第04話 背中を預けて
「パステル! 大丈夫!? 今戻ってきた!」
ダンジョンの扉を蹴り開けて外へと飛び出す。
樹海の新鮮な空気を感じる。やはり毒魔人とはいえ元は人間、瘴気の中より空気の中の方が本能的に落ち着く。
って、深呼吸している場合ではない!
「パステルいる!?」
「ここにおるぞ」
大きな葉っぱの裏からチラッとパステルが顔を出す。
「姿を見られると興味を引いてしまうからな私は。こうやって大きな葉に包まれて隠れていたのだ」
「良かった……。怪我はない? 何にも出会わなかった?」
「ああ、一人になって意識を集中してみるとダンジョンの周りはなんだかシンとしていて生き物の気配をあまり感じない。さほど怖くもなかったぞ。ただ時間は大幅にオーバーだ」
パステルは懐中時計を懐から取り出す。
あっ、時計持ってたんだ……。
「往復で十五分だ。だいたい八分で最奥までたどり着けるとして、そこから試練があると考えると最低三十分は私もあのダンジョンの中にいなければならないことになるな」
「中にあふれてる毒を抑える薬は作ってきた。二、三十分ならまだ副作用も出ないと思う。でも途中モンスターも湧くからパステルを守りながら進むとなるともっと時間がかかるかもしれない。戦わずに背負って駆け抜けようか……」
「いや、私も自分の足で歩こう。修羅神もただ運ばれてきた者には修羅器を授けてはくれないだろうしな」
そう言うと彼女は盾の裏にマウントしてあった小型魔力銃を取り出して構える。
「まあ大して戦力にはならんがな。さて、エンデ毒を抑える薬をくれ」
「了解」
持ってきた手のひらサイズの小ビンに指から生成した薬を流し込む。量はこれくらいで……よし。
「味は保障できないから一気に飲んだ方がいい」
「ふん、そこまで子どもではないわ。薬くらい何の問題もなく……んっ……ぐっ、苦い……」
「あー、言わんこっちゃない」
舌をべーっと出して苦しむパステルに自分たちのダンジョンから持ってきた水を飲ませる。
「くっ、結構しつこい苦みだな……。舌にまだ感覚が残っているぞ……。ま、まあ良しだ。効果が切れないうちに行くとしよう」
「あっ、もう一つ薬があるんだけど」
「えー……」
露骨に嫌そうな顔をする。
「大丈夫大丈夫、塗り薬だから。ダンジョンの中には溶かす系の毒の水たまりやそれを撒いてくるモンスターもいたからね。それの対策にこの薬を全身に塗っておかないと」
手のひらに乳白色のクリームを生成してパステルに見せる。
「なんだ飲まなくていいのか……って全身だと!? ここで全部服を脱げと言うのか!?」
「あっ……まあそうなるかな?」
パステルの服は安物で毒に大して何の防御にもならない。
そもそも何かに対して信頼できるほどの『耐性』を備えた装備というのはかなりレアで、人間界では素材を自分で集めたうえで職人にお願いして作ってもらうのが一般的だ。
手間だしお金もかかるが、生き延びられる確率をそれで大幅に上げられるなら安いもの。
仕事が軌道に乗ってきた中堅冒険者は依頼ではなく自分のため素材収集を始める……らしい。底辺冒険者の俺には無縁の話だったからなぁ……。
まあとにかくパステルの肌に薬を塗った方が良いのだ。
「くっ……確かに体を溶かされるのは嫌だしなぁ……仕方ない。そこの木の陰で服を脱ぐからその後で合図したら薬を渡してくれ。エンデはそんなことしないと思うが一応言っておく、覗くな」
そう言い残すとパステルは太い幹の木の裏に隠れた。
『裸の女の子に興味があるか?』と聞かれれば『ある』と応えるが覗きはしない。信用問題だ。
俺はその場から一歩も動かずパステルの合図を待つ。これが真の男の姿だ。
「よし……薬を」
木の幹に隠れながら手だけをこちらに差し出してくる。
俺はその掌に薬を適量のせる。そしてすぐに定位置に戻る。
「うむ、ありがとう」
さらに待つこと数分。
「うーんっ……ぐぐっ……」
「大丈夫? 薬が合わなかった?」
「いや、背中に腕が回らない! こんなに体が固かったのか私は! これでは背中に薬が塗れぬ……。くぅ、致し方なし。エンデ右側からこちらに来てくれ。背中に薬を塗ってほしい」
「わかった」
俺は言われた通り右側から木の裏に回り込む。
すると裸で地面にしゃがみ込み、腕と脚で体を隠しているパステルと目があった。
