第24話 水鏡の海
満月の夜、俺たちは通いなれた砂浜に来ていた。
ヒューラが他の精霊竜と連絡を取るためには、自然の力を借りて魔力あるいは内に眠る精霊力を高める必要がある。
でも、どうやって高めるのかはヒューラとササラナ以外誰も知らない。
ササラナにだけは何か役目があるようで、ヒューラが事前に話をしていた。
「じゃ、お願いするぜ」
「あいよ……って、結構大仕事なんだけどねぇ」
ヒューラの指示でササラナが海に足をつける。
そして、すうっと深呼吸をするとそのままピタッと息を止める。
もともと呼吸を必要とする種族なのかはわからないけど、いつもは立っていても座っていても少し揺れているササラナがピクリとも動かなくなった。
それと同時に海にも変化が訪れる。
波が消え、鏡のような水面が広がっていく。
その水面に映る月は空に浮かぶ月と遜色なく、まるで海と空に二つの月が浮かんでいるようだった。
そして二つの月が内湾の中央にきた時、金色の光が水面を満たした。
精霊がまとっていたのと同じ温かさのある光の海にみんな息をのむ。
そんな中、ヒューラが海に向かって一人で歩き出しその小さな前足を水面につける。
その際に生まれた小さな波紋はゆっくりと海に広がっていき、波紋の過ぎ去った後の水面には星空ではない何かが映り込んでいた。
でも、砂浜から見ているのでは何が映っているのかがわからない。
空から見ればハッキリすると思うけど、なんだか体を動かすのすら遠慮してしまう雰囲気だ。
「飛んでいいぜ、エンデ。何が映っているのか確認してきてくれ」
ヒューラが海に手を付けたままそういったのでお言葉に甘えて空を飛ぶ。
上空から海を見下ろした時、海に映る物の正体がすぐにわかった。
「竜の眼か……!」
水面に映る二つの大きな眼。それは俺も持っている竜の眼。
しかし、この二つの眼は一体の竜の眼じゃない。
一つは燃えるような赤い眼、もう一つは静かな青い眼。
二体の竜が映っているんだ。
「ヒューラ、映ってるのは竜の眼だ。それもおそらく二体」
地上に降り立った俺は見たままをヒューラに伝える。
「そうか……どうやら成功みたいだな。後は声が聞こえるかどうかだ。あ、あ、俺の声が聞こえるか?」
「うおっ!? 誰か喋りおったわ!?」
赤い目の方がぎょろぎょろと動く。
もしかして、今の今まで繋がっていることに気づいていなかったのか?
「わらわの眠りを妨げる不届き者は誰だ?」
青い目が静かに瞬きする。
どうやらこの目はイメージであって、こちらが見えているわけではないようだ。
「おおっ!? 女の声も聞こえたんだが!?」
「ええいうるさい! さっきから品のない声を発しているのはどやつだ!? 名乗れ愚か者!!」
青い目がカッと見開かれる。
「品のない声って……まさか俺様のことか? カーッ! 俺様の美声の良さがわからんとは聞く耳のねぇ奴だ! その出来の悪い耳かっぽじってよーく聞け! 俺様の名はヴァルカン! 火の精霊竜なんだがぁ!?」
「ドブのような声だこと……。しかしながら、名乗らせておいて名乗らんというのも無礼であるな。仕方がない、どんな相手にも上品に振る舞うのがわらわ。キャナル……美しい響きだろう? それが水の精霊竜であるわらわの名だ」
「ふん! お前のようなお高くとまった奴が精霊竜とはな!」
「そなたのような下品な者が精霊竜などと!」
二体の精霊竜はこちらの存在を気にかける前にケンカを始めてしまった。
竜とは子どもみたいだが、竜が争っていると思うとただならぬ威圧感を感じる。
「待ってくれ! ケンカをさせるために二人に声をかけたわけじゃない」
「おお!? 初めに聞こえた声の奴!?」
「そなたか……わらわをこのような者と引き合わせたのは……。名を名乗れ、説明せよ」
