らパステルぅ? 今日はなんだか調子が悪そうですわねぇ? ホホホッ、何か不幸なことでも起こったのかしら?」
「ふん、知っているだろうに」
「なんのことかしらねぇ? わたくしにはまったく記憶にございませんわ」
「今さら問い詰めようなどとは思っておらん。ただ……勝つのは私だ」
パステルは強気の姿勢を崩さない。
それを見てエンジェは露骨に不機嫌な表情になる。
「……なんですのわたくしに対してその態度は。学生時代はあんなに大人しかったのに、少し人間界で運の良いことがたくさん起こったからって調子に乗っていますの?」
エンジェはパステルに迫り、グイッとその手で顔を掴む。
「それとも……ただの強がりかしら? 目の周りがまだ腫れていますわよ? あの頃も私に泣かされた次の日はよくこんな目をして……」
「くっ!」
パステルがエンジェの腕をパシッと跳ね除ける。
「気安く触れるな。今の私はあのころと違う」
驚いたように目を見開くエンジェはその場で固まってしまった。
「エンジェ選手! 試合開始前から手を出すのは反則行為ですよ! ただ、ここで反則負けを宣言すると私の身が危なそうなので見なかったことにします……」
チラッと観客の方を見てジェイスは力なく宣言する。
それでいいのか学園側よ……。
「かまわん。私はエンジェと普通に決着をつける」
「そう言っていただけると運営側としてもありがたいです……。では、コホン! 新人魔王エキシビションマッチ第一試合、エンジェ・ソーラウィンドVS.パステル・ポーキュパイン! バトルスタートォォォ!!」
ジェイスが試合開始をコールする。
それと同時にパステルは俺の剣を抜く。
選手入場前に説明があったが、刃物類は切れすぎないように特殊なコーティングが施されたらしい。このコーティングは後で簡単に落とせるので元に戻して試合後に返って来るとのこと。
しかし、完全に切れなくなっているワケではない。致命傷にならない程度に身を引き裂くのだ。そして切れ味が良くない分痛みは強い……。
「やあああっ!!」
見よう見まねで剣を構えパステルがエンジェに突撃する。
エンジェは動かない!
「お嬢様……!」
隣でキューリィが心配そうな声をあげる。
作戦でもないのか!?
「覚悟!」
不格好ながら体重を乗せた剣の一撃がエンジェの横っ腹を直撃した。
「んっ……!」
エンジェの口から苦悶の声が漏れ出す。
何故動かない……?
「ああ……さきほど私の腕を跳ね除ける力が昔より強かったような気がしたから一撃受けてみましたけど……やはり気のせいだったようですわね」
エンジェの横っ腹は衣服が切れているもののその肌は少し赤くなったのみで切れていない!
「えいっ!!」
「ぎゃ……っ!」
エンジェの拳がパステルの顔面を捉えた。
そのままパンチの勢いでパステルが数メートルは吹っ飛ぶ。
なんだ……あの頑丈さは? そしてこのパワーは?
いくらパステルが非力だからと言ってあの重さのある剣を無防備な横腹で受けて何故ダメージが入らない……。
いくらパステルが軽いからと言ってただのパンチで何故あんなに吹っ飛ぶ……。
エンジェだってパステルよりかは体格が良いが華奢なのは変わりないのに……。
これが……魔王なのか?
「ぐぅぅぅ……」
パステルは流れ出る鼻血を拭いながら立ち上がる。
そして吹っ飛ぶ際に落としてしまった剣をとる。
「すぐ取り落してしまう様な体に合っていない武器を持ってどうするつもりですの? まったく……何故身の丈に合った武器を用意しておかなかったのかしら?」
エンジェはそれはもう嬉しそうに笑う。
「オホホホ……簡単に許してもらえるとは思わない事ですわ。じぃっくりいたぶって久々にあなたの泣き声を聞かせてもらうとしましょう、うふふふふ……」
恍惚の表情でエンジェはステッキをパステルにつきつける。
「……泣くことになるのはお前だ」
雑に鼻血を拭ったせいで頬に赤い線が残るパステル。
彼女の目はまだ死んではいない。