「あ、あれ!?」
「わ、私から見て右側からではない! お前から見てだ!」
「ご、ごめん!」
すぐさま反対側から回り込む。
「てっきり下はもう着てるものかと……。背中に塗るだけだし……」
「あっ、その手があったか……よし、そうしよう。もう少しあっちで待機だエンデ」
言われるがまま定位置で待機する。
それにしても見てしまった……。脳裏には彼女の体が鮮烈に焼き付いている。草木の中で裸という状況も相まってそれはそれは……。
この事は聞かれてもしっかり見ていなかったと言おう。彼女との間に埋められない溝を作ってしまう。
「よし! 良いぞエンデ」
恐る恐る再び木の裏側へ。
そこにはいつものショートパンツを履いたパステルがいた。腰に手を当て堂々と背中を向けている。表情も先ほどの恥ずかしげなものからいつものどこか自信ありげな顔に戻っている。
これはこれで……悪くないな……。
「早めに頼む。腹が冷えるからな」
「了解」
塗り薬をてのひらに生成し、彼女の背中に触れる。
「うっ……」
「冷たかった?」
「いや、背中に優しく触られることなどあまりなかったのでな。その感覚に驚いただけだ。続けてくれ」
パステルの小さい背中に薬を塗り込んでいく。
本当に小さい背中だな……。いつもはサイズの大きなローブを着ているから彼女のシルエットは身体より大きく見えるけど、それでもとても華奢に見えていた。
実際裸を見るとさらに細くこんなに頼りない身体だったのかと驚く。本当に修羅器を手に入れたくらいで他の魔王と戦えるのだろうか……。俺には何も出来ないのか……。
「この薬はそんなに塗り込む必要があるのか? ずいぶん時間がかかっているが……」
「あっ、いや念のためだよ。これでもう大丈夫さ」
「ならいいのだがな。服を着るぞ」
パステルはこちらに背を向けたまま上の服とローブを着用する。
「ふー、さてここからが本番だったのだな。準備は万端だ。行くぞエンデ」
再びパステルは小型の魔力銃を構える。
この銃を貰った時から彼女はダンジョンで少しずつ撃つ練習をしていたおかげで狙った物にはよく当たる様になっている。
しかし、威力はまったく期待できないので戦力は俺だけと思っておかなければならない。
「俺が前を歩くからパステルはその後ろを適度に距離をとってついて来て。あんまり近すぎても危ないし、離れすぎると分断されるかもしれないから気をつけてね」
「了解したぞ」
少々声が緊張しているが想定内だ。よーく見ておいてあげないと。
俺は先ほど蹴り開けた扉を手で押しあけ二度目のダンジョンアタックを開始した。
「うっ!」
入ってすぐパステルが顔をしかめる。
「苦しいならすぐ外に出るよ」
「いや……体は苦しくないが臭いが少々キツイなこのダンジョンは……。流石毒物で満たされているだけある」
空気中の毒は遅行性なのでまだ安心できないが、とりあえずのところ彼女に異常はなさそうだ。
逐一彼女の顔色を確認しながら前へと進む。
「苦しくなったらすぐ言ってねパステ……」
パンッ!!
「うわっ!?」
いきなり銃声がダンジョン内に響いた。
そして俺の前に形の歪んだスライムが落ちてくる。
「くっ……スライムすら弾き飛ばす程度の威力しかないのか……」
「もしかして……俺の上からスライムが来てた?」
「そうだ。天井の割れ目から染み出してきおったわ。私も今気づいてすぐさま撃ったのだが……威力が足りずこのざまだ」
「いや、ありがとう。もし撃ってくれてなかったら頭に落ちてくるところだった」
「まっ、エンデには落ちても問題ないがな」
「いやいやその行動が嬉しいよ。それに恐れず敵を撃てた。なんだか俺はパステルに過保護すぎるのかもと思った。君はもっと立派な……」
「やめいやめい。このくらいでそんなに買い被るのは……。むしろもっと保護してくれていいのだぞ? 次も今みたいに冷静に対処できるとは限らん。特に自分が標的にされた時はな。油断せずに進もう、お互いにな」
「うん、わかった!」
パステルは謙遜してるけど『戦力は俺だけ』なんて彼女に失礼な思考だったと思う。
後ろに守るべき人がいるのは確かに不安だけど、逆に後ろから俺を守ろうとしてくれている人もいるのだ。
微弱な力かもしれないけど、そう思うだけでなんだか体に力がみなぎって来るのを感じた。




