第01話 日常に舞い込んだメール
小さな魔王パステルと出会ってから一か月が過ぎた。
ダンジョンで起きて、ダンジョンで食事をし、ダンジョンで働き、ダンジョンで寝る生活にもだいぶ慣れてきたというかそれが当然のことになっていた。
俺を毒の池に落とすように仕向けモンスターに転生する原因を作った因縁の敵であるアーノルド襲来以降、特に大きな出来事はない。
しいて言えばダンジョンへ来る冒険者の数が少し減ったことが気掛かりか。
やはり人を殺したことがあるダンジョンとなると気軽に入ってくる人間は減る。これは仕方ない。
しかし、逆にこれが良い牽制とも考えられる。
他の高ランク冒険者もあのアーノルドが何もできずに殺されたとなると安易にダンジョンコアを狙って深入りしようとはしないだろう。
それにアーノルドの悪行は暴かれ、奴が殺された理由もメイリやサクラコが接触した冒険者に尋ねられれば正直に答えているので、稼ぎ目的の冒険者はまた数を増やしている。
ただ今回は俺自身がアーノルドのスキルを把握していて、そのうえ性格まである程度知っていたから上手く対処できた。
でもこれが全く知らない高ランク冒険者となるとどういう展開になるかわからない。人柄を知らない以上安易に殺したくはないが、だからと言ってパステルが殺されたり攫われるのを見過ごす事は出来ない。
強敵相手に手加減して追い返すには戦力と情報がいる。
これからもダンジョン運営方針は変わらず戦力の増強と情報収集だ。
俺自身も戦闘機会はなくとも毒の研究やスキルと剣術の鍛錬は毎日続けている。
「ごちそうさま。いつもありがとうメイリ」
「いえいえ、お粗末様でした」
朝食を食べ終え、作ってくれたメイリに礼を言う。
キッチリ切りそろえられた短い黒髪、美しい顔、長身で出るとこ出てるスタイル抜群の身体……家事から戦闘までダンジョン内のあらゆるお世話を担当する母淫魔のメイリ。
彼女はこの一か月であらゆる面が著しく成長した。
まずは家事。そもそも上手だったけど更にテキパキとこなすようになり、動作と動作の間が非常に縮まっている。流れるように仕事をこなしていく姿はもはや芸術だ。
そして戦闘。彼女は第一階層の植物を守るために【水魔術】を使い続けた結果、そのスキルか一段階成長し【深水魔術】となった。
これは【火魔術】に対する【火炎魔術】、【風魔術】に対する【烈風魔術】のようにほぼ一つ上のスキル、上位互換と言えるものだ。
効果としては純粋に生成できる水の量が増え、一度に操作できる水の量も増えるといった感じでそれに伴い魔法の威力も上昇している。
おかげでやってくる火使いたちの対処も大幅に楽になった。
そのせいか最近は冒険者たちも植物モンスターを炎で焼くのではなく、風や武器で普通に切り裂いてくるようになった。
メイリの身体は物理攻撃に対して頑丈な方ではないので、これへの対処もまた考えてあげないといけないな。
「おっす~、朝一の偵察から返ってきたぜ野郎ども~」
リビングの扉を開け放ち飛び込んできたのはピンク色の髪をした小柄な少女……ではなく一応男らしいスケベスライムのサクラコだ。
そもそもスライムに性別はないがサクラコは胸に熱いスケベ心を秘めていて、女性に近づきその体液で装備を溶かして楽しんでいた野良モンスターだった。
女性に警戒されないように女性の姿に擬態していたらそのうちそれがスキルとして目覚め、さらにはステータスを人間に偽装できるスキルまで身につけてしまったのだからスケベ心にあっぱれと言うしかない。
今は俺たちの仲間として戦闘はもちろん擬態スキルを生かして近くの町に潜入、情報を持ってきてくれる欠かせない存在だ。
彼女の大きな功績の一つとして第九階層の植物園を完成させたことにある。やったことは町から野菜や果物を買って帰ってくるだけだが、その単純なことすら他の者には出来ない。
サクラコの買ってきた野菜や果物から種を取りグロア毒で育てる。これによりダンジョンから出ずとも美味しく新鮮な青果物が楽しめるようになった。
また第九階層の天井をDPを使って実際の空が映し出される天井に変更した。
これで朝は朝日を、夜は星空を、雨の時は雲の多い薄暗い空を眺めることが出来ると同時に植物に日光を与えることが可能になった。あと洗濯物も自然に乾かせるかな。
もちろん日光のエネルギーで成長が促進されるため与えるグロア毒の量は調整した。せっかくみんなで一緒に考えて配置した植物たちがモンスターになってしまっては困るからね。
「おっ、エンデ今朝食か?」
サクラコはここに来る途中で採ってきたであろうリンゴを丸かじりしている。
「今終わったところだよ。それで今日は何か新しい情報はあった?」