「俺の名はヒューラ。毒の精霊竜だ」
「毒の精霊竜だぁ……? そんな精霊竜もいるのか」
「ふっ、愚か者めが。毒属性など魔術にも存在しておらん。そんな精霊竜がおるわけなかろうが」
「まあまあ、少し俺の身の上話を聞いてくれ」
ヒューラは自分がもともとは回復を司る命の精霊竜だったが、人間に食われ命を失い毒の精霊竜として生まれ変わったことを話した。
うるさかった二体の精霊竜も話が始まった後は大人しく耳を傾けていた。
「ほうほう、それは災難だったな。精霊竜が気軽に連絡を取れる関係だったならば俺様が助けに行ってやったものを」
「ふんっ、精霊竜だというのに人間に殺されただと? 油断しすぎと言わざるを得ん。安易に人が近づける場所に身を置きすぎだ。目の前に力があれば人は追い求める……エサをもらえると思った池のコイのようにな」
「そこまで言うことないだろうがよ! 同じ精霊竜が死んでるんだぞ!?」
「だから言ってやるのだ。人など簡単に信用するものではない」
「だからケンカすんなって! ここまでは正直どうでもいい話なんだ! 確かに命の精霊竜は死んだ。だが、そこから生まれた俺は人を恨んじゃいない。だからと言って全部信用しているわけでもない」
「まあ、お前がそういうならいいんだがな俺様は」
「で、その毒の精霊竜がわらわに何の用だ。まさか身の上話を聞かせたかったわけでもあるまい?」
「ああ、その通りだ。俺はあんたたちに危険を知らせ、協力を求めるために連絡を取った」
ロットポリスの事件、そしてヒムロから数日前に聞いた古代の記憶……そしてビャクイのことをできる限り簡潔に、かつ深刻にヒューラは語る。
「……ということだ。要するに危ない奴が危ないことをしようとしてる。だから精霊竜同士協力しようぜって話だ。そっちにとっても悪くない話だろ?」
「要件はわかった。問題はそのビャクイって奴がそこまで脅威なのかって話だ」
「話を聞く限り確かに危険な存在ではあるが、それは人間にとってのこと。わらわたち精霊竜がわざわざ手を出す必要があるのかどうか、はなはだ疑問だ。実際かつて人間たちだけで決着をつけているのだろう?」
「それは……そうだが、すでに犠牲も出ているしもっと強くなってるかもしれない。なに企んでるのかもわからないし、俺たち精霊竜でも勝てない相手かもしれないんだぜ?」
「推測が多いな。実際のところ何もわかっていないのだろう? わらわの眼は欺けんぞ」
「む……ぐぅ……そうだけど……。じゃあ、嫌ならあんたら本人が動かなくてもいい。継承者を見つけてそいつに協力を……」
「おほほっ! 継承者だと? 寝言は寝て言ってほしいものだ! わらわのこの力は誰にもやらんし、それに見合う者など存在するはずもない! よいか? 継承者というのは誰でもよいわけではない! 竜の力を受け継ぐに値するものでなければ最悪どちらも死ぬ!」
「でも俺は見つけた!」
「ほう、だからそのようなちんちくりんの姿になってしまったのか?」
「えっ、俺が見えてるのか!?」
「ああ、先ほどからな。一度繋がっていまえばこちらからも力を送りこの交信をより強くできる」
「えっ!? 俺様には見えてないんだが!? やり方もわからないんだが!?」
「とにかく!! わらわはそなたたちに関わる気はない!」
強い口調で断言する水の精霊竜キャナル。
誰が口を出しても自分の意思を曲げそうにない性格ということが、この短時間で身に染みるほど理解できた。
しかし、簡単に引き下がるわけにも……。
「……俺様は少し考えてやらんこともないな」
「本当か!?」
「正気なのか火の精霊竜よ!?」
「ああ、最近少し見込みのありそうな奴と出会ってな。俺様の長い人生……じゃなくて竜生の中でそいつと過ごした時間はほんのわずかだが、場合によってはこの力をやってもいいと思ってる」
