その七 厚みと押し引き
「そう言えば師匠」
「何ですか?」
以前から不思議に思っていた疑問を師匠にぶつけてみる。手球が的球に当たった後に前に行ったり戻ってきたりする件について。
「押し球と引き球の話ですね」
そうとも言う。
「こないだお話した手球の真ん中から左右がひねりですが、上下が押し引きです。真ん中より下を撞けば手球が戻ってくるし、上を撞けば手球が向こうへ転がります。とりあえず今はそう覚えておいてください」
何だか含みのある話。そう言われると気になる。僕が複雑な顔をしていると師匠からフォローが入る。
「あんまり難しい話をしても仕方ないからそう言ったんですが、下を撞いて押し球にしたりも出来るんですよ」
意味が分からない。
「やってみせますが、応用編なので使えるとは思わないで下さいね」
見せてもらったが何をやってるのか意味が分からなかった。応用編だから仕方ないね。
「球の狙い方」
気を取り直して別の事を聞いてみる。今頃って思うけど。
「コーナーポケットとサイドポケットでは狙い方が少し違います。厚みと言う言葉を使ったりもしますが、これは狙いに対する手球と的球の重なりの意味です」
「もっと簡単に」
「ポケットから見て的球の裏側に手球を当てるとポケットに入ります」
「なるほど」
「たくさん経験すると疑問も出てくると思いますからその時に質問してみて下さい」
「それではゲームしましょうか。それとも押し球、引き球の練習しますか?」
師匠の話は相変わらず長い。でも今日からは大丈夫。話が終わってカウンターに手を振ったらゲーム代が開始って話になった。師匠の話が長いのがいけない。僕は大学生だし。
ちなみに師匠は僕と話している間中ゲーム代は払ってる。本当はお金持ちなのかな?
「押し引きの練習」
「承知致しました。それでは練習してみましょう」
短いセンターショットの配置を作り、手球に向かって構える。もちろんカウンターには手を振った後だ。
「手球の下を撞いてみて下さい」
手球が的球に当たり、チョロッと手前に戻る。
「優秀ですね。今はこれで十分です」
「それでは次に手球の上を撞いてみて下さい」
手球が的球に当たり、的球を追いかけてポケットにスクラッチする。
「素晴らしい。十分過ぎるほどです」
「どうやらインパクトの直前でキュー先が上向きにズレているみたいですね。引き球の時はキューを放り投げるイメージで撞いてみて下さい」
手球がスルスルっと手前に戻る。
「これは凄い。言っただけで出来るのは本当に凄いです。押し引きの初級編は卒業ですね」
フフン。やれば出来る子でしょ?でもどんな時に使うの?
「次の的球との配置を考えて使います。実は次の次まで考えて配置を作っています。これが高い確率で出来たらB級でしょう」
「確率?」
「そうです。確率です。実はトッププロと呼ばれる鬼の様に上手い実力者と中級のアマチュアでは出来る事は実はほとんど同じなんです。違いは成功率なんです」
話が見えない。
「それが実感として理解できれば中級アマチュアですね。まだお話するには早かったかも知れません。でも練習するのは成功率を上げるためなんです。高橋さんも穴前の球は外すのが難しいくらいの成功率にすぐになると思います。難しい球を入れる成功率や精度の高い手球コントロールの成功率を上げる。それが出来る様になるのがビリヤードの楽しみの一つなんだと思います」
ビリヤードの楽しみはハードル高いのね。
「楽しめるまでに練習が必要と言うハードルの高さがビリヤードがマイナーな理由なのかも知れませんね」
「さて押し引きのゲームの中での実践ですが、典型的なのがこんな球です」
手球がセンター付近、手球と七番がコーナーに向かって真っすぐ、七番と九番がコーナーポケットに向かって並んでいる配置に置かれる。
「手球を撞いて七番を入れてその場に停止すれば九番がコーナーに真っすぐになる配置です。ストップショットを使います。撞いてみて下さい」
手球を撞くと七番は何とかポケットへ、ところが手球は力なく前進して手球と九番が短クッションと並行に並ぶ。
「入れれないことはありませんが、手球が止まっていれば楽チンでしたね。それでは同じ配置にしますので今度は少し下を撞いてみて下さい」
七番をポケットして手球はピタリと止まり、九番を簡単にポケット出来そうだ。
「手球のスピードを上げると真ん中撞いても止まるんですが、ポケットに嫌われる可能性が高くなるので下を撞いて止めた方がポケットしやすいです。引き球の応用ですね」
ポケットが好き嫌いって感情持ってるとは知らなかった。