「うーん、そうだなぁ。まずこのダンジョンを攻略しようと他の町からやってきた冒険者ってのはいなさそうだぜ。有名冒険者が来たらすぐウワサになるからよ。これは正確な情報だと思ってくれていい」
ここから一番近い人間の町はマカルフというところで、このダンジョンを攻略しようとしたらまずマカルフに立ち寄ることになる。
マカルフに住む冒険者にこのダンジョンを攻略できる者はいないと言ってもいい。なので外から流れてくる者に注意を払っておけばある程度危険は予知できる……という考えだ。
「まっ、マカルフの町自体には何の変化もない平和なもんだったぜ。病気が流行っているワケでもなく、凶作にあえいでいるワケでもなく、いつも通りのんびりしたところさ。ただ……」
サクラコはニヤッといたずらな笑みを浮かべ俺に体を寄せる。
性格は男っぽいとはいえ体は女性でスライムだ。柔らかいものが腕に当たるのを意識せずにはいられない。
「ちょっと俺たちの戦力強化に良さそうな情報を手に入れてな。話そうと思ったんだが……肝心のこのダンジョンのご主人様が寝坊してるじゃないか」
「起こしてはいるのですが……もう一度いってきます」
メイリが奥の部屋へと入っていく。
そして数分後、目を擦ってまだ眠たそうにしている少女を引っ張り出してきた。
ボサボサのオレンジ色の髪、黒いパジャマ、そんな乱れた格好でもどこか惹きつけられる魅力を放つ存在……。
彼女こそこのダンジョンの主である魔王、パステル・ポーキュパイン。
「おはようみんな……。また寝坊してしまった……。起きる気はあるのだが……」
ふわぁ~とあくびをするパステル。そのままメイリに引っ張られ洗面所へ向かう。
彼女はアーノルド襲来以降……特に何も変わっていない。むしろ少し臆病になった。
アーノルドの狂気の標的に一瞬でもされてしまった事がそうさせているのか、何度尋ねても答えてくれないけどおそらくそれが原因だ。そのせいで外の世界に対する興味が薄れているのを感じる。
しかし、何もする気はないというワケでもない。ただ、彼女がどうやったら強くなれるのかが本人にも俺たちにもよくわからないのだ……。俺自身も努力で強くなったわけではないので何とも言いにくい。
パステルは魔王きっての落ちこぼれで、魔界学園でも成績最下位でいじめられていたらしい。それでも彼女なりに努力はしてきたが、結果は所持スキルがユニークスキルの一つのみという悲しい結果。
そのうえその唯一のスキルも他者の興味を強く惹きつける【淡い魅了】というもので、法はあっても本能的に弱肉強食の魔界では彼女は悪い意味で目立ち、醜い感情をぶつけられてしまう原因になってしまった。
それでも彼女は強がるし気丈にふるまう。本当は芯の強い良い子なんだ。でも、戦闘力が弱いのだけはどうしようもない事実で……。
「ふぅ……顔を洗って身なりを整えれば流石に目が覚めるな」
いつもように髪を大きな房のようなツインテールにし、不思議な模様の描かれた黒いローブを着たパステルが洗面所から出てきた。
「さて……今日は何をしようか」
テーブルにつき、メイリが食事を温めている間にダンジョンタブレットと呼ばれるダンジョンの情報が集められた板状の物体を手に飲み物をすする。最近の彼女は朝いつもこうしている。
「おや、魔界学園からメールが来ているぞ」
「朝食が出来上がりましたパステル様。タブレットを置いて先にお召し上がりください」
「わかったわかった……このメールを読んだらすぐ食べる……」
メイリは最近注意してもタブレットを見ていたりすると普通に取り上げて静かに怒る。
どんどん母親っぽさが出てきている。まあ種族的に正しい……のか?
ただ流石に今回は魔界学園からのメールという普段来ない物が来ている状況なので怒る気配はなく、むしろそのメールの正体がなんなのか静かに見守っている。
「ほー、人間界に来て一か月経ったと……ふむふむ……あっ」
パステルが硬直し、タブレットをテーブルに取り落す。
「あ、あああ……ああああああ……」
みるみる彼女の顔が青ざめていく。
なんというか……忘れてはいけなかったことを忘れていた時の顔だ。俺も表情である程度パステルの気分がわかるようになった。
「わ、忘れてた……。もう一週間しかない……」
「何を忘れてたんだいパステル?」
「魔界学園主催……新人魔王……一か月成績発表会……」
「えーっと……それを忘れていたのがマズイの?」
「それの余興として行われる……一人一戦限りのエキシビションマッチ……くっ、考えないようにしようとしてたらすっかり忘れてしまっていたぁ!!」
頭を抱え込むパステル。
いったい……魔界で何が行われるというんだ……?




