第17話 荒れる大海
晴れ渡っていた空の面影はもはやない。
テトラの町の上空は黒い雲に覆われ、今にも雨粒が落ちてきそうだ。
風は激しさを増し、砂浜に用意された披露宴会場はもはや使い物にならない。
それどころか高くなった波にすべて飲み込まれてしまいそうだ。
「……アイラ以上か。なら、私はエンデの側にいない方が良さそうだな」
パステルが静かに口を開いた。
「ごめん、君を守りながら戦う自信がない。パステルを含めたみんなにはテトラの町の人たちを出来る限り高台へ……いや、海から遠ざけてほしい。上手く町長と協力して」
「私も……足手まといでしょうか?」
メイリが俺を見据えて言う。
「悪いけど今回はそう言わざるを得ない……。空を飛べるか、よほど海が得意な人以外はそもそもまともに戦えなくなる。ここからさらに海は荒れるよ」
「承知しました」
メイリはスッと引き下がる。
「俺も海はダメだから今回はおとなしく裏方に徹するわ。ササ姉と一緒に上手くやってくれよエンデ!」
「うん、そっちは頼むよサクラコ。それでフィルフィー、今からフェナメトをアルバトロス装備に換装できるかい?」
「はい! 魔動バイクで海から逃げつつ換装を同時に行います! 少し待っててくださいね! 来てフェナメトちゃん!」
「りょーかい!」
フィルフィー、フェナメトは魔道バイクへ向かった。
「パステルもそろそろ」
「うむ、気をつけてな」
パステル、メイリ、サクラコも海から離れていく。
「ヒムロさんもパステルについて行ってください」
「あ……はい、エンデさんも無理なさらずに……。いやっ、ここは無理するとこかも……? うん?」
額に手を当てながらヒムロも駆けていく。
混乱しているみたいだ。
まあ、慣れていなければ混乱して当然か……急に天候が変わるなんて。
(エンデ! 俺だ、ヒューラだ!)
パステルの髪の中にいるヒューラがテレパシーで直接脳内に語りかけてくる。
(今はこれで通じてるが、あまり荒れた魔力の中に突っ込むとテレパシーが乱れて通じなくなることがある! 別にこっちに何かあったから通じなくなったわけじゃないってことは覚えておいてくれ! 十中八九今回の敵と戦ってる時は通じなくなるぞ!)
(わかったヒューラ。パステルのことは任せたよ)
(おう! 気兼ねなく戦ってこい!)
さあ、そろそろ行くか……。
濃紫色の翼を広げ、俺は荒れる海へ飛び立った。
● ● ●
エンデたちが行動を開始する少し前、海上の漁船たちは大波に揺られ、暴風に流され、思った通りに進まない状態であった。
それでも転覆する気配がないところは、乗っている漁師たちの操舵技術の高さを物語っている。
しかし、それも『今は』の話。
波も風も落ち着く気配など微塵もない。
このまま海にいれば転覆するのは時間の問題だ。
なんとか船を港へ……という気持ちだけが乗っている者たちの間で強くなっていく。
そんな中、自由に動ける船が一隻だけあった。
技師カイリの造った魔動船だ。
他の船と比べて小型で小回りが利き、動力付きでパワフルな推進力を持っていることがその理由だ。
「カイリ! 早く港に逃げようよ! このままじゃみんな海に沈んじゃう!」
揺れる船上でナギサが叫ぶ。
彼女も漁師、この状況でも立って声をはりあげるだけの元気がある。
「ぐぅ……ダメだ……。この船で……みんなを助けるんだ……!」
「ええっ!?」
船酔いで顔が青いカイリ。
しかし、それでも物につかまって立つ。
その目はまだ死んではいない。
「もうじき……他の船から振り落とされる人が出てくる……。この船ならすぐに助けに行ける……!」
「それはそうよ! カイリの造った船だもの! でも、それで私たちも死んだら元も子もないじゃない! それにこの船に乗せられる人の数なんてたかが知れてるわ! 一隻大型の漁船が沈んだらもう全員は……」
「それでも出来る限りやるんだ……! まだ、この船なら荒れる海も進める……!」
「カイリ……!」
もめている間にも漁船の一つからゲストが一人振り落とされた。
カイリは素早く舵を切り、そのゲストのもとへ向かう。
「あなたがはじめて見せてくれた頑固なところだものね……!」
ナギサが溺れているゲストを引っ張り上げる。
「付き合うわ、妻として」
「ナギサ……ごめん……!」
「男が簡単に謝らないでよね」
愛に生きているように見えてナギサは冷静だった。
彼女の方がカイリより海と付き合って長い。
荒れていく海、暗くなっていく空から本能的にさらに状況が悪くなっていくことを感じ取っていた。
『このままでは全船が沈む』。
そんな考えがすでに脳内に浮かんでいた。
それと同時に、そうならないための最後の希望も……。
「守ってくれる……プレジアンの遺志が……!」
波だけが不意に少し弱まった。
これならばなんとか港に迎えるぐらいに。