「そんな……出会いがないのはわらわだけなのか……?」
急に弱気になるキャナル。
ここぞとばかりにヒューラは話を進める。
「ヴァルカンさんよ。良ければその見込みのある奴と一緒に俺たちに合流してほしいんだが……」
「待て待て! まだ『やってもいいと思ってる』だけだ! 別にやるかどうかまだ女々しく悩んでるわけじゃない。問題は受け取り手の方にある。正直、俺の心は決まってる。俺の住む場所に生きてたどり着けるうえ、上品な女ときた。もうこれから先そいつ以上の継承者候補には出会えない自信がある」
「じゃあ、何が問題なんだ?」
「未熟の一言に尽きる。素質は十分だが欠陥も多い。まだ自分自身の力すら制御できない、立って歩けない赤ん坊みたいなもんだ。そこに重い荷物を背負わせたら潰れちまう。それは嫌だ! だから今は精霊竜の力をやらん!」
「そいつのこれからの努力次第ってことか……」
「ああ! だが、もし俺様が合格を出したらお前たちと合流させることを約束しよう。俺様の見込んだ女が生きる世界に再び争いを起こそうとする輩はいらねぇからな!」
「ありがとうヴァルカン!」
「いいってことよ。俺様の自己満足もあるしな。まっ、気長に待て。その間、お前たちは他の精霊竜を探せ。この交信に出ない竜はあえて無視してるか……死んでるかだ。どちらにせよ探す意味はある。各地を回ればそのビャクイって奴の尻尾もつかめるかもしれないから一石二鳥だ」
「でも、精霊竜ってどこにいるんだ?」
「人間の立ち入れない極致にいる。俺なら……まあどこかの火山周りだ。火の精霊竜らしく熱いところにいる。逆に氷の精霊竜がいるとするならすっごく冷たいところだろうな。常に雪に覆われた山脈とか、そんな感じで探してみろ」
「少し手掛かりとしては弱いが、何の当てもないよりはマシか。そうしてみるぜヴァルカン」
「じゃ、いずれ会えることを楽しみにしているぞ」
「待てぇい! わらわをおいて勝手に交信を終わらそうとすな!」
「あ? お前関わらないんじゃなかったの?」
「うるさい! 少し気が変わったのだ。わらわが認めるような素晴らしい水の才能を持った者を連れてくれば協力を考えてやらんこともない。あくまで考えてやるだけだがな」
「それでも全然かまわないさ! で、どこに連れていけばいい?」
「キュリス湖……最も巨大な湖だ。そこにわらわはおる。なるべく早く連れてこい! 気が変わらんうちにな! では、そろそろ交信を切るぞ! そちらが限界のようだからな」
「限界……? あっ、ササラナが!」
直立不動だったササラナの身体がぷるぷると振動している。
じっとしてるのが我慢できなくなったというより、魔力がもう限界なのだろう。
波を止めるということは、自然エネルギーを正面から打ち消すということ。
波を起こすよりもずっと真剣と魔力を使うはずなんだ。
「ふっ……そなたはササラナというのか。良い名だ。わらわのもとに来い……悪いようにはせん」
「おっ!? やっと俺にもそっちが見えるようになったんだが!? なかなかかわいい女の子に囲まれてるじゃねーかヒューラ」
そこでぶちっと交信が途切れた。
同時に海は輝きを失い、波が戻ってくる。
「ぷはっ……!! はぁー、二度とやりたくないわぁ……」
砂浜に大の字で寝転がるササラナ。
みんなで彼女に感謝を伝えた後、ホテルに引き上げることになった。
作戦会議だ。
そして方針が決まれば、こうやってみんなで砂浜から海を眺めるのもしばらくお預けになるだろう。
更新が大幅に遅れて申し訳ありません!
いろいろ出す情報が多くどう書いたものかと悩んでいたらこんなことになりました。
時間使った分文章はマシになってると思いたい……。