「私が波を抑える! 風は無理だから気合で何とかしなさいよねぇ!」
打ち寄せる波から船団を守る様にプレジアンの船が立ちはだかる。
漁師たちに声をかけているのはもちろんササラナ。
彼女の魔術で船と港の周囲の波を落ち着かせているのだ。
「ほらさっさと行く! 今だけよこんなに穏やかなのは……」
ササラナは内湾の中央、魔力の発生源を見据える。
「浮上してきやがるなぁ……。ちっ、ホントどこにそんな魔力を隠し持っていたんだか……」
イラつきを隠せないササラナ。
しかし、彼女のおかげで漁船は港へと進み始める。
「はてさて、港に帰ったからといって助からんかもしれんねこりゃ……」
彼女もまたエンデと同じく高波で町すべてが呑み込まれるという最悪の想定をしていた。
それを覆すためにやるべきことは、その元凶を倒すこと。
「ま、それはエンデくんの役目……とも言ってられないみたいねぇ」
水面に黒い影が複数見える。
敵はすでに漁船に狙いを定め、その手を伸ばしてきていた。
ザバァッと飛沫をあげ海上に姿を現したそれは、一本で漁船を締め上げて潰せそうな太さと長さを持つ触手だった。
表面には無数の吸盤、先端にはオオカミの頭部のようなものが付いており、その口からは牙と長い舌をのぞかせている。
おぞましいその姿、ササラナには見覚えがあった。
「もう何も信じられないわねぇ……」
呆れにも近い感情を抱くササラナ。
そんな彼女にお構いなく異形の触手たちは逃げ惑う漁船めがけ殺到する。
その牙が船を噛み砕こうとした瞬間、黒い物体が船と触手の間を縫うように飛び、触手たちを根元から切り裂いた。
「思ったより柔らかい。俺の剣で十分対応できる」
暴風の中でも安定した飛行をみせるエンデが、剣についた血を振ってはらう。
その間にも触手たちは再生し、再び船に襲いかからんとうごめく。
それを再び切り裂いたのは赤い影、クエストパック『アルバトロス』に換装したフェナメトだ。
「おっとっとっ……」
半ば勢いで飛行するアルバトロスパックは制御に難がある。
フェナメトは一度漁船の甲板に着地する。
「ここは私とフェナメトちゃんで何とかするわ。エンデくんは本体を叩いて!」
「いや、ここからでも攻撃は出来ます!」
エンデはまたも再生しつつある触手の一つに剣を突き立てる。
「ブラッドポイズン!」
エンデは剣に開いた穴から怪物の血液を取り込み解析する。
(……人間にとって毒性があるにはあるが、それはこの怪物本来の血の効果だ。こいつはアイラみたいに人から変えられたわけじゃない。生まれ持っての怪物だ)
そうとなればエンデは容赦しない。
ブラッドポイズンは穢れた血液の代わりに薬を混ぜ込んだ正常な血液を入れることで命を繋ぐことも出来れば、猛毒と血を取り換えて命を絶つこともできる。
触手は本体とつながっている。
ここから毒を本体に流し込み敵を倒そうと言うのがエンデの作戦だった。
しかし、今回の敵はただ凶暴なだけではない。
自らの意思で毒におかされた部分の触手を切り離し、ブラッドポイズンから逃れた。
「エンデくん! それはマズイわ! いま落ちた触手から毒を回収して! 海が死んでしまう!」
切り落とされた触手の断面からは濃い紫の液体が流れ出る。
海の生き物たちにとっては即死してもおかしくない猛毒だ。
放っておけば漁師たちが生き残っても仕事を失う。
「やっぱり、何かを守るには向いてない……この力は」
すぐに毒を回収するエンデ。
さいわいさほど量は多くないので大事には至らなかった。
が、その間にも触手の数は増えていく。
「こいつは……触手を見ただけじゃ竜眼でも正体を見抜けない」
「スキュラクラーケンだよ。こいつはね」
ササラナがぶっきらぼうに言う。
「かつて船長が倒したはずの古代魔獣……。二体の海の怪物の間に生まれた規格外の化け物さ……」
「ササラナさんを沈めた敵!?」
「違ったらいいんだけどねぇ……。あの時に完全に倒したはずだし……。でも、こいつは特殊なモンスター、何体もいてもらったら困る。だからきっと同一個体よ」
「だとしても、なぜいま姿を現したんでしょうか? この再生力ならすぐに復活して暴れまわりそうですが……」
「わかんないなぁ……そこんところは。ただ、やる事は一つ!」
ササラナは自らの船から離れ、海上を滑るように内湾の中央……敵の本体へと向かっていく。
「船も私だから海流操作ぐらいできるわ。フェナメトちゃんは触手を切って漁船を守って!」
「りょーかい!」
「エンデくん、行くわよ!」
「はい!」
彼女の後を追ってエンデもはばたく。
(とにかくブラッドポイズンを本体に打ちこめば倒せる。その後すぐに海から回収すれば毒の影響は薄いはずだ。後はそれを実行できるか……!)
打ち付ける雨を振り払い、二人は荒れる海を進む。




